DQNは学歴とかなんとか関係なくね?

増井さんとFacebookで話してたんだが。

徒然草 第五十三段

これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。

しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚の廻り欠けて、血垂り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師のがり率て行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様なりけめ。物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また、仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。

かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁のしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

現代語訳の方は著作権の問題があるので、引用は原文の方で。

宴会でウケを狙って、鼎をかぶった坊主の話だ。抜けなくなって周囲があわててあれこれするけどどうにもならんので、とうとう「鼻とか耳とか千切れても死ななくね?」とゆーDQN論理で無茶苦茶引っぱって抜いたとか。

キモは「酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座興に入る事限りなし。」のところ。「コンビニの冷蔵庫に入る」ってことと、どれだけ違うんだ?

やったのは「坊さん」なので、当時としてはそれなりの知識階級であり、DQNとは違う人種のはず。そりゃまぁ、当時のことだから、炎上 -> 謝罪みたいな流れにはならなかっただろうが、いろいろあっただろうなーとゆーことは想像に難くない。

とか思うと、実は「コンビニの冷蔵庫」みたいなことは、実はDQNだなんだってことは実は関係がなくて、単にノリで結構されていて、その一部がネットに漏れて炎上案件となった… ってことなのかも知れんね。