「ブラック企業」という表現に気をつける必要はあるのか?

あまりに馬鹿げてると思うんだが。

「ブラック企業」は、人種差別用語である

「チビクロサンボ」狩りと全く同じ論理。あまりに馬鹿馬鹿しいと思うのだが、一応つっこむ。

これは要約すれば「××は○○な文化を持っている人達にとっては良くない表現である」という類のもの。

確かに「○○な文化」の人達にとって「××」と言うことは良くない。それは当然のこと。だから、「ブラック企業」なる言葉を、「黒い人達(必ずしも黒人とは限らない)」の前で言うのは失礼なことで、それは気をつけなきゃいけない。

とは言え、この手の認識は持っている文化や背景、あるいは宗教の類でいくらでも変わるものだ。「エッチを意味する色」でも、

エッチな色は国ごとに違う!『ピンク映画』中国では何色映画?

こんだけ違う(らしい)。

日本の中であっても「アホ」と「馬鹿」の意味の違いは、時として文化摩擦を起こす。

こういったことに一々配慮すれば、誰も不快にならないように出来るかも知れないが、そんなもの

全部知ることは不可能

だし、

相互に矛盾することだってある

ものだ。

「グローバル化」とは、いろんな文化と関わること。そのためには、いろんな文化の人を不快にしないことは確かに大事だ。でも、我々の知性や想像力には限界がある。またそれらが相互に矛盾しない保証もない。だから、その全部に付き合うことは

不可能

なのだ。「○○が好きな人達」と「○○が嫌いな人達」を同時に満足させるためには、「○○の話題」を避けるしかないし、それでは話が始まらなかったりする。

そういった「事実」を見れば、「グローバル」を根拠として

「ブラック企業」は、人種差別用語である

という主張はナンセンスなのだ。

気をつけるべきは、そういった「言葉狩り」をすることではなく、

表現にはTPOがある

というごく当たり前のことに配慮するということである。これは同時に、そういったことを無視して「晒す」行為にも気をつけるべきだということでもある。