政治とビジネスは似て非なるもの

話題のエントリっぽい。

橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。

基本的に正しいと思うんだけど、橋下氏も件のエントリの人も、致命的な間違いをしている。それは表題のこと。

政治にビジネス的なセンスを持ち込むのは良いことだと思う。てか、そういったセンスは悪いことではない。石原都知事はあまり好きではないけれど、氏のビジネス的なセンスは悪くない。他の首長も見習うべきだ。

でも、せいぜいそこまでだと思う。なぜなら、政治とビジネスには、根本的な違いがあるからだ。

gdgdいろんなところを省けば、ビジネスの世界では「ついて行けない」奴はクビにすりゃいい。別にクビにしなくても、自分が「ついて行けない」と判断したら、気の効いた奴なら自分で辞めるだろう。それは「脱落」でも「卒業」でもいい。そこで働くことに価値がないと、自他共に認めれば、

消える

ということが可能だ。つまり、お互いに選択の自由があり、その「自由」を行使するハードルは、そんなには高くない。

でも、「社会」でそれは出来ない。「ついて行けない」からと言って、「お前死ね」ってのも無理だし、「引っ越せ」も容易ではないことが多い。そもそも、たいていの「ついて行けない」人達は、そんなに強くない。だから、基本的に「少数を切り捨てる」ってことは出来ないのだ。

橋下氏に「ついて行けない」とか思う人達、そういった人達を擁護する人達の何割かは、そういったことに気がついている人達だろう。「保証」だとか「担保」だとかを求めるのも、そういったことなんだろう。

もちろんなんつーか「面倒臭い少数派」ってのは確実にいて、下手にそういったのがいると無駄に自治体のコストがかかるってのも確か。だから、そういったのを無視したいってのは良くわかるし、無視した方がいい局面はあると思う。外野にいると、「ハシズム」なんて言葉に説得力があったりするけど、おそらく大阪の人達はそういったものが必要だと思ってるから、ああなってるんだろうと思う。

でもそこで必要なのは、そーゆー「面倒臭い少数派」を単に切り捨てるのではなくて、

黙らせる

ことなのではないかな。ビジネスと同じセンスで単に切り捨てるんじゃなくて、少なくとも客観的には「文句言えない」ようにする。まぁ、それでも文句言う奴は言うんだろうけど、やることやってりゃ切り捨てても周囲が黙らせてくれる。

そういったのが見えて来ないから、「ついて行けない」って人達がヒステリックに騒ぐ根拠になっちゃうんじゃないかしらん。何事も「飴と鞭」は必要で、その「飴」も「ビジョン」みたいな大袈裟なものじゃなくって、もっとわかりやすくすること。ファシズムの代表みたいに言われるていつも悪者にされてるヒトラーは、たいそうな「ビジョン」だけじゃなくて、もっと市民が喜びそうな「飴」も用意してたよ(フォルクスワーゲンとかアウトバーン)。「ビジョン」に誇りがあるなら、そういった足元も大事でしょう。

PS.

ありむーが「切り捨てる側にいるつもりか。おめでてーな」と言ってたけど、「切り捨てる」ってのは油断してると自分が切り捨てられる側になる… ってのは、古今の諸々が証明してるのだよ。「自由の制限」について、よくマルチン・ニーメラーの言葉が引用されるのだけど、こういった「切り捨て」も同じようなもんだ。

また、効率ってのは、限りなく追求されて行く。「下位1割」を切り捨てると決断された時、もっと効率を上げるにはその切り捨てが完了した時に残りの9割のうちの「下位1割」を切り捨てるだろう。そして、さらに効率を求めて… と言えば、別にエントリで書くつもりでうろ覚えだったのを探して来た小噺で、

昔・・・。お江戸に主人と女房、番頭と手代、丁稚を使う米問屋があったそうな。
ところがその主人が吝嗇で、丁稚の飯代がもったいなくてしかたがない。
そこで、丁稚を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は手代の給金がもったいなくなる。
そこで、手代を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は番頭の給金がもったいなくなる。
そこで、番頭を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は女房にかかる金がもったいなくなる。
そこで、女房を離縁してみたが、仕事はなんとかなる。
今度は自分の飯代がもったいなくて仕方がない。
そこで、首を吊って死んでしまった。

ってぇのがある(テキストは「人生に起きる事象の9割は致命的ではない」から)。「効率の追求」ってのはつまりこんなことで。それに、現代のビジネス界って、その結果みんながワープアになってると言えなくもない。

安ければいいと誰が言う

それは「政治」が求めるべきものとは違うはず。