中村氏の大罪(2)

中村氏の大罪の第2回は、「同僚に対する罪」である。

最初に言っておくと、私は彼の功績に対しては賞讃のみする。確かに今となっては既に古い技術になってしまっているとか、単なる製法の工夫に過ぎないとかいろいろ言われているが、彼の行った業績は素晴しい。今まで多くの人達が見捨てていた材料を使って、実用になるものを作ったということは、それが今となってはどうでもいい技術であるにせよ、「やった」という事実は尊いものだと思っている。「できないと思われていたことをやってみせる」ということは、「無から有」を作ったということだからだ。

さてそれ程素晴しい彼の業績であるが、果していくらと評価されるのが良かったのだろうか?確かに「無から有」であるから、そこには「無限の違い」が存在する。だからと言って、「無限の違い」と評価できるかと言えば、そんなことはないだろう。他でも言っているように、これは彼の「発明」である。発明は素晴しいことであるが、売れなきゃただの紙(paper)だ。だから、売ることを無視して「無限の違い」と言うことはできない。

仮に彼の「200億」が妥当なものであったとしよう。日亜の平均的生涯給がいくらになるか知らないが、仮に1億だったとすると、彼の評価は他の人の200倍。つまり、彼は他の人の200倍優れていたということになる。これは裏返せば、他の人は彼の1/200の価値しかないということだ。

無論このようなもので計ることができないのは明白である。しかし、一度「正当な報酬は○○円」と計算してしまったら、このような比較が可能になるということである。

私は給与は何が何でも平等でなければならないと言う気はない。優秀な者が高給を手にするのは、当然とさえ思う。そういった点では、このような算出が行われるのは良いことであると思う。しかし、それには周囲が納得しなければならない。彼が200倍の報酬を得るためには、周囲がそれを納得できなければ、嫉妬を生む。嫉妬だけなら別に勝手にしておけであるが、それが元でモチベーションの低下を起こせば、会社全体が悪くなり、結果的に自分たちの首を締めることになってしまう。なので、不公平感を生まない程度のバランスが必要である。

何度も言うように、彼の発明を金にしたのは、彼の勤める会社の営業の力である。もちろん青色LEDという素晴しいシーズを彼が作ったということの功績は大きい。しかし、それが商品となり金にならなければ、「報酬」なんてありえないのだ。これは同じ研究を大学や国立の研究機関でやったらどうなっていたかを考えれば明白だ。彼等のやったことがあまり金にならず結果的に報酬が少ないからと言って、彼等が劣るというわけではないのだ。

別のことを考えてみよう。仮に「200億」が妥当だと判断されたなら、日亜は彼に200億を支払う必要がある。この200億は純利益の中から出て行く金である。いきなり200億の利益がなくなるというのは、多少会社の規模が大きくても一大事だ。その皺寄せは、当然ながらその会社にかかる。

日本の場合、「会社」とは単なる「労働を売り対価を得る場所」ではない。一つの共同体である。時代の流れと共に、だんだんそれも崩れつつあるが、いまだに「会社が潰れたら路頭に迷う」のが普通の姿であるから、世の中の大多数の人は「会社は共同体」とどこかで思っている。だから、会社に損失を与えるということは、突き詰めれば「自分を傷つけること」である。

会社が不当な扱いをした時、それに対抗した処置をするということは、当然の権利である。だから、彼が退職した時に日亜が彼に「確認訴訟」を起こした時、それに反訴するのは彼の当然の権利ではある。殴られたら殴り返していいとは言わないが、殴られて殴られっぱなしも馬鹿だ。とは言え、殴られてナイフを突きつければ「過剰防衛」になるし、それに対抗して両者が切り合いをするようになれば、どう見ても不毛だ。そして、その切りつける相手は、「会社の経営陣」だけではなく「元同僚達の共同体」なのだ。彼の切りつけたナイフが会社を傷つければ、会社は「出血」するのだ。その「血」は果して何であろうか?いかに弱者と言えど、殴られた時にナイフを出してはいかんのだ。

アメリカのように、雇用が純粋に契約だけであり、会社は「労働を売り対価を得る」ための機関であれば、会社を切りつけた時に傷つくのは、あくまで「経営陣」だけである。もちろんそれで会社が潰れれば従業員は困るのであるが、彼等も純粋に「雇用契約」が存在するだけであり、そういったことは社会として慣れたものである。ところが、日本はどれだけ労働力が流動化したと言っても、「会社は運命共同体」と思っている人が大多数であるし、転職をするにしても土着癖のある日本人はそう簡単にはできないのが現状だ(日亜は田舎の会社だから、田舎者が主だ)。

このようなことを考えると、彼は「会社と闘う」と言いつつ、自分の元同僚までも敵にしてしまった。直接の敵ではないかも知れないが、彼の刃が向く対象になってしまった。彼の発明、彼の業績は、彼の優秀さによるものである。しかし、その彼を支えて来た同僚があってこそ、今日の彼があるはずだ。

彼の元同僚には、「自分一人で大きくなったと思いやがって」と思っている人は少なくないだろう。仮にそんな同僚が一人もいないのであれば、彼は、面倒なことになる前にとっととそんな会社辞めてしまっておけば良かったのだ。そうしなかったのも、何か間違っているような気がする。

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