最近羊や猿でクローンが出来たということで、その技術を人間に適用する危険性について議論されている。確かに遺伝的コピーが作られるということで、色々 な可能性が考えられるのではあるが、この議論を聞いていると、
ちょっと待て!
と思う。
確かに遺伝的なコピーという手法によって、純人工環境で生命が作られると いうことは、気持ち悪いと言えば気持ち悪い。やる気になれば、
生命の量産
が出来てしまうのだから。とは言え、男の場合はやる気でやれば、
知らぬ間に子供が出来る
ことがないとは限らないのであるから、気持ち悪さのレベルで言えば大差ない かも知れない。しかし、議論している人々は、その辺のこともさることながら、
コピー人間が出来る
ということを心配しているのである。しかし、よく考えて欲しい。クローン人 間は、
遺伝的に同一
なだけである。そして、人格などというものは、
遺伝情報なんかで決定されない
ものである。無関係と言えるものではないだろうが、それが全てではない。そ の人の育った環境や、見たもの、感じたこと、そういったものが絡んだ結果と して、人格が形成されるのである。遺伝情報で人格が決定されるのなら、
一卵性双生児は同じ人格
などというとんでもないことになってしまう。そのような見方は誤っているだ けではなく、
失礼
あるいは、
人格無視
である。
と考えるならば、仮に人間のクローンが出来たところで、人格の複製までさ れるわけではないのだから、特別にどうこう言うべき問題ではないように思う。
生命の勝手な量産
の危険性の問題を除いては。