「日経○○」の言うクラウドがバズワードに過ぎないわけ

日経BPの記者は、「クラウド」はバズワードではない、もうその時代は目の前だと言う。

クラウドはバズワード、ってまだ言いますか?

まぁ言いたいことはわからんではないが、ある記事で「結局バズワードにしてるじゃん」と気がついた。

「クラウド」にいろいろさせるということは、組織内でいろいろやっていたことを、組織外に任せるということだ。だから、ステップ的にはまずは「アウトソース」あたりから、徐々にならして行くべきことだろう。そりゃ「クラウドソーシング」と「アウトソーシング」はまるっきり違うっちゃー違うんだけど、「今まで中に抱えていたものを外に出す」という「文化」を持たなきゃ出来ない点では同じことだ。

この発想に至るには「餅は餅屋」的な発想を持たなきゃいけない。もちろん何が「餅」であるかは場面によりけりなのだけど、餅は餅屋に任せるのが長い目で見れば低コストになるということに気がつかなきゃいけない。その辺を啓蒙して行くことは、IT業界的に嬉しいかどうかは別にして、ユーザー企業にとっては必要なことだろう。

ところが、そういった啓蒙をしている「日経○○(○○はワイルドキャラクタ)」は、何らかの「先進的な製品」をかついだ時には、何やら雲行きが怪しくなる。たとえば、

セキュリティスペシャリストの有無が今後の企業内セキュリティを左右する

とかを読むと、どうやらセキュリティサービスの提供は外部に任せっきりではいけなくて、組織内部に「セキュリティスペシャリスト」なるものが必要で、そういった人がセキュリティ関係のツールを駆使出来なきゃいけないそうだ。なるほど確かにそうかも知れない。

いや、待て!

「外部の専門家に任せる」というのは、よく考えてみれば「アウトソース」そのものだ。「餅は餅屋」の発想だとも言える。だいたい、組織なんてのはそれぞれ目的を持っているわけで、そこに注力しているのが正しい姿だ。出来ることなら、コンピュータだのセキュリティだのってことは、自前でしない方がいい。そりゃ、あまりに何もなくてコンサルやベンダの言いなりになっているのもどうかと思うけれど、それでもやっぱり「餅は餅屋」だ。自分の組織は何の「餅屋」であるか考えたら、ITがどうだこうだってのは、たいていの組織にとって「傍流」であって、やらないで済めばそれが一番のはずだ。言いなりにされて、いいように商売されてしまうようなコンサルやベンダに引っからなければ、言いなりになって良いように手伝ってもらうのが良いし、出来ることならお任せでいいはずだ。

そういった「餅は餅屋」とか「自前でリソースを抱えない」という考えの延長に、アウトソースやクラウドソースなんてものがあるわけだ。

だから、

欧米では企業内にセキュリティのスペシャリストがいて、彼らが使いこなす道具として様々なセキュリティ製品が開発されてきました。例えば、ネットワーク脆弱性検査ソフト。これはネットワーク越しから見たサーバーなどの脆弱性を検査するソフトです。欧米では大変売れました。

なんてのは、「クラウドソース」的なものを肯定する立場からすれば、むしろ「遅れている」ことであり、

ところが日本では、主なユーザーは「セキュリティサービス提供企業」だったのです。つまりユーザー企業自身では直接使いこなすことができずに専門業者にサービスとして委託する、というモデルしかなかったのです。セキュリティスペシャリストのいない企業が日本には多いということです。

というのは、むしろ「あるべき姿」として歓迎するべきだ。「餅は餅屋」にお任せのアウトソースなんだから(まぁセキュリティについてクラウドソーシングなんてのはイメージしにくいんで、アウトソースの先に必ずクラウドソースがあるとは言えなけれど)。

となれば、結局のところ「日経○○」における「クラウド」なんてものは、

かつぐべき商品の一つ

以上のものではなく、つまりはバズワードでしかない。

いや、まぁコンピュータは抱えたがる割にはセキュリティあたりは他人任せという日本の組織のやり方が、本当に「餅は餅屋」の発想だとも言えないし、それが直接クラウドやアウトソース的なものに向いているという訳ではないとは思うんだけどね。でも、「首尾一貫」あるいは「近道を教える」という意味では、その辺ツジツマ合わせなきゃいけないだろう。