自分が「安全地帯」にいる油断

またこの手の馬鹿が流行ってるのか。

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なんつーか、この手の騒ぎをする奴等って細菌大杉。多分、「自分は清らかなもので何の罪も犯してないです」的な意識なんだろう。

とは言うものの、立場が逆だったら、件の子の親達は同じ行動をしたかも知れない。つまり、自分が「安全地帯」にいると思い込んで、そのポジションに甘んじて安心して他人を叩いているわけだ。だから、責められている側が一方的に被害者だとは思わない。

たまたま今回加害側でなかった

というだけだ。だから、嬉々として叩いてる奴等も、一度逆の立場になったら「被害者面」するに違いない。今回の「被害者」は気の毒だなーとは思うけれど、彼等が「清らかで何の罪も犯してない」的なものでないことも明白。

この手の「嬉々として『悪者』を叩く」なんてのは、多分有史以前からある。聖書にだって普通に出て来るんだから、少なくともその頃にはポピュラーな行為として認識されていたわけだ。今だって2ちゃんあたりで「犯罪者に人権なんてない」とか「死刑死刑」とか騒いでる奴等は、自分がそういったものに関係ない「安全地帯」にいると思い込んでいるわけだ。

でもな。現代ってのは、そんな「安全地帯」がいきなり消えてしまいかねない、あっと言う間に立場が逆転することはいくらでもあるのだ。件のことであっても、「同じ電車」でトンフルうつされてしまったら、その瞬間はうつされた被害者でも、次の瞬間にはうつす側になる。つまり、叩かれる側になってしまうわけだ。

まぁそれは「人の性」というものだから、しょうがないっちゃーしょうがないのかも知れないけど、叩く側に回るのはあまり格好の良いことじゃないし、それで得られるものなんて何もないんだから、やめときゃいいのになぁと思うんだが。それとも、叩いてる奴等には、そんなに鬱積したものがあるのかね?

自分が「安全地帯」にいる油断” への1件のコメント

  1. 自分がいつ間違いを犯すかも知れない、という認識があれば、人のそれに対する反応も大分変わるんですけどね。
    プログラマーなんて、自分が間違いを起こしうる存在なんだと身にしみて分かっているわけでw

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