ネットの人間関係は希薄かも知れないが空虚とは限らない

一度mixiに書いたネタなんだが。

3月7日は私の誕生日だった。ごく親しい人達は別にして、チャットみたいな希薄な人間関係の場で「おめでとう」とか言うのは微妙だなと思って誕生日だということは言ってなかったのだけど、twitterで一人が言ったものだから、「おめでとう」の嵐になった。

明けて誕生日の日中には、自分のためではないのだけど、パーティーの類2つに行くことに。もちろん訳知りの人が「今日はおごちゃんの誕生日なんだよ」と公表するものだから、やっぱり「おめでとう」の嵐に。

そもそも私は実世界ではそんなに「お誕生日おめでとう」の類を言われてなかった。子供の頃は本やテレビを見て「誕生日にはおめでとうと言ってもらえるもの」と思っていたのだけど、うちの親は「育ててやった恩がどーたら」と反対に説教される始末だった。そんな環境で育ったものだから、「お誕生日おめでとう」はどうも苦手だったのだ。

自分が苦手なものだから、基本的に他人にも言わない。もちろんごく親しい人に対しては言うけれど、mixiやチャットの類で言うことはあまりなかった。普段からいろいろやりとりのある人相手なら言うこともあるけれど、そうでない人にはなるべく言わないことにしていた。だから、私に「お誕生日おめでとう」の類のことを言われた人は、よほど大事に思われているんだと思ってくれるといい。まぁ言わないってのも、忘れていて言わないだけってのもあるんだけど。

今年の私の誕生日まではな

というのも、そうやって大勢に言われてみたり、「ついで」であってもパーティーに出てみると嬉しい。そういった人達の何割かは、普段私とは何の関係もない生活を送り、私なんていてもいなくてもあまり関係のない人生を歩んでいるはずだ。たまたま、ネット上で会っていても、普段会話をしたことのない人とかいっぱいいる。つまり、非常に希薄な人間関係に過ぎない。

じゃあ、そんな人達の「おめでとう」が嬉しくないかと言えば、まるっきりそんなことはない。初めて会話するような人からでも「おめでとう」と言われれば嬉しいし、幸せな気持ちになれる。

空気の中の酸素は十分濃くないと窒息してしまう。だからと言って、何でもかんでもその濃度でないと意味がないかと言えばそうじゃない。「匂い(臭い)」の類は、その物質がppbのオーダーでも感じるものが少なくない。そういった希薄な濃度が意味がないかと言えばそうではない。そういった匂いに心惑わされたり、不快になったり、食欲がそそられたりする。希薄であっても、十分意味があるのだ。

ネットの人間関係も似たようなものではないか? ほとんどのネット上の人間関係は希薄なものだ。でも、それは空虚かと言えばそうではないのだ。酸素のように高い濃度がないと意味がないものばかりじゃない、「匂い(臭い)」として人を動かすものだってたくさんあるのだ。

twitterやチャットあるいはmixiの上で繰り広げられる「おめでとう」や「おはよう」は希薄な関係に過ぎないかも知れないが、空虚だとは限らない。

PS.

お誕生プレゼントの類は、前後半年受けつけておりますので、出遅れた方もご心配なくw

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