とりあえず流行には乗れ

世の中、流行には乗りたがる人とそうでない人といる。

流行に否定的な人は、流行に乗る人を冷たい目で見る傾向にある。まぁ、盲信的に流行に乗るのは、商業的にいいカモだったりするので、やたらに乗るのを敬遠するのは、そんなに間違いではない。

とは言え、それを理解しつつ、あえて流行には乗ってみることを勧める。

流行に乗ることは、なんとなく馬鹿げている。そういう見方は、そんなに間違いじゃない。だいたい、たいていの流行は

流行らせたい人の都合

で流行っているだけだ。かつては自然発生的な流行もあっただろうが、今はそうではない。まぁ「硫化水素自殺」みたいに流行らせたい奴がいない流行もあるけど、たいていは煽動者がいる。だから、そういう「カモ」にされないためには、流行りから離れておくのは間違いはない。

とは言え、恣意的な流行であれ、元々そんなにダメなものはそんなにない。意図的な流行が作られるのは、たいてい「大差ないものがいっぱい」ある時だ。だから、実は乗っても乗らなくても、結果に大差はなかったりする。

ところがそういった流行に乗ると良いことがある。それは

メジャーにつける

ということだ。つまり、多数派になれる。まぁ「多数派」が良いかどうかは、これも個人の思うところによるのだろうけど、多数派になって良いことは、安くなったり、入手が容易になったり、あるいは関連するものが豊富だったりすることだ。昔のマイナーパソコンからPC互換機に移った時のような、そんな感じだ。あれだって「流行に乗った」に過ぎないのだが、受ける恩恵は少なくなかった。メジャーになるのは悪くない。

ということもあるのだけど、それとは別に

他人がやっている良さそうなことは、
とりあえる真似しておけ

ということも勧める。

もちろんこういったものも、理性的に良いとか悪いとか判断が下せるような気がするものだ。でも、実は「気がするだけ」のことが少なくない。人間の理解力や想像力は、実はそんなに高いものじゃないからだ。それと共に、誰かが良いと思ってやっていることは、どこかに良い理由があるはずで、それを理解するのも悪くはないということもある。

昔、「エスプレッソは砂糖を大量に入れて混ぜないで飲むものだ」と教えられた。理由を聞いたら「何回もやっていれば、そのうちわかるようになる」とか言われて、結局理由は教えてもらえなかった。でもまぁ言った人を信じて、エスプレッソを飲む時には毎回そうして飲むようにしていたのだけど、最近になって「確かになぁ」と思うようになった。

また、ちょっと前までは、「ボディーシャンプー」なるものが、何が嬉しいかよくわからなかったし、使うのもイマイチ下手だった。でも、たまたまもらったものを消費しなきゃいけなくなったことでしょうがなく使っていたのだけど、毎日使っているうちに「ああ、これもアリか」と思うようになった。まぁ私はあまり肌が強い方じゃないので、あの手の界面活性剤はあまり好きではないんだけど。

これらの「良さ」なんて、私の想像の外だし、デメリットはいくらでも挙げられる。だから、実際にやってみるまでは、「ダメだ」という理由づけはいくらでも出来る。でも、実際にはそれらを「いいと思っている人達」は既にいて、それはそれなりに理由がある。私が高々自分の狭い見識の中でダメだと結論づけたところで、そういった「いいと思っている人達」にとっては雑音ですらない。むしろ、その「良さ」がわからない私の方が無知なのだということにしかならない。

となれば、「いいと思っている人達」がいるものは、とりあえず真似をしてみるのも悪くない。そうして良さがわかれば、今までの考えを改めれば良いだけだし、それでも良いと思えばそのままでいい。その良いか悪いかは、とりあえずやってみないことには、実のところよくわからない。

というわけで、流行っているもの、いいと思っている人達がいるものは、とりあえず手を出してみるというのは悪い選択ではない。ましてや、批評をしようという人は、とりあえずは手を出さなければ、批評者の資格も得ないだろう。

確かに「やってみなけりゃわからない」のは愚かな考えかも知れないが、世の中には実際に「やってみなけりゃわからない」ことはいっぱいあるのだ。