ネット上の発言は「著作物」で良いのか?

最近ちょっと気になっていることがある。この考え自体はまだあやふやなんで、単なる問題提起の一種だと思ってくれると良いんだけど。

ネット上の発言は、基本的に文字でなされる。あるいは音声とか動画とかになる。つまるところ、それらは「著作権法で言うところの著作物」となる。気になる人は著作権法を見てもらうと良いけれど、これは事実で間違いはない。

でも、最近、ちょっとそれは違うんじゃないかという気がしている。

なぜそう思うに至ったかと言えば、「著作物」という扱いにしてしまうと、あまりに仰々しいということ。

たとえば、私がtwitterで軽口を叩く。確かにこれは「著作物」ではあるけれど、内容は文脈依存だし、書いている内容もあまり意味がない。人が集っているところでの軽口と大差はない。つまり、「著作物」と呼ばれるものを生産していることは確かなのだけど、

軽々しく口にしている

のと大差ない。これが言葉なら瞬時に消える。でも、ネットだから記録が残り著作物となる。同じ言葉を口にしていれば瞬時に消える。でも、高々twitterの発言だと、本質的に大差はない。

私が書くここの文章だって、本質的には大差ない。まぁ長さやら内容からすれば、「話してる」と言うよりは「講演してる」に近いかも知れないけど、意識としては大差ない。ネット上で何かを言うには、「著作物」を経由しないと出来ないから「著作物」にしているだけで、相手が目の前にいれば話してるだけだ。

つまり、日常生活で普通にしている行動も、ネットを使うと必ず何らかの「著作物」になってしまう。もちろん、「著作物」として書いている文章もあるのだけど、全部が全部そうじゃない。

別のこととして、「魚拓」なるサービスがある。あれは不快極まりないサービスだし、「著作権法」的にはブラックだし、そこの説明に書かれている「俺理論」も「何馬鹿言ってんだよ」と思う。だけど、あの手のサービスが不要かと言えばそうじゃないことも少なからずある。他人に勝手にキャプチャーされるのはうっとおしいし、「著作物」はそうされない権利はあるけれど、「ネット上の発言」が全部著作物として保護されるというのは、ちょっとひっかかるものがある。不快だけど必要だし、存在させるためにはいろいろ考えなきゃいけないことがある。

「じゃあネット上の発言はパブリックドメインにしちゃえよ」ということもあるけれど、それはそれで何か違う気がする。「誰が言ったか」ということは、保護されるかどうかとは関係なく、基本的に追いて回るはずのことだからだ。

とかいうことを考えると、「ネット上の発言」がそのまま「著作物」として保護されたり責任が発生したりというのは、今の時代の諸々に合わないんじゃないかと思う。「ブログのエントリ」ではそう思わない人も、IRCやtwitterでの発言までが著作物として扱われるのは妙だというのは、なんとなく納得してもらえるのではなかろうか?

実は「ネット上の発言」については、よく考えたらいろいろと既存の枠組ではうまく考えられないことがたくさんある。でも、そういったことの根源の一つが、

リアルではどうってことないことも、
ネットではたいそうなことになる

ことにあるのではないかという気がする。