単なるアクセス稼ぎの極論は止めて欲しいもんだ。

これはあくまでも個人的な感想に過ぎないんだけど。

いろんな意義や価値を認めないわけじゃないけど、アクセス稼ぎとして極論を書くというのは、勘弁して欲しいな。

確かに極論は面白くもあり、思考実験としては有効だというのはわかっているんだけど。

何がうっとおしいと言って、まずその発言者のプロファイルが難しいということ。どんなに根がいい人であっても、極論で酷いことを書いていれば、そんな人だと思ってしまう。会うことのない人のプロファイルなんて興味以外の何物でもないのだけど、文章を読むときに人物像を思い浮かべながら読むのは、普通のことだと思う。ところが、極論をされるとそれがままならない。「極論をする人」で終わりになってしまう。

もう一つの理由は、様々な意見の「統計」がゆがむということ。「みんなはどう思っているのか」的な見方をしたときに、極論があるとわけがわからなくなる。また、極論ってのは人工的なものだからそれもまた「統計」をゆがめる。もちろん本当に統計的なことをしようと思えば、サンプルをいっぱい取るとかして極論にあたるサンプルを除外するとかすりゃいいんだけど、高々ネット上のテキストを読むときにそこまでやったりしない。目に見えたものをとりあえずサンプルとしてみることになる。そこでベイズ理論なんぞを適用したりするわけだ。ところが、極論の存在はこれを難しくしてしまう。

くどいようだけど、極論は面白くもあり、思考実験としては有効なものだ。だから、そういったことをわきまえて書いてある分には、必要悪だと思うことも出来る。だけど、ネットだと、「これでアクセスが稼げる」とか「他人の意見を極論で混ぜ返して面白がる」とかというのが少なくない。前者はマスコミにもよくあって、極論ではないけれど極端な事例ほどネタにされやすい。

極論を全部辞めろとは言わないし、これはあくまでも個人的な感想に過ぎないのだけど、極論には副作用があるのだから、単なるアクセス稼ぎのための使うのは止めて欲しいなぁと思うところ。

「芸」の類を嫌うのと同じなんだけどね。