そろそろ「芸」という表現をやめないか?

大昔からネット上にある表現に「芸」というのがある。

ある人がほとんど習慣的にある行動パターンを取ることを指す言葉だ。「××は○○さんの芸風だから」とか「disり芸」「煽り芸」とかいう表現で使われる。

それらの実状は、たいていはネガティブな行為で、それでいてその人への人格否定を避けようとして「芸だ」ということにしておくわけだ。

でもさ、そろそろはっきり言ってやっていいんじゃない? 習慣的にdisりしか出来ない奴は「disり芸をやる芸人」じゃなくて、

disりしか出来ない池沼

なんだって。

余分な氏がわく前に言っておくけど、「池沼」ってのはあくまでもステレオタイプとして使っているだけで、オリジナルの方を貶すため、差別するための言葉じゃないからな。

で、本題に戻るけど、いろんなネガティブな行為を「芸」と称して人格否定にまで持って行かない、ネットの「奥ゆかしさ」というのは悪いことではないと思う。ネットには人格の「陰」は見えても「リアル」が見えるわけじゃないし、そもそも個々の「人格」を否定しても何の役にも立たない。しょせんお互いに他人なんだし。

でも、本来「芸」というのは肯定的な意味のある言葉だし、世間では肯定的に使われるもの。つまり、ネガティブな行為を「芸」と評することで、なぜかポジティブに見えてしまう。そういった「正しい手法」のように見えてしまう。中にはそういった肯定的なこともあるのだけど、ほとんどのことは内心「うぜーーー」と思っていることじゃないか? 正直言えば「disり芸」とか「煽り芸」なんて、芸でも何でもない

単なる馬鹿

にしか見えない。もちろん「これはdisるべき」と思うものがあって、それをdisるのは正当な行為だし、それが間違っていようと迷惑だろうと構いはしない。間違いは正されればいいし、迷惑ならdisり返されればいいからだ。でも、何かを主張する手法としてdisりしか出来ないなんてのは、悪い病気の一種だろう。何も「ソフトな表現」にする必要はないと思うが、もうちょっと上手い表現もあるだろうに。

人の集まりなんてのは、放っておけばネガティブに流れて行く。そしてそういったネガティブなものは増えて行く。それはもうインターネットのように大勢集まるところでは宿命的だ。でも、そうであるがゆえに、

ウザいものはウザいと主張する

ことは必要だろう。ウザいなと思ったものを「芸」として受け流すのは、個人レベルの生活の知恵としては賢いけれど、それを一般的に適用し続けるというのは、そろそろやめた方がいいんじゃなかろうかね。