謝ってはいけない

まぁ今さら言うまでもないことだけど。

ネットの「炎上」ってどうしてなくならないの?

これに、

それでも炎上してしまった場合は、謝るべきところは謝り、説明すべきところは説明することが重要なのだとか。

とか書いてあるんだけど、後半はさておき前半は違うと思う。

「炎上」なんてものの、何割かは「叩きたいから叩いている」に過ぎない。明確な意見の違いがあればスルーされるだけだし、間違いでも同じ。つーか、他人の意見を一生懸命叩くなんてのは、暇人のやることであって、ほとんどのネット上の意見は、

それはそれ

に過ぎない。意見が違っても、「それは一つの考え方」で終わるのがほとんどだ。まぁ粘着君なんてのはどこにでもいるんだけど。

ほとんどの「炎上」は単なる集団ヒステリーの一種だ。そもそも、叩いてる方がどれだけ正しかろうと、そこで「炎上」させることについてのメリットは「デモンストレーション」以上のものはない。だって、せいぜいそこで書いた人を「反省」させるだけなんだから。大勢で寄ってたかってやる意味なんてない。1つの意見を潰すのに大勢でたかってやるなんてのは、暇人のやることだ。普通の人はそんなことに構っている暇なんてない。どうしてもやりたかったら、自分の言論機関(blog)でdisればいいだけだ。そっちの方がはるかに効果的。

だから、「炎上」なんてことが嫌だったら、そーゆー「暇人」にたかられないようにすることだ。で、それに一番いいのは、

謝らない

ということ。仮に自分が書いたことが間違っていても、間違いを正せばいいだけで、「申し訳ありません」の類は絶対に書いてはならない。後はシレっとして放置しとけばいい。

なぜなら、そういった「集団ヒステリーとして叩く」という行為をする人々は暇なもんだから、「獲物」を狙っている。そして、その格好の「獲物」は

自分が悪いと思っている人

なのだ。なぜなら、「自分が悪いと思っている人」は謝ることしかしない。いくら叩かれてもせいぜい逆ギレするだけ。また逆ギレでもした日には、遠慮なく叩くことが出来る。つまりまぁ、サンドバッグと同じ。そして、叩きに来る人達は、そういった人をボコボコにするだけで満足出来る。

逆に言えば、「謝る」という行為は、「ここにサンドバッグがありますよ」と言っているようなもんだ。だから、謝ったらますます炎上したとか、謝り方が悪いと叩かれたとか、そういったことになる。

なんてことを、タケルンバ卿の

昨日の件についてのお詫び

へのTBなんぞを見て思ったわけだな。

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