匿名、風俗、出会い系なぞが流行るわけ

まー、ごちゃごちゃ書くネタでもないんだけど。

最近、私が思うようになったのは、

顕名ばかりでは息が詰まるから

ということ。

ネットのお陰で、個人のいろいろな行動は公開されるようになって来た。そこで顕名で活動していると、「○○さんはいつ何をした」ということが広く知れるようになる。結構息が詰まることだ。

なんてことは他人事に見えるだろうけど、たとえばリアルな友達や家族同僚恋人の類を、twitterやmixiでリンクしてしまうと、便利で楽しくなる反面、

息が詰まる

と感じることはわかるんじゃないかと思う。うっかりそう言った身近な人の悪口は書けないし、そういった人達に見せたくない一面とか書きたくない。

「いやー、そんなことないですよ。私はいつでもオープンですよ」とか言う奴がいたら、私はそいつに遠慮なく

馬鹿

の称号を与えたい。

今まで何度も書いて来たが、人には晴れの日もあれば、雨の日もある。光の面もあれば陰の面もある。それが当たり前だ。「いつもオープン」とは、そういった「あまり他人にとっても好ましくない面」さえもいつも晒しているということで、本人はそれで良くても周囲にとってはたまったもんじゃない。ましてや、身近な人についてのネガティブなことまで「オープン」にされたら、そりゃたまったもんじゃない。

だから、普通の人、むしろマジメな部類に入る人は「言いたくても言えない」ことがたまって来る。我慢強い人だと黙っていたりすることでも、あまり過ぎるとキレてしまう。まぁたまにキレるのは悪くない。それで精神のバランスが取れるし、周囲にそういった我慢を認識させることも出来る。しかし、本当にマジメな人だとキレることが出来ないで、ずっと我慢をしてしまう。立場的にキレることが出来ない人も同様だ。そうして精神を病んでしまう。

匿名も風俗も出会い系も、基本的には「どこの誰だかわからない」ことが基本だ。いずれも「私」は存在するけれど、「私にラベル付けされたもの」は消える。つまり、リアルワールドの諸々から離れることが出来る。権威や信用や金や、あるいは責任や立場から開放される。つまり、その人の「周囲」ということから開放される。だから、安心して溜まっているものを開放出来る。つまり、精神のバランスが保たれるのだ。

なんてことを書いてると、「ネガティブなことはチラシの裏にでも書けばいい」とかいう人がいるだろうけど、そういった「ネガティブな状態」の人が大勢いるということを知るだけでも、人間は救われる。つまらないことで悩むのが自分だけでないということを知ることが出来るだけで、その悩みが本当につまらないことだと認識出来るし、悩むこともないなと思うことが出来る。そういった意味では、「ネット上のチラシの裏」の存在はとても大事だ。同じように、風俗や出会い系で、普段表現出来ないような性癖を晒すのも、多分「健全な表の暮し」のためにはプラスになるはずだ。いつまでもそこに留まるのは愚かなことかも知れないが、たまに出掛けて開放することは、精神衛生上必要なことだ。もちろん、どれを選ぶかは、人それぞれだろうが。

まぁそういった「チラシの裏」や「陰」の世界が表に顔を出してしまったり、表と区別がつかなかったりするというのはいろいろ問題だろうが、問題とすべきはそういったものがそうでなものと「混在している」状態であって、それ自体が「存在している」ことではないはずだ。なぜなら、そういったものは、

精神衛生上必要なもの

だからだ。

匿名、風俗、出会い系なぞが流行るわけ” への6件のコメント

  1. ピンバック: 次なるもの » Blog Archive » おごちゃんの雑文 » Blog Archive » 匿名、風俗、出会い系なぞが流行るわけ

  2. 自分馬鹿なのでしょうか。匿名・風俗・出会い系を推奨しているのか、容認しているのか?悩んでしまいました。
    自分のあいかたが、出会い系とかやっているのです。自分にももろばれです。電話番号やメアドのメモ落としたりしていますしね。で、当然やめてくれというわけです。そしたら、悪いことしていないので謝るつもりも必要もない。と言い放ってきたわけです。そして懲りずにずーっとやっているのです。年齢等詐称してまで。
    で、実際女の人とあったりしているのですよ。お茶のみ・食事はもちろん、エッチやその寸前までもしていると思う。

    そいうの、赦せないのですが、ここをみると赦せってことなんでしょうかね?違う気がするのですが。どうなんでしょう。あいかたがここをみて「ほーらこうかいてある。プライバシーだよ、息抜きだよ、だから自分のやってとることには正当性がある。謝る必要なんて存在しないってわかったか?」と言われたらいやなんですが。
    教えてもらえませんか?アホですみません

  3. 推奨も容認もしてませんよ。非難もしてない。

    ただ、人は「息が詰まる」と思えば、どこかで何らかの形で息を抜かないと精神がやられちゃうから、その前に抜いて来ても責められないよねというだけのことです。「責めちゃいけない」じゃないんです、責めようがないんです。

    「許せない」と思うのであれば、息が詰まるようなことはさせないのが良いでしょうね。精神を病んだ旦那が好きなら、止めませんけど。

  4. 返信ありがとうです

    いわゆるは誰でも必要だよね
    風俗や出会い系がいいよとは言ってなてよ。ただ人によってはガス抜きすることが、風俗かよいだったり、出会い系だったりするんじゃないのかな?

    で理解OKでしょうか?
    まぁ、自己解決しているじゃない?といわれそうですが・・・
    本当に許せないのであれば、色々なものをこちらも放り出して逃げたらいいわけですよね。これは相手への恋心というよりはもはや執着心?みたいな感じが自分でも嫌だなぁとは思うのですが。
    他のガス抜きの手段で、分をわきまえて(使うお金とか自分の地位と立場とか家族がいるとか色色なものを含む)いるならば別なのかな?と思う反面、イヤイヤ同じなのかな?と考えたり。出会い系の相手もだましているわけで心痛まないの?と思ったりするのです。精神的に病んだ旦那ができあがる前に病んだ妻とそれに影響された子供ができあがりそうです。
    愚痴になってしまいました。人生相談じゃないですね。

  5. だから、「人には晴れた日もあれば雨の日もある」んです。それをまず認めましょう。でも、顕名の時ってのは、周囲はいつも「晴れ」を求めてしまうんです。でも、「生身」の人は「いろいろある」んです。

    吸った息は吐かなきゃいけません。「私、息が臭いから吐けない」と言っても、吐かなきゃ死んじゃう。

    読んでて思ったんですが、多分今のあなたの考え方だと、安心して息が出来るところに行ってしまうかも知れませんよ。

  6. ピンバック: タケルンバ卿日記

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