twitterの会話より。
「人に使ってもらえるまでがお仕事です」
軽いが実に深い…
話の発端は、
それはそうと、「勉強したら仕事なくなった」感が出た個人的な理由
のコメ欄の、
コンパイラって仕事あるんですか?って教授に昔聞いたところ、「教授になればいいとおもうよ」と返されたことがあります。
という話。私の周囲には「コンパイラを作って欲しい」的な仕事は結構転がっていて、本気でやるんだったら仕事はあるのになぁということで、
コンパイラの仕事、普通にあるんだがな。でも、ちゃんとやれる奴は世の中にそんなにいないんだよね。toyなら誰でもやるんだろうけど。
俺言語デザインして俺処理系作るだけなら、私の授業の最終課題でしかない。
という発言をしてたのだった。
実際、前にも書いたのだけど、「言語処理系を作る仕事」なんて面白い部分のはごくわずかで、ほとんどが退屈な作業の連続になる。だから、情報系学科を出た人が「言語処理系の仕事がしたい」的なことを言っても、あまり信用してない。学生がやるのは「面白いごくわずか」な部分だけであって、その後に続く退屈な作業なんて情報系学科を出た「頭いい人達」には退屈でしょうがないと思う。だから、仕事そのものはあっても、仕事にはなりにくい。
だから、「最終課題」以上の「仕事」をするのは、そう簡単じゃないんだよなー的なことを思ってたところに、冒頭の話。
「人に使ってもらえるまでがお仕事です」
という発言がされたのだった。確かに、何でもそうだけど、「toy」なものを作るのは誰でも能力があれば出来る。でも、それを「仕事」として成就させるには、それだけじゃ済まない。「人に使ってもらえる」までには、様々なことをしなきゃいけないし、それは面白いことも面白くないこともある。でも、それが「仕事」というものだ。
もちろん「面白くないこと」を面白く演出するとかして面白く出来るのであれば、それはそれでいい。でも、その「面白くないこと」もしなきゃいけないのが「仕事」なのだ。
以前大変お世話になった師匠から頂いた言葉。
「人に感動を与えるまでが仕事だ」
「感動を超えるものを味わうのが人生だ」
1年間のプロジェクトでしたけど、基本的な処理は3ヶ月程度でできてて、そこは面白かったのですけど、あとはバグフィックスと新たに発見されたVB構文・仕様への対応でした。特に面白くなかったのが、統計情報の取得とその表示ですねぇ。