ヲタファッション

私はヲタが嫌いだ。私はヲタが嫌いだ。

ヲタのファッションも嫌いである。しかし、ある日気がついたのだが、自宅のある渋谷と会社のある秋葉。ファッション的には両極端のような場所であるが、実のところ同じ年代の若者の着ているものは、そう大差あるわけでもない。ところが、秋葉で見る若者の多くはヲタファッションであり、渋谷で見る若者の多くはかこいーおにーちゃんなのである。ムサい格好でも、渋谷のムサさはかこいームサさだ。

最初はこの違いは土地柄の違いとか、先入観に拠るものだと思っていた。ところがどうもそうではないようだ。なぜなら、渋谷にもヲタが迷い込むし、秋葉にかこいーおにーちゃんがいたりする。先日、109の前が妙にヲタ臭かったのだが、それは「小倉優子のステージがある」からだったらしい。ちゃんと渋谷にもヲタは来る。そして、それは非ヲタと明確に区別がつく。

いろいろ考えてみたのだが、ヲタとそうでないものとの違いを明確につけるものを発見した。それは、「他者という視点の有無」である。その「他者」も同類でない、異なった文化を持っているとさえ言えるような人達の視点の有無である。自分ウケ、仲間ウケだけで満足するのがヲタであり、それ以外の視線を気にするのが非ヲタである。

服を選ぶ時、「自分が着たい」とか「自分に似合っていると思うから」という理由だけで選べば、よほどセンスの良い人でない限りは、だんだんオタクファッションになってしまうのだ。あるいはヲタ同志で「似合う似合う」と言って選んでいれば、結局ヲタファッションになってしまう。この時、「他人が見たらどう思うか」という視点や、「お前、どう思う?」と聞ける趣味や文化を異にする友達がいれば、ヲタファッションに陥る危険性は減る。

以前にも書いたように、私は靴を買う時に♀連れと共に行った。これは一人で行きたくないなーな気持ち(私は一人が苦手である)もあったのだが、やはり店員や自分以外の視点が重要だと思ったからである。連れは女性だし年齢も随分違うし体育会系だったらしいので、同じ会社の者とは言え私とは随分視点が違うことが期待できるのである。そういった人に「どう思う?」と聞けば、自分ウケや仲間ウケだけにならずに済む。もっとも当の連れが服を買う時に私があれこれ言ったら、「結局自分の着たい服を着るのが一番なんです」とか言っていたので、こいつはヲタ予備軍なのかも知れん。

私が「電車男」の話で一番感動し、またヲタが学ぶべきだと思ったことは、最初は「アキカジ」だったヲタがだんだんと好青年に変化して行く様である。最初の方で彼は「僕はそんな服は苦手で」みたいなことを言っていたのであるが、周囲が「脱アキカジ」を強く勧めてだんだん垢抜けた格好にさせて行ったのである。

その結果を自分でフィードバックしつつ学習し、アキカジから脱して垢抜けて行く。それと共に人物も真性ヲタから好青年になって行く。これがあのストーリーの中での重要な点であると思う。彼は「エルメスさん」あるいは「スレの応援団」という「他者の視点」を得て、またそれを彼のものとすることによって、ヲタから脱したのであろうと考える。

人間は格好を変えるだけで人生までも変えられるのである。