何も正しいことばかり書かなきゃいけないもんじゃなし

西田君が「あとで消す」って書いてたエントリがあった。

消してしまったものを、引用で復活させるのもアレなんで引用はしないけど、簡単に要約してしまうと、「正しく有益なものでなかったら書くべきじゃないな」という個人的なポリシーの話だった。まぁ一生懸命「他人のため」に書いている彼に水を差してもしょうがないけど、高々blogにそんなに気合入れなきゃいけないんだろうか。

彼の書くものは非常に真摯で、よく整理されている。彼のそういった能力は素晴しいし、それに期待をする人も多いだろう。間違いを垂れ流しに書く人達よりは、ずっといいと思う。

でも、件のエントリを見た時に「果してそこまでストイックにならなきゃいけないんだろうか?」と思ったものだ。もちろん正しさを追及するという姿勢が悪いわけじゃない。正しいことを書き続けることはいいことだと思う。でも、それはblogの類の

一面に過ぎない

のじゃなかろうか?

私も正しいこと、ためになることを書きたいと思う。もちろん←に書いているように、ここは雑文でしかないからもの凄く力を込めているわけではないが、進んで間違いを垂れ流そうという気はない。でも、多少間違いや思い込みがあってもいいかなと思って書いている。

その第一は、本当に間違っていれば、どこかの誰かが正してくれるという期待。

ネットの特に技術な世界では、間違いが通ってしまう程は甘くない。間違いを書けば、多分厳しいつっこみがあるだろう。書かずにいれば、つっこまれることはないかも知れない。だけど、書かずにいたら、直される機会も減る。もちろん、何も自分が間違いをする必要はなくて、同じような間違いをしてる他人がつっこまれているのを見れば、それはそれで参考になるんだけど、ちょっとスピード感が足りない。他人が直されるのが発見出来るまでは思い込みは続いてしまうわけで、それは時間がもったいないと思う。

第二は、本当に間違っているものはそんなに多くないということ。

技術的な問題でないものは、単なる立場や見解による違いでしかないものが少なくない。だから、「俺もそう思う」という人は、どんなことにもあるものだ。そういった人達にとって、文章にして提示出来るということは、その能力がない人達にとって嬉しいことだ。つまり、「俺の言いたいことを言ってくれた」ということ。そうやって文章化されれば、いろんな人のところに届くし、それによっていろんな「反応」が起きる。もちろんそれは間違っているかも知れない。でもそれならそれで適当に淘汰されるだろう。間違ってなかったら、やはり日の目を見せさせるべきだ。

第三は、他人の思いつきは結構役に立つということ。

自分にとっては本当に思いつきでしかないものでも、誰かの思考のヒントになることは少なくない。本当にくだらないことがきっかけになって、問題解決の糸口になったということは、自分の経験でも少なくない。どんなとっぴょうしもないことであっても、極論として参考にすることもある。内容の正しさなんてのはどうでもいい。誰かにとって真理だったという瞬間があったものは、「何か」のきっかけを持っていることが少なくない。

いずれも、

ネットの書き物はコミュニケーションでもある

ということから導かれることだ。コミュニケーションの過程でいろいろ変化させられるんだから、精度をひたすら求められる「教科書」とはちょっと違うということ。

だから、書いてることに凄い精度がなくても、「それはそれ」でいいんじゃないかと思う。「そんなもの他人の役には立たない」と勝手に決める必要なんてない。言葉に神が宿るのは、別に語った人が偉いからとは限らない。誰かが意味があると思って構成した文章が、全く役に立たないなんてことは、多分ない。

確かに間違いばかり書いていれば、「その程度の奴」と思われてしまうだろう。でも、間違いをしない努力をし過ぎていると、「間違いを恐れるという」ということで自縄自縛してしまう。

普段から程々に間違いをしつつ、スピード感や生々しさを出していれば、いろんなことが早く進むと共に、「拙速」ということで間違いをしたことはごまかせる。間違いなんてあってもいーじゃん。すぐ直して行けば。

何も正しいことばかり書かなきゃいけないもんじゃなし” への6件のコメント

  1. ネット上の情報は他の情報とのつながりが強いから、単体で間違っていてもそれほど問題視することはないですよね。派手に間違っていれば大抵はコメントとか、はてブとか、レスエントリとかで誰かが指摘してくれますし、そういう周辺の情報を含めて価値があるかどうかを判断すべきだと思います。有益な議論を巻き起こす下らない記事というのもありますし。紙媒体の切り離された情報とはちょっと違いますね。

  2. うん。そうそう。
    いろんなことを「しあう」ことが出来るのが、ネット上の文書のいいところなんだから、それに期待してもいいんじゃないかなーと思うわけ。

  3. ここで毒吐いてもしょうがないんですけどw

    世の中には大嘘書きまくって,指摘されても絶対に直さないどころかコメントやトラックバックも完全無視(承認拒否)する評論家兼大学教授もいますからねぇ.ああ言う人こそ

    > 正しく有益なものでなかったら書くべきじゃない

    と言う自己指針を持って欲しいですね(← ないものねだり・苦笑)

  4. www

    あれでも結構いろいろ役に立ってるわけですよ。他人のエントリのネタになるわけだから。「コミュニケーション」なのです。

  5. 純粋に技術的数学的な内容でなければ、今現在は『これが絶対に正しい!』と思って書いた文章でも、20年後には転がりまわるほど恥ずかしい内容なのはよくある事ですしね(苦笑)

    究極『正しくて有益か』は実は自分でなく受け手が判断することだったりする気もするので、今思う事を徒然なるままに書き綴るのもまたよろしかと。

  6. ピンバック: Bookmarks about Essay

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