サボることを前提にする

最近はあまり日記に書かなくなったけど、散歩の習慣は続いている。

だいたいにこういったことは続かないものなのだけど、散歩に関しては挫折することなく続いているのだ。それはなぜか。

私はだいたいに「継続」というはあまり得意でない。って、CALL/CCの話じゃないぞっと。何をやっても、あまり続かないのだ。「無遅刻無欠勤」の類はそんなに苦手ではないのだけど、自分の意思だけで続けるものがどうも苦手だ。途中で挫折してしまう。

でも、散歩だけは続いている。

実は散歩もサボりサボりだ。雨が降る日はサボるし、前の夜遅くて8時くらいまでに起きれなかったらサボるし、花粉の季節はサボるし、夏の暑い時もサボる。でも、ちゃんと続いている。なぜなら、

面倒臭いと思ったらサボる

ということに決めているからだ。

人間って弱いもので、すぐサボってしまう。そのくせプライドは高いものだから、サボっている自分が許せない。ちょっとサボったくらいなら「頑張れ俺」とか叱咤するのだけど、あまりにサボると「俺はこんなことはダメなんだ」と諦めてしまう。その方がサボったことへの罪悪感を感じなくてすむからだ。つまり、サボることに対して罪悪感があって、そういった自分が嫌になってしまってやめてしまうわけだ。

そこで発想を逆転して、「出来ない時は出来ない。それが当たり前だ」ということに決めてしまう。つまり、サボって当然ということにしてしまうのだ。そうすると、

サボった自分を責める必要がない

わけだ。だから、サボっても「ダメな俺」とか思う必要がない。「こんな日には無理だよ。サボって当然だろ、つかサボれ」みたいに思うようにするわけだ。そうすれば、サボる自分に罪悪感を感じることもなければ、ダメな自分を嫌いに思うこともない。

そうやって、ダラダラと続けるようにすれば、頑張って続けようとするよりもずっと続くものだ。自分に厳しけりゃいいってもんじゃないのだ。

サボることを前提にする” への1件のコメント

  1. > ダラダラと続けるようにすれば、頑張って続けようとするよりもずっと続く

    私の社長業もそんな感じです(ぉ)

    まあでも,早く誰かに代わって欲しいので,社長が雇える様にがんばります(笑)

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