ウィンプを否定しない

普段マッチョ思想バリバリなことを書いているように見えるけど、別にウィンプを否定するわけじゃない。

これは人の多様性を否定しないから… というよりは、「自分の多様性」を否定しないためだ。人は晴れた日もあれば雨の日もあるものだ。

「いつも強く元気であれ」と言うのは簡単だ。また、それは人生に置いての基本的な姿勢であってもおかしくない。だから、出来ることならみんなマッチョになれるといいなと思っている。問題は解決しないといつまでも抱えっぱなしになるし、障害は乗り超えて行かないと前に進めない。

じゃあ、そうでないものが否定されるかと言えば、

そんなことはない

人には晴れた日もあれば雨の日もある。いつも晴れてばかりというわけにも行かない。雨が降らなきゃ「水不足」にもなる。

頑張っても頑張り切れない時、どうしてもテンションが上がらない時、何をしても裏目に出てしまう時、そんな時は人生普通にある。そう「普通」にある。ない方がむしろおかしい。いつも順風満帆で元気一杯に働けて… なんてのは空想の世界だったらいいけど、現実にそんな奴が目の前にいたらきっとむかついてしょうがないだろう。と同時に「どっかおかしくね?」と思う。ゴムや発条は伸ばしたままだと伸び切ってしまうように、たまには縮めておいてやらないといけない。

また、人は基本的に「弱い」ものだ。どれだけ強靭な肉体を持っていても、包丁1本で殺すことが出来る。何でも思い通りに出来ると思い込んでいる人でも、自分の頭が禿げるのを止めることは出来ない。いくら足の速い人でも、原チャリよりも速る走れることすら出来ない。人の「強い」なんてのは高々その程度だ。マッチョとウィンプの違いは凄くあるように見えて、客観的には紙一重なのだ。

だから、「強くあれ、雄々しくあれ」と言うけれど、いつもそれが出来るとか、誰もそれが出来るとかなんてのは、最初から思ってない。他人はマッチョマンの弱い面を見たら失望するかも知れないが、そんなことを期待するのは「ダンコーガイ」を始めとする「空想上の存在」だけだ。いや、「空想上の存在」の「スパイダーマン」や「スーパーマン」だって苦悩しているではないか。

だから、ウィンプであることそれ自体は悪いことではない。悪いのはそれが慢性化してしまうことと、周囲にもそれを勧める行為だ。晴れの日ばかりがありえないように、雨の日ばかりもありえないわけだから。

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