母は強し

なんか分裂勘違い君がいきなり鉾を納めちゃったんだけど、きっと何かあるに違いない。

私は相変らずマッチョの話を続けちゃうんだけど、なんかまだ

マッチョとは特殊な人

という前提で話が続いているように見える。

私がしょうがなく「似非マッチョ」になった話は既に書いたのだけど、その後でさえも特殊な人達という前提での話がされているように見える。まぁみんなが私の雑文を読んでるわけでもないけど、私が経験したくらいなんだから、他にも同じ経験をした人は少なからずいるような気がする。私なんて結構ビビりだから、そういった者でもなんとかなって来たことやら、

世間のハードボイルドさ

から考えたら、よくも「似非マッチョ」にすらならずに生きて来れたものだと、ちょっとうらやましく思える。うちの家は酷い貧乏という程ではなかったが、子供のために金を出してくれるような気の効いた親じゃなかったから、学校出たら自分で生きるしかなかった。会社を作る時だって、よく「親や親戚から借金して」とか言う人がいるけど、そんなこともまるで出来なかった。だから、自分で頑張るしかないのが当然だと思ってた。

という話はまぁ前回の話のつけ足しに過ぎないわけで。

話は変わるが、私は「妊婦」がどうも苦手だ。なんつーか、腹の中に別の生命がいるというのが不思議というか、畏怖を通り越して恐怖を感じるのだ。それに、妊振するということは、「私は男とあーゆーことやこーゆーことをして、その結果がこうです」と看板をつけて歩いているようで、それもなんとなく恥ずかしい。妊婦になる前は「私、男の人なんて知りませんことよ」な顔をしている人でも、妊婦になってしまったら「もうずっこんばっこんハメまくりました」と明記して歩いてるようなもんだ。

その点、男はどうとも言い訳が出来る。「私、妊振したの」と女に言われた時の男は、まずは「え? 俺の子?」とか思うもので、そもそもその妊振が自分の行為の結果だとは、にわかに信じられない。女にとっては「そこにある紛れもない事実」である妊振も、男にとっては「自分の行為の結果を認識」しないと理解出来ない。仮に「女」がヤリマンだったりすると「俺の子と限った話じゃねーよな」と逃げる奴だっているだろう。また、相手が奥さんであっても、対外的に「あー、これは人工受精の結果であって、そーゆーみだらな行為はしてないよ」という顔も出来ないことではない。つまり、いくらでも逃げられるのだ。

女性は妊振してからも大変で、単に体調が悪くなったりするだけじゃなくて、診察の時なんかよく知らない男の前で大股開きをして○んこを晒したり、あまつさえ器具や指をつっこまれたりするらしい。まぁ男もそのあたりの病気になれば同じような経験をしないではないけれど、女性だと「妊振したら必ず」であるし、たいていの女性はそれを経験することになる。どれもこれも、「厳しい現実」であることに違いない。

さらに、「出産」なんてのはもう男には想像もつかない一大事で、それこそ命懸けなのだ。

だから、

子供を産んだ女性は妙に強い

ってのは、確かにそうだなと思う。まぁもちろんこんなものには例外はあるんだけど、たいていの人が子供を産む前と後とでは、「まるで別人」と思える程強くなっている。

昔このことに気がついた時に聞いてみたことがあるのだけど、結局それは「子供を産む」という現実からは、どれだけ苦しかろうと恐かろうと、逃げたくても逃げられないということから来るものらしい。それを乗り超えないと、生きて行くことすらおぼつかない。産むと決めたらそこから逃げることは出来ないし、産んでしまったら育てるしかない。そういう、ありとあらゆる

やるしかない

ことから逃げられないし、それを超えちゃうんだから、強くなって当然なんだとか。後から敵が攻めて来て、逃げないと殺されるって時に、前には谷にかかった丸木橋。恐いけどそれを超えないと殺されちゃう… みたいな感じなのかなぁと、子供を産んだことがない私は思うわけだ。

で、これは「一部の女性」に起きることではない。最近は母親にならない女性が少なくないとは言え、やっぱりほとんどの女性は母親になる。母親になるということは、こういった「男には想像もつかない大変なこと」を経験して来るわけだ。そう考えてみると、

女こそマッチョ

と感じてしまうのだが、それは「特別」ではないのだ。ほとんどの女性はそれを経験するし、経験しなかった人でもそうなる素質は持っている。つまり、誰でも出来てしまうことのわけだ。

これは果して女性だけ特別なことなんだろうか? 確かに妊振や出産をするのは女性の特権なわけだけど、そういう「乗り超えないと命すら保証されない」ことに対する耐性って、女性だけが強いのだろうか? これに「Yes」と答えてしまうと、

男って情けない生き物

ということになってしまうような気がする。まぁ実際そう言う人もいるんだけど、「そうじゃない」と言いたい私がいる。

今は「文化的暮し」をしている現代日本人だって、歴史を遡れば生命を危険に晒しながら生きて来たし、海外に行けばいまだにそんな地域はある。もちろんそれは弱肉強食の世界で、弱いものは死ぬしかない世界だったりするわけだけど、「人」はたいてい生き延びて来た(でなきゃ絶滅してる)。それを思えば、人は実は案外強いもので、現代ではそれを忘れてしまっているだけではないかという気がする。つまり、

誰でもマッチョになる素質はある

というわけだ。いや、もちろんこれは仮説に過ぎないから否定するのは構わないんだけど、否定しない方が幸せじゃないか。だから私はマトモな検証をしないで、そう信じ込むことにする。受け入れるかどうかは読んだ人の自由だけど。

母は強し” への5件のコメント

  1. 実際、妊娠すると女性ホルモンの関係で強くなるとか、テレビで最近やってました。

    まぁ、女性ホルモンなんかどうでもよく、テレビで言われる以前に実感してますが:)

  2. 仕事してても女性の方が精神的にはマッチョだなと実感することありますね。
    トラブルが起きたときの不退転っぷりを見ていると。

  3. > トラブルが起きたときの不退転っぷり

    あああああ。確かに。するとやっぱり、

    > 女性ホルモンの関係で強くなる

    ってことで、女性固有の強さなのかなぁ。

    男が実はひ弱だってことは、あまり認めたくないものなんだが。

  4. 自分はこども産んだことないですが、まわりを見る限り、母の強さって単純に開き直りじゃないかと思います。
    開き直って目の前の課題をなんとかする母たちは確かに強いなーと思います。でも、たまになんとかならず、周囲を巻き込んで壊滅状態になることもありますよ。
    壊滅をも恐れない強さというのは感じますが。

  5. > 単純に開き直りじゃないか

    開き直るしかないんじゃないかって気がします。

    開き直るってのはそれはそれでマッチョですよね。

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