「デバイド」を生む一番のものは言語力ではないか?

学校の後輩と「スキル」について話していたのだが、その中で「日本語力」が大事だという話になった。

そこからつらつらと考えてみたら、「デバイド」を生む一番のものは「言語力」ではないかということに気がついた。

これもあまり長々と書く必要がないことだと思うのだけど…

この話の発端は「mixiは頭打ちだ」ということ。

mixiのようなところで楽しく遊ぶには、「日記」が大事だ。ネタは「猫にゃー」でも問題はないし、むしろその方が「親しみ」がわきやすい。もちろん「難しいネタ」でも構わない。大事なのは、

読者を魅了すること

なわけだ。知らない人との関係を築いて行こうと思ったら、その「知らない人」を魅了する何かがなければならない。ネタの好き嫌いは人それぞれだけど、興味をひくネタであっても、書き方次第で面白くもつまらなくもなる。そして評価が上がって固定読者が出来て… この辺のメカニズムはblogでも同じと言えば同じなんだけど、「SNSという遊戯」の場合はその目的として「友達を作る」というのがあるわけなので、「ネタがいい」ことよりも「魅力を感じる」ことが大事だ。

まーSNSを使う目的はいろいろあるので、「友達の輪を拡げる」だけが目的ではないというのはあるのだが、それについてはまた後で書く。

こういった事情はSNSに限らない。ネット上のほとんどの「遊戯」は「何かを書く」ということと「書かれたものを読む」ということが中心になっている。「ニコ動」であっても、テキストとしての文章はコメントしかないが、動画そのものが文章表現だと言えなくもない。

受動的に遊ぶのに「言語」はいらないように見える。だけど、「読む」という行為にはやはり言語が必要だ。その証拠に知らない言語のコメディを見ても、そんなに面白くない。そりゃ「身体」という言語もあるから全くわからないではないけど。

そうやって考えて行くと、「ネット」で遊ぶ、あるいは利用するためには、他のものにも増して言語力が必要だということになる。世の中での「デジタルデバイド」云々という文脈では、たいてい「コンピュータが使えるかどうか」的な話に行くのだけど、そういったものは技術がいくらでも解決してくれる。発展途上国ではネットを引くコストとかという議論もあるけど、それにしても技術が解決してくれる。つまり、外的な「デバイド」の要因はどんどん半自動的に解決してくれる。

ところが、それを「(楽しく)使うかどうか」はまた別の問題で、言語力が不足していたら使えなかったり、使うのが苦痛だったりすることになる。つまり、結局デバイドされてしまう。デバイドされないためには、

言語力

を身につけることが一番大事だなということになるわけだ。