忙しいかどうかはあまり関係ない気がする

Geekなページより。

オープンソースに貢献する日本人エンジニアが少ない理由

ここの第一に「忙しすぎる」と書いてあるけど、それはあまり関係ないんでねーかなーというのが、個人的な経験。

私自身、「暇だなー」と思ったことは、病院の待ち時間以外にはここ20年以上ないような気がする。むしろ、いつも無駄に忙しかったりすることが多い。何が「無駄」かと言えば、結果が評価されないような仕事や作業のせいで忙しいとか、スケジューリングに失敗して忙しいとかで、あまり実りがないことだったから。まぁそういった評価は人それぞれなんだろうけど。

とは言え、暇な時が全くないかと言えばそうじゃないし、時間が作って作れないこともなかったのだけど、そんな時にプログラム書きたいと思ったかと言えばそうじゃない。むしろ、そういった創作意欲は忙しい時ほど多い気がするし、結構時間のやりくりも出来ていたような気がする。だから、忙しいとか暇だとかといったようなことで、プログラムを書く書かないというのは、あまり関係がない。だいたい、忙しい時ほど「現実逃避のための思索」をするのが普通だから、暇な時は時間はあっても、その時間を使うためのアイディアが出て来ない。

また、日本に優れたプログラムがないかと言えば、そんなこともないと思う。あまり世間で知られてないけど、結構凄いプログラムは世間にいる。それがオープンソースになってなかったり、なっていても知られてなかったりするだけのこと。

たとえば、Linux以前に日本でGPLなUNIX互換カーネルプロジェクトがあったことを知っている人がどれだけいるだろう?

たとえば、Mach Ver 3.0をPC98に移植してDOS extenderとして使う遊戯があったことを知っている人がどれだけいるだろう?

どちらも当時は私の周囲の人がやっていたことなんだけど、多分世の中のほとんどの人は知らない。もちろん知らせる努力をしなかったということもあるけど、評価する人もいなかった。

Geekなページに書かれていることは、主に「やっている人とその周辺」に限った話だけど、私はその辺はどこでも大差ない気がする。そりゃ英語でドキュメント書いてfreshmeatにでも載せれば、どんなクソプログラムでもメールの1通や2通の反応が来るから、それを見ていれば「やっぱり日本だめね」「英語でゴーゴー」とか思うだろうけど、それは単に母集合を大きくしたからだけのように思う。

むしろ私が思うのは、いろんなコミュニティ間の「風通しの悪さ」の方が大きいと思う。コミュニティが違うと評価しようともしないし、そもそも話が伝わらなかったりする。確かに「オープンソースの神髄はバザールだよ」という論も正しいとは思うけど、競いあうだけの規模がない時には、協力しあうべきだ。

そんなこともあってLinuxが日本に紹介された時には、なるべくコミュニティ間のつながりを増やす努力をした。確かにそれは反バザール的な行為かも知れないけれど、minixの時みたいにただでさえ小さなコミュニティをさらに分断させるようなことが起きるのは、少なくともその時点ではもったいないことだと思ったわけ。

こういったのってのは、「火を起こす」のと同じで、最初は火種はまとめておいた方が消えたりしない。でも、そこそこ大きくなったら広めた方が火は大きくなるし、消えるリスクも減る。そういった「フェーズに合ったこと」というのはあるものだと思う。

日本だとコミュニティの結束は固い。「同じコミュニティだ」と認識された時点で助けあいは強くなる。ところが、「別コミュニティだ」と認識されると、助けあいはなくなるどころか足のひっぱりあいをするようになる。これを道徳だ倫理だと言ってもしょうがないわけで、何かをする時には「そういうもんだ」と思っておく方が建設的だ。

いろいろ考える材料で問題点を挙げるのは、「第一歩」としては悪くないと思うんだけど、それが改善の見込みがない問題点であるなら、「そういったもの」と認めてしまって「だったらどうする」を考えたり提示したりする方がいいと思う。まぁその辺にビジネスの種は転がっているので、無闇にblogに書いたりしないというのもアリだけどね。