「ニコ動」に限らずネットに何らかの「作品」を公開した時、「無自覚な批評」を受けることが少なくない。「だったらお前やってみろよ」と言い返したくなるような批評である。
こういったものは言われると腹が立ってしょうがないのだが、いわゆる「アンチ」による批判でない限り、それは甘んじて受けるべきである。
普通の人は、「自分の作品」に対する評価は、甘過ぎるか辛過ぎるかのどちらかに偏るものだ。これは同じようなことをやっている他人への評価も同じで、たいていどちらかに偏る傾向にある。
辛過ぎる方は要するに「自分に厳しい人」だ。「あくなき探求」を背景に持ち、「自分の理想」をモノサシに評価をすると、どうやっても厳しくなる。他人が良い評価をしても、「いや、まだまだあれもこれもやらないと」と言ってしまう人にはこの傾向にある。こういった人はたいてい「同業他社」に対しても厳しい。「目指すべき理想」が見えてしまっているから、どうやっても厳しくなる。
逆に「労力」とか「苦労」をベースに評価する人は、甘過ぎる評価を下しやすい。「ここまで頑張ったんだから」と思ってしまうわけだ。自分には厳しい人でも、同じことをやっている他人に厳しくなってしまう人は少なくない。他人の苦労がわかるからだ。
だって、どんなに頑張っても「リン」は「とかち」になってくれないんだもん。いくら鼻かませても、鼻詰まり治してくれないんだもん。みんな同じ苦労して、みんな同じようにつまづいて。それを思うと、「ここまで」出来ていれば立派なもんだよね… とか思って評価してしまう。
そんな時に、無自覚に客観的な評価を下す人には、腹が立ってしょうがない。「だったらお前がやってみろよ」と言いたくなる。「作った奴の苦労を知れよ」と言いたくなる。実際そんなコメントのついた動画も少なくない。
とは言え、そういった「オープンな場」に公開してしまったら、そういった評価は甘んじて受けなければならない。なぜなら、「公開する」ということは、
評価する権利を与えてしまう
ということでもあるからだ。
どんなものであれ、どんな形態であれ、「他人に提供」してしまったものは、他人のリソースを奪う。金、時間、手間… そういったものを奪うのだ。その「お返し」として、「満足」を提供するのは、制作者の義務なのだ。「満足」のカタチにはいろいろなものがあるから、必ずしも「素晴しい作品」を提供する必要はないかも知れない。それでも、「奪ったもの」に見合った結果を返さなければ、泥棒と同じなのだ。
「制作者」だけのコミュニティで公開されるのであれば、「酒の肴」になるだけでも十分かも知れない。「同じ苦労してるよなー」と確かめあうだけでも、良いかも知れない。でも、それは結局のところ自己満足で終わってしまう、
オタク行為
に過ぎないのだ。コミュニティの外に通用しないものは、結局たいしたものじゃない。そういった意味では、「できねーくせに文句言うな」という言葉は、吐いてしまったら負けなのだ。もしプロであるなら、そんな言葉を吐いてしまったら、その場で腹を切って死ぬべきだ。もちろん「アマチュア創作」の制作者にそこまでの覚悟を求めるのは酷ではあるのだが、自分に向上心があるなら甘んじて受けるべきだ。そうやって無自覚無責任な批評でボコボコにされることこそが、「上達」への近道なのだから。
「かわいい子はblogに晒せ」と小飼さんが言っているが、別にこれはblogとかそういったものに限らない。何でも「作品」は晒して叩かれることが「上達」の素であり、またそれが制作者の「強さ」も生む。
まー、今のネットは「わかる人にだけ公開」みたいなことが出来ないので、「練習用の評価を受けたい」な時には使いにくいのではあるけど、当面は「スルー力」でその辺は乗り切るしかない。でも、そういった「冷たい評価」を受けるということは、そこそこのものになったとして喜ぶべきことでもある。「暖かい目」で見られるなんて、幼稚園児扱いみたいで、それこそ気持ち悪いじゃん。
たしかに12月12日の日記の米に対して示したあんたのスルー力は素晴らしかったね。
もっとも、ブログは「チラ裏だからクオリティ低くても構わない」と開きなおるくせにニコ動は「オープンな場だからクオリティが要求されるのは当然」っていう基準が俺には理解できないんだけど。
> あんたのスルー力は素晴らしかった
いや、君みたいなのは、もっと綺麗にスルーしなきゃいけないんだよね。だから、まだまだなんだよ。
人目に晒せば批判は避けがたいですが、その自由な批判こそが自分の殻を破ってさらに上に向かう道しるべになるのも事実ですよね。
まぁ、出来れば
『くだらねぇ』『カス』
とか言う批判より
『高音の伸びが欲しい』『スタッカート多すぎw』
とか言う具体的な批判の方がありがたいですな。
何せ前者は対処のしようがないですからね(苦笑)
> 具体的な批判の方がありがたい
まーそうなんだけど。
「アンチ」はスルーでいいのです。意図を理解しない人、何でもいいからケチつけたい人ってのは確実にいて、そういった人達の言うことまで聞いていると、おかしな方向に行ってしまうので。アンチかどうかは、区別するのは難しいのですが。
で、どう?
俺の批評はあんたのブログの「上達」への近道になってる?
なってるよな当然。
あんたの理屈どおりなら。
> 俺の批評はあんたのブログの「上達」への近道になってる?
もちろん。ネタにもなるしね。
「うっとおしい」とは思うし、「アンチ」の一種だろうとは思うけど、役に立つかどうかとそれは別のこと。
靴の裏のガムが役に立つのかい?
言ってることに整合性がないねえ。
俺はネガコメするだけじゃなくて具体的な矛盾を批判してるつもりだけど、それでもアンチ認定なの?
あとさ
>コミュニティの外に通用しないものは、結局たいしたものじゃない。
って言うけどどんな価値基準もどこかのコミュニティに付属した価値基準でしょ。ネット上の作品がネット上のコミュニティの価値基準で判断されるだけだとしても、それで向上心がないことにはならないと思うんだけどな。なんでニコ動の職人さんがあんたに向上心について説教されなきゃいけないんだろ。
> ニコ動の職人さんがあんたに向上心について説教されなきゃいけない
こんなトンチンカンな読み方しか出来ないから、「アンチ認定」なんだよ。そんなことどこにも書いてないぞ。
前のエントリでもスルーしたのは、そういったことだ。
> 靴の裏のガムが役に立つのかい? 言ってることに整合性がないねえ。
君は「他山の石」という言葉を知らないんだな。そういった皮肉も通じないなんて、どんだけゆとりなんだよ。
>> 靴の裏のガムが役に立つのかい? 言ってることに整合性がないねえ。
>君は「他山の石」という言葉を知らないんだな
と言うか、自分を靴の裏のガムだとは認識していると言うのがスゲェ。
人の討論に突っ込むはちと無粋だがあまりに感動したのでコメントさせてもらいましたw
>アンチかどうかは、区別するのは難しいのですが
明らかにアンチの人はいいんですが
「さらなる調教を希望」とか「もう少し手を入れるともっと良くなる」とか言われると、
「どのあたりが気になるかだけでも言ってくれ~!」と言う感じになりますねw
仲間内だけでやってると、どうしても仲間内だけの狭い視界で物を見るようになるので、全く新しい目で批評してくれる相手は貴重ですから、出来る限り他山の石にしたいと欲張ってしまいますね(苦笑)
悪意はスルーすればいいけど、微妙な善意は厄介って奴ですね。
「具体的にどうすれば」を答えるのは難しいと思いますよ。でも、いくら素人でも「なんとなくおかしい」という点に関しては、本人よりもよく嗅ぎつけるもの。なかなか難しい。
>いくら素人でも「なんとなくおかしい」という点に関しては~
ホントにそうなんですよね~
特にミク関係は変に音楽関係の知識があるとテクニックの方に耳が行ってしまって「純粋に歌として聞いたらどうなのか」と言う点に関しては素人さんの方が厳しいかもw
最近、鏡音のリンさんはアイマス方面に進出し始めているようですが、こっちは耳の肥えた素人さんが批評するので大変そうです。