「広告」について業界人が黙っていること

私は10年ちょっと前まで、広告業界(民放テレビ)にいた。

仕事は広告そのものではなかったが、会社の売上のほとんどは広告収入であったから、結構広告には敏感になっていた。だって、どれだけ広告が入るかで自分のボーナスが変動するんだから、敏感にならざるをえない。また、異動も結構無茶なものが多かったから、「生越君来月から広告営業ね」と言われる可能性もあった。実際、私が辞めた後しばらくして、エンジニアの後輩が広告営業にさせられていたし。

というわけで、広告というのは興味のある世界だ。また、今やろうとしていて、メインに据えようとしている仕事も、実は広告業だ。

広告には、案外知られていない、広告屋もそれを黙っているいくつかの事実がある。今時だとネットの広告とかあるし、アフェリエイトもやっている人は結構いるので、広告は身近なことだと思う。だから、その辺の話をちょっとだけ。

まず第一に、

広告を覚えている奴はロクにいない

ということだ。これはAdblock云々で見てないからとかとは関係ない。表示させていても同じだし、ネットの広告に限らない。

たとえば、あなたがいつも電車を待つホームには、たいてい広告があるだろう。電車で待つ場所はたいてい決まっているから、目の前にある広告はいつも同じはずだ。では、それが何だか覚えているだろうか。あるいは自由通路の壁にどんな広告があったか覚えているだろうか? またたとえば、あなたがいつも見るニュースサイトや情報のサイトのトップにある広告を覚えているだろうか?

これを「覚えてるさ。○○だろ」と言える人は案外少ない。とゆーか、覚えている方が珍しい。毎日ほぼ同じものを見ていながら、覚えているものは少ないのだ。また覚えているものであっても、好意的な理由で覚えているものは案外少ない。「いつもこの広告むかつくんだよなー」的な理由で覚えているものがかなりの割合だと思う。もちろん特徴的で面白い広告は、好意的に覚えているものもあるだろうが、どっちかと言えばそれは少数派だ。

だから、広告は単に何となく出しても、ほとんど覚えてもらえない。それは好意を持たれようと持たれまいと、大差がない。アフェリエイトのように、本文に連動して「その場」でアクションさせるものであれば、視聴者のニーズに合っていれば使われるので目的を達成するが、バナー広告のように「告知だけ」のものは、ほとんど何の役にも立っていない。商品認知度も上がらない。

第二に、

既に確立したブランドの広告はあまり意味を持たない

ということ。これは一部では「ナショナルの実験」ということで知られている。

一時(2005年12月10日〜19日の10日間)、ナショナルは全ての自社広告枠で、こんなCMを流していた。

いや、これはMADだからこれそのものじゃないけど。

その間、他のCMは全てカットされた。時期はちょうどボーナス商戦。この頃に一般CMが流せないのは、広告業界の常識としては実に厳しい。ところがこの年、松下のプラズマテレビは、馬鹿売れに売れた。つまり、CMをカットしたことによるダメージは皆無だったのだ。いや、やっていればもっと売れたのかも知れないが、やってなくても十分に売れた。この辺の話は、

民放の根幹を揺るがす、ある“深刻な”事態(2)

に詳しいので、詳しくはそっちを見てもらうといい。まー、何にせよ、「テレビCMなくても売れてしまった」のは事実だ。

もちろんこれは、松下が既にブランド力を持っていて、その力が大きかったという当然の理由ではある。とは言え、それまでの常識では、

売れ行きは広告の量に強い相関がある

とされていたことが覆されてしまったのだ。これは、CMの価格を決定する大きい要素の一つである「GRP(延べ視聴率 Gross Rating Point)」というものの前提を崩してしまうということで、非常に大きな出来事であった。

第三は、

実は視聴者は広告が見たい

ということ。

これは、日頃我々がAdblockやCMカット等を使って、「いかにして邪魔な広告を消すか」に腐心しているという常識に反しているのだが、実は視聴者は広告は見たいのだ。

たとえば、新聞の折り込みに入っている「スーパーの広告のチラシ」は結構見るものだと思う。あれが見たいがために新聞を取っているという話をする人すらいるくらいだ。夕刊紙の「三行広告」の怪しさも、なかなか楽しいものがある。

あるいは街に置いてあるフリーペーパーの類。別に割引チケットがなくても、結構取って行くものだ。今の時期、結構ありがたい。

あるいは、「価格.com」とか「coneco.net」はわざわざ見に行く人は少なくないだろう。あそこに出ているものは全て「広告」であるにも関わらずだ。同じようなサイトはいくらでもある。

つまり、「広告」それ自体が嫌われているわけではないということだ。嫌われるのは、「邪魔になる広告」であって、「必要な情報」になっている広告はむしろ必要とされているのだ。

まぁそんなわけで、広告の業界には我々が知らないことや、業界人が知ってても黙っていることは結構ある。「広告業」をやる人は少ないかも知れないが、「広告主」になるチャンスは誰にもある。広告にはこういった知らないことや教えてくれないことも結構あるので、広告に関わる人は興味を持って調べてみると面白いと思う。

「広告」について業界人が黙っていること” への3件のコメント

  1. 実は広告が見たいにはとても同意です.うざいポップアップブロックはしているけど,Amazonのおすすめはけっこうあてにして読んでます.内容はともかく,出し方で印象もかわる.
    私はけっこう街で目にする看板の位置や売り文句?も覚えているんですが,ネタ収集の意味も含めて(笑),メディアというもの自体に興味をもって眺めているからなんでしょうかね.
    面白いCMって,わざわざメーカーのサイトに動画を見にいきますよね^^;.海外のCM大賞に選ばれるやつも面白いし.商品やブランドにそれなりに関連させつつ,15秒なり30秒なりでインパクトを持たせつつまとめなければいけないという制約があるから,作品としても面白いものが出てくるのかなぁと思っています.

  2. 結局のところ、人は「価値のあるもの」には興味があるけど、「単なる邪魔」はない方がいいと思っている… という、ごく単純な話なんですよね。

    だから、視聴者に「我慢」を要求するタイプの広告はどんなに上手にやっても嫌われるけど、「情報」や「楽しみ」を提供するタイプの広告はむしろ好まれる。

  3. ピンバック: bookmark_2007-12-03

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