[2004年9月26日] 乾山
(Gone Shan)

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コ−ス=MTR.筌湾-(Bus60M)-屯門中心-(Taxi)-良景邨-乾山-
-柴田村(康寶路)-KCR.兆康-(KCR,西鉄線)-美孚-(MTR)-尖沙阻

参考資料=「新界西北部 郊區地図2000年第三版」
   「香港街道地方指南2001年版」

≪全般概要≫
今日は初めてのコ−スに挑戦! 新界西北部の“乾山”(Gone Shan) と云う山。但し参考資料の同郊區地図には標高394m の三角点印は有るものの山の名前はなし、街道地方指南の方にその名前が載っている。“乾山”は香港本土、新界西北部の中でも最も西に位置する“屯門”(Tuen Mun) の近く、“操炮區界線”(Firing Range Boundary) と呼ばれる昔の軍の演習場の中に位置して、南側の“青山”(Tsing Shan)キャッスルピ−クと北側の“圓頭山”(Yuen Tau Shan) の中間にある山。既に何回も登ったキャッスルピ−クから北側に下山する度に、遥か前方彼方に見えていた“乾山”に一度は登ってみたいな〜と狙っていた。

今日の気温29度、湿度83%、若干カスミがかってはいるが概ね好天。集合場所の“筌湾”(Tsuen Wan) に集まった仲間9名とMTR“筌湾”駅からダブルデッカ−で“屯門”へ。そこからタクシ−二台に分乗してキャッスルピ−クからの下山道、“良景邨”(Leung King Est.) と云う団地へ向かう。キャッスルピ−クからの下山時の記憶を思い出しながら団地の端の登山口を探す。どうやらそれらしき舗装坂道を見つけ出して登り出す。かなりの距離の急坂が続いて汗ダクになりながら、やっとキャッスルピ−クからの下山ポイントまで辿り着いた。ここからが本格的な“乾山”登山ル−トだッ!

ガレ道を登って最初のピ−クへ、一旦平道となって尾根道へ、その後はガレ道と岩だらけの急な登坂が続く。そして“乾山”直前の珍しく木が生えているピ−ク脇に辿り着いて小休止。後は目前の“乾山”を目指して最後の一踏ん張り、そして遂に394mの頂上制覇。キャッスルピ−クからの展望と同じく、またその名のごとく“乾いた山”って感じの周囲一面ガレ山の珍しい光景に息をのみながら暫しの休憩。北側への下りル−トもガレ道急坂下りが続く。200m程も下ってやっと平らなル−トになるが相変わらずガレ道が続き、それから再度登り坂。ちょっと登って小さな尾根伝いに進んだ途中、そのまま直進すれば前方の“圓頭山”へ至るが、そろそろ地図上では右(東側) への下りル−トがある筈だ、と思いながら注視するとそれらしき草が倒れた谷部が見えた。

何とかなるだろう、と考えながらハッキリしないル−トを下り出す。ガレ道から草道に変わる場所まで降りてきた所でル−トは消失? しかしそのまま道なき道を下って行ったら猛烈なヤブ漕ぎとなってしまった。下の方に見える舗装小道を目指してヤブ漕ぎ下山をする内に危険な岩場の沢の上に出て慌てて迂回、やっと沢の横から降れそうな箇所を見つけて強引に沢横に降り立った。一同ホットして一休み、舗装小道を下っていったら“柴田村”(Tsz Tin Tsuen) と呼ばれる近くの“康寶路”(Hong Po Road ) に出た。

そのまま舗装路をテクテク歩いて大通りとなり、“兆康苑”(Siu Hong Court) の団地近くから“屯門公路”(Yuen Mun Rd.) のハイウェイに出てやっとLRT (軽便鉄道) と KCR (西鉄線) の“兆康”(Siu Hong) 駅に到着。ト−タル約9qの歩き。昨年12月に開通したばかりの KCR (西鉄線) に乗ってMTR“美孚”(Mei Foo)〜“尖沙阻”(Tsim Sha Tsui) と乗り継ぎ、今日最後の打ち上げ〆は久しぶりに“尖沙阻”の韓国レストランでした。

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↓“良景邨”の団地の中で登山口を訪ねたりするが不明? 団地の一番奥まで進み以前の記憶を頼りにそれらしき舗装坂道を見つけ出して先ずは出発前の記念写真[写真No.02]。カンカン日照りの下、傘を差して汗ダクになりながら坂道を登り出す。やっと見覚えのあるキャッスルピ−クからの下山ポイント、小さな広場に着いて舗装坂道は終わった[07]。

↓ここからが本格的な“乾山”へのル−ト[08]、ガレ道を登って行くと後ろにはキャッスルピ−クの雄大な山並みと先ほどの小広場がもう遥か下の方に![10]。周囲の荒れた光景を見ながら更に登って行くとやがて最初の丘付近、写真[13]の左側の山が目指す“乾山”だッ! この小高い丘の上で小休止。

↓若干霞むキャッスルピ−クを背景に又もや記念写真[15]、[16]。先ずは写真[17]右側の“乾山”手前のピ−クを目指してこれよりしばらく尾根伝いの道が続く、、、ふと振り返ればキャッスルピ−クの威容![19]。写真[20]は“先発切り込み隊長”が早くも手前のピ−クの壁面に張り付いているデジタルズ−ム写真だッ! 右手に広がる“屯門”の街並み[21]。 

↓快適な尾根道歩きが終り、いよいよ最初のピ−クを目指して荒れたガレ道登坂に挑む一同[23]、[24]、、、急坂登りに息切れして、時々足を止めて返り見れば今まで歩いて来たル−ト[25]。周囲の光景は本当に荒れて乾燥した地肌、、、しかしそんな場所でも注意して見ると小さくも可憐な花が咲いていた![27]、[28]

↓写真[29]は先行した“切り込み隊長”が振り返って仲間達を撮影したもの。最初のピ−ク脇を越えたらもう間もなく“乾山”だ! 右手に広がる“屯門”の街並みとその向こうには“九徑山(九峰峯)”[31]。最後の坂を登って遂に“乾山”394mの頂上に立った[32]。北側の海は“后海灣”(Hau Hoi Wan) の架橋工事、その向こうは中国“珠江”方面だが、残念ながらカスミの中![33]。周囲一面まるでビンラディン親分が潜むアフガンの砂漠、丘陵地帯のような風景が広がっている!

↓南西側の景色[36]と東側の“屯門”一体[37]。北側にはこれから進む尾根道ル−トとその先には以前登った“圓頭山”も[38]! 頂上で小休止の後いよいよ出発、先ずは急坂下りだ。地図で等高線を読むと一気に200m近くも下らなければならない[40]、、、そしてやっと麓の尾根道に降り立つ。、、、しばらく続く尾根道歩き。 

↓返り見た“乾山”[43]、、、小さなアップダウンを繰返しながらル−トは再度徐々に登り坂となる。地図上ではこの辺りから点線ル−トで右(東)側に下りル−トがあるが? それらしき道も見当たらず、そのまま小高い丘の上まで来たら“圓頭山”とその手前のピ−クが間近になってきた地点[45]、[46]まで辿り着いた。このまま前進したら地図上ではその次のピ−ク手前からも点線の下山ル−トが有るが何とも怪しい? 意を決してこの地点から渓谷沿いに下山開始! しばらく下るとガレ道ではなく雑草が茂った中の獣道のようなル−トが何となく続く。

↓やがて樹木が生えてる地点まで下って来たら[50]、、、そこからが大変、ヤブ漕ぎ歩きとなってしまった。どうやら途中でル−トを間違ったか? ル−ト消滅状態だったようだ! すぐ下には木々の間に細い舗装路が垣間見える。何とかあそこまで降りたい、とヤブの中を必死にル−トを探すと沢の横からどうやら降れそう! 先ずは強引に、そして恐々岩に這いつくばりながら下る、、、そして最初に着地してホッ! 続いて“切込み隊長”が優しく後続部隊を援護する[51]〜[53]。やがて全員無事に沢の傍の小道に降り立ちヘタリ込んでしまった[54]! バナナ園のような小道を下って行くと、、、 

↓徐々に道幅は広くなりやがて民家の傍近く、、、“康寶路”に出た[58]。地図で確認するとどうやら“柴田村”と呼ばれる界隈らしい。そのまま舗装路をテクテク歩いて大通りとなった。左手には“圓頭山”[59]、後ろにはキャッスルピ−クも[60]、、、間もなく“兆康苑”の団地近くから“屯門公路”のハイウェイに出てやっと“兆康”駅に到着。初のKCR (西鉄線) に乗ってMTR“美孚” 〜“尖沙阻”と乗り継ぎ、今日は豪華に韓国料理と洒落込みました。

以前から狙っていた“乾山”登山を遂に達成! これで“キャッスルピ−ク”〜“乾山”の尾根道ル−トを完走、次回は“乾山”〜“圓頭山”を歩くぞー!
それにしても初めて乗ったKCR (九広鉄路) の西部路線(西鉄) は新車両でなかなか快適。従来、LRT(軽便鉄路)の走る北西部の団地と香港の中心部をむすぶ主な交通手段は、バスと地下鉄の乗り継ぎだったが、2003年12月に開通したこの新路線は“元朗”から先は、“朗屏”を除く“天水圍” (Tin Shui Wai)、“兆康”、“屯門”の4駅でLRTと接続している。またMTR“筌灣線”(Tsuen Wan Line) とは“美孚”で接続され、MTR“東涌線”(Tung Chung Line) には“南昌”で接続されている。(にわか勉強!)
また“乾山”頂上からは話には聞いていた2005年完成予定とかの“天水圍”から中国“珠江”デルタを横切る橋の工事も見られた。ランタウ島のディズニ−ランドもしかり、年々開発が進む香港だッ!

過去の関連レポ−ト
[2003年11月16日] 青山 (Castle Peak)
[2003年4月20日] 圓頭山 (Yuen Tau Shan)

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