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あの、左利きを禁忌として扱う精神性って、地域によって違いがあるように思うのですが、どうなのでしょうか。もちろん年齢と世代に大きく関係があるのはまぎれもない事実ですが、、、。
このあたり、ちゃんとした統計がないと断言できないのですが、この感覚は、「儒教精神」や、「男尊女卑」、「年功序列」などの傾向のある地域と一致しているように思えてなりません。 あまり悪い意味でとらえてほしくないのですが、一見よしとされている「礼儀正しさ」や、「身だしなみ」などの基準が厳格に求められてきた風土のある「土地柄」のあるところが、ある一定の傾向をもって、つまるところ保守的なだけであったり、自動化されてあたりまえのこととされている「差別」のようなものであったりする意識を強く植えつけられているような気がします。 以前、とある会社でアルバイトをしていたのですが、そのとき、まあ偶然かもしれませんが、西のほうの出身地の社員の人々に、それも西にいけばいくほど激しい揶揄表現や不快な見識を持っていることを実感させられたことがあります。「今からでも遅くないから直したら?」などという一見アドバイスのようでいながら侮蔑でしかないような発言を何度も聞かされ続けました(ちなみに東京都内の会社です)。 まあ僕としては、「それより自分の訛りを直したらどうだ」とか、「あんたの特徴ありすぎる名字を何とかしろよ」とか過激なことを思いながらその不快感をやり過ごしていましたが、、、。あまりいいことではありませんね。 もちろん、その瞬間に僕が振りかざした論理も、彼らが振りかざした論理も、やはり、多数の人間が少数の人間を虐げるときに使う、典型的な「数の論理」による揶揄です。その点で自分自身もやはり、えてしてそういう傾向を持ってしまっている、とも言えなくもありません。しかし、あまりにも自動化されている揶揄というものは、やはり、現在でも社会のあちこちに残り続けていて、意外に若い世代などにも「伝染」し続けている状況を、時々実感させられてしまいます。 そういうとき、どのように対処したらいいのか、また、どのあたりで「親しみの表現」と「揶揄」を線引きするなか、ということも、個人の中で自己満足的にされているだけで、あいかわらず他者の発言に不快な思いをするということは現状としてあり続けています。僕には、そういう時、相変わらず、「やられたらやりかえす」というような論理でしか、その不快な現状を解消することができずにいます。おそらく、完璧なかたちでの解決、などというものはきっとありえないのでしょうから、、、。そういう点で、僕はまだ悩み続けています。
左利きネットワーク箸と筆の文化圏支部長よみきさんの報告! --「長いものには巻かれろ」も、「多数決」も、決して間違い ではない反面、100%正しいわけでもないのですよね。でも、 自分(達)とは違うものごともOKといえる懐の深い社会とその 構成者になるのは難しいことです。それを目指すことは もちろん必要なのですが。
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