「安全」だから「安心」ということはない

低線量の放射線を怖がる人達がいる。まぁ、一々ソースを引き出して来るまでもなかろう。ネットのそこらじゅうにいるんだから。

片や、そんなに心配するもんじゃないと説明する人達もいる。

影響がはっきりわからないものを、はっきり安全とか言わないでください

真摯に説明してるようだけど、多分永遠に平行線だ。

回答者の答えが正しいかどうか、どの程度信憑性があるか。それについてはどうでもいい。いや、「正しいものは正しい」と思っている人達にとっては、正しいのかも知れないけど、それはここでは触れない。

問題は、質問者(クレーマ?)と回答者の意識に根本的なズレがあることだ。

回答者は限りなく正しい答えをしようと心掛けているようだ。それ自体は悪くない。でも、ここではそれは間違いだ。いや、間違いってこともないんだけど、それでは不足なのだ。

質問者は「安心」を求めている。ところが、回答者は「安全」を答えているに過ぎない。

幅15cmの線の上だけ歩けと言われてと言われたら、まぁたいてい誰でも出来る。じゃあ、同じ幅の塀の上が歩けるかと言われれば、それはなかなか難しい。

耐荷重1tのロープが800kgの石を吊り下げていたとしよう。その下で心穏かにいることは容易ではない。

東京タワーの展望台にある、床がガラスの部分。あそこに立つとチョー怖い。

どれも「安全」ベースで見れば安全だろう。怖がることは愚かに見えるかも知れない。でも、「安心」出来るかと言えばそうではない。「もしかしたら」とかちょっとでも思ったら、もう怖くてしょうがない。ましてや、とんでもなくワーストケースであっても、「もしかしたら」が現実に起きてしまっているとしたら、もうダメだ。

「安心」を求めている人に「安全」を説いても意味はない。

中にはそれで安心出来る人もいるだろうけど、それは全てではない。「安心」を求めている人には、「安心」を与えなければならない。

システムを運用してる時にバグでえらい目にあった客が、「もうバグはありませんよね?」と聞いて来ることがよくある。技術者にしてみれば、「バグのないソフトウェアは存在しない」のが常識だから、「いや、まだあると思います」と、つい答えてしまう。まぁ実際私もそうだった。でも、それは顧客の求めている答えではない。最適な答は状況次第で変わるので何とも言えないけれど、顧客の求めているものは「安心」であって、ソフトウェアの品質管理上の真理ではない。

我々は、つい「不安」に対して「安全」を説いてしまうし、「理論的には」みたいな言葉を使いがちだ。でも、「不安」ってのは「安全」で払拭されるとは限らない。むしろ、

大丈夫だよ。僕がついてる

的な(根拠のない)言葉の方が、よっぽど意味がある。そこを間違えてると、いつまでたっても平行線になる。よく「理系はモテない」とか言われているのも、だいたいその辺に理由があったりする。

PS.

「お化けや幽霊見える」 心の傷深い被災者 宗教界が相談室

(幽霊が)いる、いないは別にして見ているのは事実。

こういったセンスが大事なんだよ。いるかいないか、そんなことと関係なく「見て」いる事実を肯定して、「じゃあどうするか」って話。「いるわけない」と言っても何の解決にもならない。

宗教よく知らん人のために蛇足つけるけど、仏教もキリスト教も、基本的には幽霊が出ることは肯定してない。「出る」とかゆー坊主は商売で言ってる。お寺でもらう冊子にそう書いてあったw だから、「いない」って言っちゃえば「安全」は提供出来るんだよ。