成功 = 運 + 実行力

楠君に黒歴史を発掘されてしまったのでw

@ogochan そうでしたね。matzさんが入るなり3週間くらいでMotifとか使わずにビルドできて、普通に日本語もレンダリングできるブラウザがX Window上で動いた時はホント驚きました

まだ某社が影も形もない頃、HTMLがまだ3.0になる前、私とmatzはウェブブラウザを作っていた。

まぁ結局諸般の事情で世に出せなかったものだし、いろいろ権利関係もあるし、黒歴史でもあるんでコードは公開出来ないのだけど。

HTML2くらいの頃は、ウェブブラウザはそんなに難しいものじゃなかった。CSSやJavascriptはないし、divもなけりゃtableすらない。今みたいに複雑怪奇なものである必要はなかった。

難しいと言えば、レンダリングについてどうやるべきかが確立してなかったので、そのアルゴリズムも含めて考えなきゃいけないとか、そもそも今で言うCSSプロパティに当たるものに何があるかさえはっきりしてなかったので、要素についてどんなデータを保持しなきゃいけないのかよくわからないとか、そんな混沌とした時代だった。いや、仮にそれがあったにしても、その通りにやることにあまり意味がなかった。規格なんて、あってなきが如しだったし。

とゆーこととか、経緯はさて置き、私はウェブブラウザを書いていた。

でもいかに「そんなに難しいものじゃなかった」とは言え、一人で書くには大変だったので、誰か手伝ってくれないかなーとどこか(もう忘れた)で募集したら、助けてくれたのがmatzだった。その頃は彼のことをよく知らんかったので、「なんか釣れた」「良かった良かった」くらいに思っていた。Rubyは世に出していたようだけど、まだ知る人が少ない時代だ。

実はその前にも助けてもらっていた人がいて、彼も凄く生産性高くて「うへー」と思っていたんだけど、忙しいということで約束のところまでやって抜けていた。

matzが当時暇だったかどうかはよく知らないけど、とにかく凄いハカーで

@masanork @ogochan でも、作業の大半はすでにおごちゃんが書いてたコードを動くようにしただけだったり。一番手がかかって楽しかったのはスレッドのない環境でアニメーションgifを表示する機能。

とか軽く言ってるけど、当時の諸々を考えれば、「SUGEEEEE」としか言いようがない仕事をあっと言う間にやってのけた。前の彼が凄かったので、「あれ以上の奴はそうそういないよなぁ」とか思っていたら、モットスゴイノガイタヨ…

まーそんな昔話をしてた時に思ったのは、

@masanork 彼のあーゆー面は意外に知られてないんじゃないかなぁ。実はあーゆーことの方をよっぽど評価してるんだけどな。「やっちゃう」って実行力は凄い。

ということ。今はもちろんmatzは

Rubyのパパ

と知られているし、いろいろ炎上ネタも蒔いたりしてて「屈強」なイメージがあるんだろうけど、実はあーゆー泥臭いこともさっさと片付けてしまう人でもある。

彼の「名声」の大部分は「Rubyのパパ」に起因することに異論はないと思う。「Ruby」という題材がたまたま彼のところにあったとゆー「運」の要素は小さくないだろう。「いや、あれは本人が頑張ったからだ」とか「コミュニティをうまく育てたからだ」とかいろいろ後付けのことは言えるのだけど、「世界の歴史」とかから見れば、「たまたま」この時代に生まれ、「たまたま」あーゆーニッチがあり… ってことは事実だろう。彼には間違いなく「運」があった。

また、その「運」を形に出来たのは、「あーゆー泥臭いこと」も平気でさっさと出来てしまうとゆー、「実行力」があったからでもある。「言語処理系」なんて、まーマトモに情報系学科の勉強している人であれば誰にでも作れるはずのもので、それを「単なる課題提出」に終わらせるか「世界的に利用者のあるもの」まで育てるかは、まさに「実行力」だ。もちろん、それを支えるものは「能力」であることは言うまでもない。

「運」と「実行力」どちらが欠けていても、あの「成果」は出なかっただろう。「流産」してしまったブラウザは「運」に欠けていたのだろうw

長く人間やっていると、「運」とゆーものは案外いっぱい転がっていることがわかる。「あの時あれやっていれば今頃は…」と、後付けで思うことはいっぱいあるものだ。でも、それはタイミングが悪かったりして、うまく拾い上げることが出来ない。うまく拾い上げた人は「成功」をする。その「拾い上げる」ことが、いろんな意味での「実行力」だ。

不幸にして我々は

「運」そのものは制御出来ない

制御可能なのは、「実行力」の部分だけだ。あまりに「俺には運がないなー」と思う人は、運をうまく拾い上げる「実行力」に欠けているのではないかと反省してもいい。逆に「実行力」が十分あると思っていても成功してないと思うのなら、それは「運」のせいだ。非科学的に見えるだろうが、世の中が(数学的な)カオスで複雑である限り、「運」は否定出来ない。

「成功」を感じている人もそうでない人も、このことは覚えておいていいと思う。どっちが欠けていても「成功」はないのだ。

PS.

ちょっとだけコードの話をすると、私は「名前」をキャメルケースで書く習慣があった。matzはご存知のようにスネークケースで書く。お互いにそれは譲らなかった結果、どのコードをどっちが書いたか良くわかって良かった。まぁ、お互いのコードを直した時は、お互いの習慣に合わせたりしてたんだけど。

PS2.

楠君との縁も、このプロジェクトだった。彼は高校生だったと思う。いや、不登校高校生と言うべきか。まー、他の関係者ほじくり出すといろいろアレなことになるので、これ以上はw