「正義」を疑え!

人間はどうもこの「正義」というものに弱い。ある行動が「正義」に基くとされた時、無条件にそれを支持することを要求される。それに反対するものはすなわ ち「悪」であり、「正義」の対極に属するものとされる。「正義」のためには手段を選ぶ必要はないし、「悪」は徹底的に潰すのが正しいとされる。

しかし思い起こしてみるが良い。戦前の「非国民」は当時の「正義」の対極であるとして攻撃された。関東大震災の時に朝鮮人の虐殺があったが、これ は彼等が井戸に毒を入れるという危険から、国民を守り自発的な行動であった。非社会的な情報を扱う掲示板はしばしば「社会的正論」を根拠に荒らされる。 「自殺系サイト」はその良い例だ。ナチスのユダヤ人の迫害も「ドイツ国民の純血をまもるため」であったはずだ。どれも志はみな「正義」に基いている。

冷静に考えてみれば、「正義」という名の「大儀名分」がどれだけ危険なものかようわかるはずだ。だいたい、世の中の「悪いこと」は、悪い人が悪い ことをしようとして起こしているものは実は少なく、善良な人が良かれと思いながら悪い結果になってしまっているということが多いのだ。

「正義」とか「良い」とかいうことは、しばしば思考停止をさせる。しかし、それを大儀名分とした行為は、かなり残酷なことであることが少なくないのだ。

「正義」を疑え!