「たとえ話」のネタだとしても

「たとえ話」のネタだとしても、誤解を生むような用法は避けるべきではないのかなぁ。

ひがさんところの、

梅田望夫にオープンソースを語るなとガツンと申し上げたい

に登場してる、梅田氏自身の言い訳のことなんだが。

変な部分引用すると、本人からの「訂正依頼」が来るらしいので。

正しく引用すると、僕がソフトウェアの話なんかしていないことがわかるでしょう。
『例えば、インターネットが社会にもたらしたインパクトのひとつに「オープンソース」という考え方があります。これは元々ソフトウエア開発に端を発した概念なのですが、いまやそれにとどまらず、世の中をより良い方向に導くと思われるテーマがネット上で公開されると、そこに無数の知的資源が集結して課題を次々に克服していくといった可能性を含む、より広い応用範囲での思考や行動原理を意味しています。サブカルチャー領域への応用は少しずつ進んでいるのですが、全体として、こうした動きがいまだに日本では根付いていません。政治とか社会変化がテーマとなると特に、陰湿な誹謗・中傷など「揚げ足取り」のような側面の方が前に出てきていて、ウェブのポジティブな可能性──何か知的資産が生まれそうな萌芽がネット上に公開されると、そうしたことに強い情熱を持った「志向性の共同体」が自然発生して、そこに「集合知(ウィズダム・オブ・クラウズ)」が働き、有志がオープンに協力してある素晴らしい達成をなし遂げるといった公的な貢献──を育む土壌がありません。』

全文引用しても、私の足りない脳では、「ソフトウェアの話なんかしていないこと」がわからない。なぜなら、この引用箇所で、何の土壌も持たない人の、「オープンソース」への理解が変わらないとは言えないから。

人は辞書で言葉を覚えるわけじゃない。「使われ方」で学習して行くもの。川に転がっている丸い石は、工作機械で作ったものではなくて、

他の石を削りながら自ら削られた

結果だ。言葉への理解ってのは、そういうふうなもの。だから言葉の意味は変化して行く。だから、いくら「自分はオープンソースはたとえ話に使っただけ」と言っていても、

例えば、インターネットが社会にもたらしたインパクトのひとつに「オープンソース」という考え方があります。これは元々ソフトウエア開発に端を発した概念なのですが、いまやそれにとどまらず、世の中をより良い方向に導くと思われるテーマがネット上で公開されると、そこに無数の知的資源が集結して課題を次々に克服していくといった可能性を含む、より広い応用範囲での思考や行動原理を意味しています。

という表現を使うなら、いかに「自分はソフトウェアのことは語ってない」と言っていても、この文脈のように「オープンソース」という言葉の再定義をしながら語れば、

オープンソースのことを語った

のと同じ意味になってしまう。

もっとはしょって言うなら、

言ってなくても聞こえてしまえば、
言ったのと同じ

なのよ。これに対して「それは誤解だ」って言うのは結構だけど、そんな誤解をされたくなかったら、そういった誤解を生むような表現は避ければいいだけのこと。WoCを語る時に「オープンソース」なんて言葉は、別に必要でも何でもないわけで。確かに「似た部分がある」ことは確かなんだけどね。

あと、前にも書いたけど、「オープンソース」って「Opensource」なのよ。「opensource」とは違うの。私よりも英語が達者な人なんだろうから、この違いを考えながら「オープンソース」を使えば、こういったつっこみも来ないと思うんだが。言葉は変化するけど、固有名詞が指すものは変化しないよ。「ヤバい」って言葉が指す状況はいろいろ変化したらしいし、「おごちゃん」に対する評価はいろいろ変化しても「おごちゃん」が指す対象は同じ。

僕が言う「おごちゃん」は梅田望夫のことです

は通らんと思うわけだな。

PS.

じゃこの手の解説に「オープンソース」という言葉を使うのは全くダメかと言えばそうじゃない。WoCとオープンソースは似た側面と言うか包含関係にあるんだから、使わない手はないとも言える。元の解説のダメだったのは、WoCの説明とオープンソースの説明を混ぜちゃったこと。オープンソースはWoCの一つだけど、WoCだけで語られるものじゃない。下手に混ぜたから、「WoC = オープンソース」と誤解されかねない文章になってしまったということ。石で石を削れば削った方の石も削れちゃうんだよ。