ネットから離れてみる

昨日、MySQLが落ちてて、ここが見えなかった。

これが普段なら、大あわてで復旧するところだったのだけど、手が出せないどころか知りもしない状態だったので、何もしなかった。結局のところ、ネットから距離を置いていると

どーでもいい

ことだったのだ。

普段であれば、マメにネットは見るし自分の雑文も読み返したりするし、アクセスログ見てニタニタするわけなんだけど、郷里やら実家やら帰ってる間はネット貧になる。人に会ったり、車乗ったり、そもそもネット環境がイマイチだったりして、ネットへのアクセスは減る。

そうなると、そもそもネット上で何が起きているか知ることもない。そして、ネット上で起きている諸々や自分とネットの関わりも、わりとどうでも良くなる。もちろんネット上の友達そのものが他人になってしまうわけではないけれど、

ネットの上で繰り広げられる諸々がどうでも良くなる。

自分のサーバが止まっても、手が出せなかったら諦めるしかないわけで、それで苦情でも来ない限りどうでも良くなる。

例えば、自分のブログあたりが炎上中であっても、止むおえない理由でネットにアクセス出来なくなってしまったら、もう手は出せない。そうなると、諦めるしかない。手が出せないとなると、「自分のブログ」であっても、他人の持ち物と同じことになってしまうだろう。最初はイライラするだろうが、そのうちどうでも良くなるだろう。

だから、ネット上の面倒臭いことがあったら、そこから強制的にしばらく離れてみるといい。パソコン持たずに旅行に出掛けるとか、渋滞に巻き込まれて長時間ドライブをさせられるとか、そういった「ネットに触りたくても触れない」という状況を無理やり作ってしまう。

別に面倒臭いことが起きてなくても同じだ。しばらく強制的にネットと関わらない生活をしてみるといい。今まで一大事であったことが、かなりどうでも良くなる。何しろネットの諸々なんて

アクセスしなきゃないのと同じ

わけだ。そのうちどうでも良くなる。

まぁこれはネットに限らない。面倒なもの、わずらわしいもの、心に陰を落とすようなもの、自分の人生の中心的なものが出来てしまったら、強制的にそこから離れてみるといい。そうやって、ちょっとだけ自分の諸々に対して「傍観者」になってしまうと、

本当に大切なものは何か

ということを再発見出来ると思う。

ネットから離れてみる” への3件のコメント

  1. ああ、結構同感。
    私も年末に自宅サーバーがクラッシュして、その上で外に見せている諸々も駄目になったんですけど、これはこれで開き直ってしまえば、まあそういうものか、と。
    どうせたいして役に立つものでもなし。

  2. 以前、仕事で小笠原に行ったときに同じような事を考えました。
    ネット環境自体が父島までISDNで4回線しか通っていない上に、docomo以外の携帯は使えず、メールやi-modeの類は全滅と言う環境でして。
    もーどうでもよくなっちゃってw
    ただ帰りの船が東京湾に入った瞬間に数百通のメールが携帯に着信したのは忘れられません。通じねぇって予告してたのに~w

  3. ピンバック: blog.桜井@猫丸屋

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