その暑苦しさが「村」なんだよ

また納得しながら違和感を感じた話。

はてな村のオタクに圧倒的に一人勝ちする7つの言い回し

言いたいことは凄くわかるし、私もこういった批判をしがちだったんだけど、今はもうしてない。

別に「はてな論」をしたいわけじゃない。でも、この手のことって「こみゅにてぃ」的なものには常にある。ネットのコミュニティでも、現実の「村」でも。「頑張れば見渡せる」という「幻想」を抱くような同類社会には常につきまとう。私もMLとかに「おかしな奴」が現れたら、ぶっつぶそうとしたもんだ。まぁたいていそうやって私に攻撃される人は、どっちかと言えば「昔の価値観」を「今時の若いモン」に押しつけようとしたジジィどもなんだけど。まぁそんな時代が私にもありました。

でも、そういったセンスは、

田舎臭い

と思うわけだ。

くどいようだけど「はてな論」をしたいわけじゃないから、一々つっこむことはしない。ただ、こういった「批判」ってのはつまりは、「善良な市民であれ」ということを要求している。まぁたいていの「特定の人への批判」ってのはそーゆーものなんだけど。そして、その背景には「間違いを正しておこう」という考えがあるし、その動機はたいてい善意だ。

でも、程々の規模のコミュニティなんてのは、実は個人が把握出来る規模を超えてしまっているし、ちょっと大きなコミュニティとなると、「同じ価値観を持つ人達の集合」でも把握しきれないことが多い。同質コミュニティと思われていたものの中に、異分子コミュニティが発生してしまうというのは、そういったことだ。

でも、「ネット社会」というものの面白いところは、「同質な仲間に出会うこと」であると共に、「異質なものに触れる機会が多い」ということも小さくない。「ああ、なるほど。そーいった考え方もあるのか」と自分の不明や無知を悟らされるというのは、楽しい。そういった観点からすると、自分(達)の価値観や正しさからかけ離れた人が多いというのは、幸せであり楽しいことだ。

だから、空気を読まない奴、極論を展開する奴、俺様正義を主張する奴、あるいは犯罪者、異常者の類がネットにいて「害毒垂れ流す」というのは、知的好奇心や痴的好奇心を満たすには良いことだと言える。

と同時にその「害毒」と思っていることのモノサシは、自分自身あるいは自分の所属している同質コミュニティのものに過ぎなかったりする。他の人達から見れば、逆に自分の方が「害毒」だったりするかも知れない。ほら、ちょっと前にYahooのblogだったかで「常識」とか言ってる人いたでしょ。あれが本当に「常識」なのかどうなのかは知らないけど、あれはあれで一つの「正しさ」ではあると思う。私の思う「正しさ」とも違うし、はてなな人達の「正しさ」とは違うけど、それなりに賛同しそうな人がいてもおかしくない。

とか考えれば「善良な市民」を求めることは、一種の「よけいなお世話」なわけだ。そういった態度は「市民」と言うより「村民」的。村社会的な暑苦しさだ。言われた方は「ありがた迷惑」でしかなかったりする。もちろん「善良な市民」でありたい人にとっては、迷惑じゃなくて本当にありがたいと思うことだってあるだろうけど、常にそうとは限らない。

まーだから、ネット上に自分が「変な奴」とか思う人がいたら、スルーするなり、ヲチ対象にするなり、「アハ体験」の対象にするなりしておけば良いと思う。つまり「都会的ドライさ」で良いと思う。「善良な市民」ばかりになっちゃったら、自分が締め出されるか、退屈でつまらない社会になってしまうと思うのだな。

まぁこういった考え方も「数あるネット上の価値観」の一つに過ぎないけどさ。

その暑苦しさが「村」なんだよ” への1件のコメント

  1. 実際、勝ちたい人には勝たせておけばよいのでは?

    一応「ひょっとしたらこいつの言う事が正しいかもしれない」と考える必要はあるでしょうし、それでどうにも間違っていそうでも他山の石にはなりますし、なにより「勝とうが負けようがその場限り」ですからね。

    まぁ、その意見に皆が賛同しているようなら、私も別の意見もある事を示す為に声を上げますね。たぶん負けますがw

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