匿名掲示板の違い

「匿名掲示板」って書くと、普通2ちゃんねるを指すものだけど、世の中にはそればかりじゃない。

運用方法もいろいろある。2ちゃんばかりが匿名掲示板じゃないのだ。

で、最近「掲示板ミクル」というのを教えてもらったので、ちょっと見てみた。ここにはモデレーションシステムがあるのだ。

システムの詳細については、「サイトについて」を参照。

ミクルは基本的に携帯を中心としたものらしい。携帯のIDとかは把握しているようだし、PCからアクセスするには(今のところ)携帯から登録してからという手順を踏むので、結果的には完全匿名ではない。まぁ2ちゃんだって今時はいろいろ把握しようとしているから、運営者にとって完全匿名でないことは大差ない。利用者にとってはID的なものを知る術はないけど。その辺の実装についてはあまり興味がないし、利用者にとっては匿名なんで匿名掲示板なんだということでいいと思う。

また、ミクルにはモデレーションシステムがある。場にふさわしくないと思われるコメントは、投票で排除することが出来る。閾値についてはよくわからないのだが、ある程度排除に賛成が集まると消えるようだ。だから、場が荒れることはない。これは一番のウリらしく、「サイトについて」の先頭に書かれている。

また、slashdotに似たスレッドの概念がある。つまり、「どのコメントへのコメント」ということを明示することが出来る。2ちゃんにはそれがないから「>>1」とか書かれるわけだけど、これが明示的になっている。

前提として2ちゃんねると大きく違うのはそんなところ。まぁ他にもまだ大規模じゃないようなので、それぞれのコミュニティ的なものの壁が低いとか運営は企業がやっているとかの違いはある。

まぁあまり厳密に見たわけじゃないのだけど、2ちゃんとはかなり違う空気を感じた。

一番の特長は、場に小町のような臭いを感じること。「掲示板一覧」を見てもわかると思うのだけど、トピックの多い掲示板を見ると

恋愛相談 > 育児・結婚 > 雑談

となっている。まぁカテゴリの分け方もあるのだろうけど、2ちゃんにありがちのVIP臭のするものはあまりない。個々のトピックを見ても、話題的にはスイーツ(笑)感と主婦感満載。

内容も結構ドロドロ感があって、上がっているトピックにはかなり内向的なものを感じる。まぁ恋愛だの育児だの結婚だのというネタは元々がドロドロしやすいのだろうが、それにしても内向的と言うか井戸端会議的というか半径500m的なものだ。昼ドラの臭いと言ってもいいかも知れない。

個々のトピックを見ると、かなり和気藹々としたものを感じる。とは言え、その「和気藹々」感は井戸端会議のそれだ。お昼の公園的とも言える。つまり、「仲良しグループの内輪盛り上がり」だ。

そして共通するのが、それぞれのトピックはあまり伸びていないということ。「おすすめ」に上がっているものでも、高々500コメントに満たない。

私はこれらのことは、結局のところ「携帯電話」と「モデレーション」が原因じゃないかと思う。

携帯電話のサイトの問題については、あちこちで言われている。「学校裏サイト」や「出会い系」ばかりでなく、ネガティブなことは多く起きている。また、流行る「携帯小説」の傾向を見ていると、なんとなくネガティブ感のあるものが少なくない。つか、そうでないものあるのか?

これは、個人的には「姿勢」に関係があるんじゃないかと思う。

携帯を使う時には、何となく覗き込むような姿勢になりがちだ。また、携帯という対象はまるっきり個人的なものとして没入する。人間、そんな姿勢や態度の時というのは、どうしても自己を吐露する気分になったり、内向的になったりする。面白いもので、背筋を伸ばして前を向いている時は、あまりそんなふうにはならない。人の精神なんてたわいのないもので、たったそんな姿勢の違いだけで、ネガティブになったりポジティブになったりする。いや、これを「トンデモ」の類だと思う人も少なくないだろうけど、実際やってみるといい。背筋がどうであるかで、思考や精神状態はまるで変わって来る。背筋伸ばして悩み相談なんてする奴はいない。

「個人的な世界」と感じれば、本音を吐露してしまう。人間の本音なんてのは、たいていネガティブだったりドロドロしてたりするわけで、そういったものを吐露してしまえば、その吐露された場がドロドロになってしまうのは不思議でも何でもない。もちろんそれはドロドロした部分について何とかしようという時には有効だ。でも、それが集積されて来ればだんだんそれに引きずり込まれる。

「モデレーションシステム」の方だけど、これは場が荒れないためにはあった方が良いものと思われている。確かに荒らしの類はモデレーションで見えなくしてしまえば荒れない。ある種の自浄作用となる。

ところが、日本人は過度の「場の空気」を意識してしまう。だから、特別に荒らしてなくても、場の空気を乱すだけで排除される。いくら正しいことであっても、その場の人が好まない意見は排除される。つまり、「井戸端会議」や「昼下がりの公園」と同じ状態になるわけだ。

荒れないことは確かに悪いことではないのだけど、そうやって妙に「浄化」してしまうと、意見が膨らんで行かない。排除システムがないのであれば「ここは場の空気を乱すようだけど、正論言っておかないと」的な意見も存在出来る。そんな立派なものでなくて単なる荒らしであっても、意見が一方を向き過ぎている時には「換気」されたりする。どんどん横道に逸れてしまっても、そこに意外な答えがあることもある。ところが、「浄化」はそんな雑多なものを排除してしまう。その結果、予定調和的な意見ばかりになってしまったり、盛り上がらなかったりしてしまう。コメントが少ないというのはそういったこともあるのではないか。

まぁこの辺のことはみんな私の一方的な分析でしかないけれど、実際に見てみるとなんとなくそうなんじゃないかって気がすると思う。同じ「匿名掲示板」でも、こんなに変わるんだということを見るだけでも面白い。モデレーションがどう作用するかということを考えるだけでも、「ネットでの議論のあり方」に対する理解が変わるんじゃないかな。

匿名掲示板の違い” への2件のコメント

  1. 携帯のキーボードも影響しないでしょうか。

    小さい画面を見ながら、同じキーを何度も押したり、カーソルを細かく移動したり、イライラするので私は使いません。

  2. 多分あると思いますよ。

    人間、行動に精神が影響されることは少なくないですから。エビデンス? そんなもん自分でやってみたらわかると思う。

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