自信喪失のためのメディア

津田さんのtwitterの発言より。

要は自信がないんでしょ?

本当に一言なんで、全文引用になってしまう。このつっこみはリンク先の増田向けだ。

Twitterでも同じ迷宮から逃れられない

読んでみると、確かにこのつっこみは的確過ぎる。でも、もうちょっと考えてみた。

この増田の行動は確かに自信がないことに裏打ちされているように見える。「要は自信がないんでしょ?」というつっこみは実に正しい。増田の重苦しい思いが伝わって来るようで、それがまた辛い。では、彼はなぜそう思うに至ったのだろうか?

もちろん私は彼ではないから、本当のところはわからない。でも、時として同じ思いに囚われることがあった。それは確かに自信喪失した時だ。そして、その自信喪失がいつ起きるかと言えば、当然のことながら自分よりもデキる奴、とうていこいつには敵わないと思う奴が現れた時だ。

では、そいつがどこにいるかと言えば、

ネットの上

だ。ネット上で凄い技術を見せられた時、凄いソフトウェアを見せられた時、凄い働きを見せられた時、あるいは凄くウケたギャグが飛ばされた時、自信を失なう。

とは言え、そんなことは頻繁に起きてしまったから、今となっては割とどうでもいい。「俺は俺」だと思うことにしているし、そいつらに「勝つ」戦略も知っている。リンク先は小飼氏のエントリだが、まぁだいたいこれくらいの理解は何度も敗北感を味わっていれば、身につくものだろう。件の増田はこれでも読めというのも解決の糸口ではある。とは言え、これはある種の「さとり」に近い感覚であり、そうとう自信を持ってなきゃいけない。だから、これは目指すべき方向ではあるけど、解決にはならないだろう。

かつての私や、件の増田を自信喪失させたのは、「ネットの向こう」の奴等だ。自分がネット上での活動を広くすればする度に、次々と「自分より凄い奴」が現れて来る。しかもこっちは凡人だ。プライドの依りどころとする「何か」があったにせよ、そんなものは軽く打ち砕いてしまう「凄い奴」が現れて来る。自分がたいしたことない奴だということを思い知らされる。

別にこれは勝ち負けを意識しなきゃいけないような「たいそうなこと」ばかりではない。周囲の奴を喜ばせる奴、楽しい奴、その場の空気をなごませる奴といった、「なにげないこと」であっても「負けた感」を感じることは多々ある。しょうがないからニートでも馬鹿にして上から目線になって自意識を満足させようかと思ったら、ニートのくせに格好いい奴とかいる。ウィンプを嗤おうかと思ったら、ウィンプのくせに愛されている奴とかいる。もう上を見ても下を見ても、横を見てもネットにはささやかな自信や自意識を満足させることを許してくれない。つまり、ネットで見聞を広めることは、

自信喪失するため

だということになってしまうのだ。

かつて自分の世界が自分の周囲だけだった時、普通の奴なら何か1つくらい「勝った」と思えるものがあったと思う。多少広くなっても、ちょっと頑張れば「お山の大将」くらいにはなれた。そんなことで満足していると、親や先生に「井の中のかわず」とか言われたものだけど、「俺は○○についてはこの辺では一番」という自信は努力のモチベーションにもなったものだ。そうやって持った自信とそれによる努力の結果は、井戸が池くらいになっても有効だったりした。

でも、今はネットのせいでいきなり「井戸」は「大平洋」くらいに広くなり、努力のモチベーションなんて持つ間もなく波に呑まれてしまう。ネットなんてものを持ってしまった時点で、たいていのことが「負け決定」なのだ。どんな「とりえ」があったにしても、たいていは屁のつっぱりにもならない。そして、自信喪失の波に呑まれて溺れてしまう。

思うに、これはマジメな努力家に多いと思う。つまり「上には上がある」と思いながら頑張ってしまう人だ。またあいにく、人は潜在的に向上心を持っているものだから、「マジメな努力家」な面は実は誰にでもある。意識してマジメに努力している人はより強く、適当に過ごしている人であってもそれなりに起きてしまう現象だ。

これに効く有効な「クスリ」は、多分ない。小飼氏のエントリのように思える人はそれでいいんだけど、「こう思え」と言われて「はいさようですか」と思える人は、そうそういないように思う。私はこういったようにしているけど、それはそうやらないと自意識が崩壊してしまいそうなことがいっぱいあったということから発見したことだ。誰かに教えられて実践出来る程簡単なもんじゃない。何度も溺れそうになって身につけたことだ。あー、そういう意味では件の解決は「泳ぎ」とか「自転車」みたいなもんだ。出来るようになった人は別に意識してないけど、教えられて身につくもんじゃない。

でも大事なのは、そういった「自信喪失」の原因は「ネット」にあるということ、それが「向上心」と結びついて自分を責めているということだ。となればまぁ逃げてみるとか、スルーしてみるとか、あるいは

最初から勝負なんてしない

とかって考えてみたらいい。無理して自分の行動範囲を広くしなかったら、「ネットの彼方の凄い奴」と勝負することもない。多分それでも困らない。

PS.

いいところに小飼氏がつっこんでくれてる。これについては100%そうだと思うし、元々引用してるところも全く正しいと思う。でも、それってやっぱり「自転車」とか「水泳」の出来た人の言葉じゃないかなーと思うわけ。

でも、ちょっと元気になった人は、小飼氏の処方箋に従うのはいい選択だと思う。そういった意味ではネットは、

両刃の剣

だ。素人には(ry

自信喪失のためのメディア” への4件のコメント

  1.  わたしは会社を作って自分で商売を始めるまでは、いろんな仕事をやりました。
    地下鉄の車両整備工(下請工けです。天井に着いている扇風機がほんとに重かったです。)、ビヤホールのウェイター(中ジョッキを両手で10個持てました。)、トラックの運転手(4tまでなら、かなり正確な車体コントロールができます。バックでデッキに5cm以内とか。)、製パン会社の汚水処理(相手は微生物、なかなか水質は安定しません。バルブ操作を間違えて汚泥を・・・)、ハム屋さんの店員(大きな声で宣伝をしていたら、デパ地下フロアの責任者に、バカ扱いされ怒られました。)、流通業のバイヤーなどなど・・です。
     その頃は一所懸命だっただけで、仕事に尺度はなかったように思います。30歳頃バイヤーをやっていて、夜遅くまで電卓で数字とにらめっこ。毎日夜が遅かったので、何とかならないかなと思い、『そうだコンピュータと言うものがあるんだ』・・となって、お給料が15万円でしたが、すぐに秋葉原にいってTOSHIBAのJ3100を買いました。ラップトップとのことでしたが、座布団ぐらいの大きさで重くて膝の上には置けませんでした。
     さっそくスイッチを入れましたが、OSがないと怒られたようです。OSってなに・・・でした。わたしは、こんなお馬鹿さんでした。いろいろ本を読んでいくうちに、自分の仕事にあったシステムは自分で作るのだとわかりました。それで、食卓の上にマシンを置いて、こそこそと始めました。小さなアパートでした。
     そのうち、『これからは誰もがこんな機械を使って仕事をするようになる』・・と思い込み、バイヤーをやめて会社を作りました。今振り返るととキチガイかなと思います、20年近く昔です。長くなりました、ごめんなさい。わたしは、今は仕事の尺度があります。

     ひとつ:お客様に納めた基幹業務システムは、10年間さほど不満なく使っていただけること。(入れ替えの必要をお客様が10年間は感じない。)

     ふたつ:実稼働後、10年間、トータルフォールト(全停止)なく電気設備点検時を除き無停止で稼働すること。(基幹システムは一部に障害が発生しても、全業務が止まることはあってはならない。そうしたシステム設計と実装、ハード構成をしてはならない。)

     みっつ:システム、ハードの障害や問題解決は当日中に解決し、翌日に持ち越さない。(翌日には、システム・データ・ハードとも正常に戻っている。システム・データ・ハードの三位一体)

  2. ピンバック: links for 2008-07-14 « 個人的な雑記

  3. 1. なので、競争したり頑張り過ぎないようにしています。はい。
    2. でも、自分のやっていることに不安になってきてネットを見てみます。
    3. めちゃくちゃ頑張っている若い人や、自分よりはるか先にいる人を見て、焦り葛藤します。
    4. 1.もどる。

     でも、最近の生越さんには、以前のような「そんなこと知ってて普通じゃん。やってて当然のことじゃん」という燃料投下?がなくなったと思います。

コメントは受け付けていません。