こんな話は増田で書けとか言われそうだが、「便所の落書き」で済ませたいとも思わないので。
最近、若い女のマスクをよく見掛ける。
まー、花粉の季節ならしょうがないし、花粉なんてのは年中何かしらあったりするので、それぞれの花粉症のある人はしょうがない。
しかし、見ている限り、そういったものと無関係に思われる人がマスクをしているのをよく見掛ける。
という話をtwitterでちょっと振ったら、
マスクしてると顔が見えないから気楽
とかって返事が返って来た。つまり、花粉症でもないのに、とゆーか文字通りマスクするためにマスクをかけている女性が少なからずいるということだ。
話を聞くと、まぁ納得もしないでもないが、要するにそれは
匿名化
ということに他ならない。いや、君はそれでいいよ。自分を匿名化してんだから。でも、周囲の大多数の人達はマスクなどしない—つまり匿名化していないのだ。
確かに顔認識の技術とか進んで、素顔を晒すことも危険だということになりつつあることはわかる。それに対して自衛したいというのもわかる。でも、果してそれで良いのか?
マスク女を見ると、どうも「ニコ生女」を連想する。個人的な感想を言えば、あれが匿名化とかなんとかとは関係なく、マスクをしていることそれ自体が
キモい
のだ。顔を見せないことそれ自体が、何やヤバいことをしているという「記号」になっているとも言える。ヨーロッパあたりでは、スキンヘッドよりもヤバい「記号」だという話もある[要出展]。
まぁ、ニコ生はまだネットの中だからいい。あれについても、「そんな顔出したくなかったら、ニコ生なんかやめろよ」とか思ったりするのだけど、何にせよネットの中で閉じている限り、スルーしておくことも難しくないし、それが危害を与えて来ることもない。
ところが、リアルでマスクとなると、それはちょっと違う。コンビニ等で書いてある
「フルフェイスヘルメットの方は…」
というのと同じだ。リアルの匿名化は、実際に有害なことをすることも可能だし、そもそも表情が全くわからなくなってしまうから、相手がこちらに悪意を持っているであろうことを察知することも容易でなくなる。何かされた時に、どんな人相であったかを知ることすら出来ない。ネットではさて置き、リアルで「顔が見えない」というのは、非常に気持ち悪いことなのだ。
リアルワールドでは、存在していることそれ自体、顔を出していることそれ自体がコミュニケーションだ。どんな表情であるかは、非常に重要な情報だ。それを「楽だから」という理由で自分だけ顔を隠すとか、卑怯だろう。表に出ないで、引きこもってろ!