最近どうもインターネットや通信を規制したい人が多いようだ。それも警察ばかりではなく、マスコミ関係者も一緒になって騒いでいる。いずれも、おそらく自分達の既得権を守りたいからであろう。セコい話だ。しかし、まぁその辺は資本主義の上での政治なのだから、しかたなかろう。
しかし、その中にはどう考えても勘違いとしか思えないものがある。
一番の勘違いは、
放送、新聞、インターネット
といった並べ方である。なぜなら、インターネットは
媒体の一種
なのであるからである。並べて書くなら、
電波、紙、インターネット
と並べる必要がある。だから、この辺から規制派の勘違いが始まっているのである。
インターネットを規制したい連中は、放送法との比較の元に規制しようとしている。つまり、インターネットは放送であると思っているのである。確かにWWWなどと見れば、放送のように見えるかも知れない。しかし、その考えは明らかに間違いである。なぜなら、インターネットの応用は多様であり、その中にはメールのような個人的な用途も多々あるからである。だから、これら多様の使い方を一口で説明し、理解してもらうためには、インターネットは
電波とのアナロジー
で考えるのが適当であると思われる。電波なら誰でも受信出来るし、放送にも使われている。また携帯電話や企業間通信のようなものもある。さらには電波の種類によっては国境がなくなる。利用特性の上で非常に似ていると考えられる。
確かにインターネットの中には情報提供会社や新聞社が運用しているWWWのように、
放送的(マスメディア的)利用
がある。このようなものは、内容も吟味されるべきであるし、ウソやデマを流すべきではない。また、多くの人に見せる前提で編集されるべきであるから、子供に悪影響を与えるような内容のものを流すべきではない。だから、放送法をいじってこのようなものを規制することは、むしろ正しいことであると思う。
しかし、同じWWWでも個人が趣味でやっているような、
ミニコミ的利用
もある。これは電波で言えば
アマチュア無線やパーソナル無線
のようなものである。あまり大衆に向けてやっているものではなくて、好きな人だけを対象にしているものである。これについては、放送法のような規制をすることよりは、妙な規制をしないで自由解放にしてしまう方が、監督上も合理的(いちいち細いところまで検閲するのは不可能)である。また、規制対象から外すことにより、
新たな利用技術の開拓
の可能性もある。実験の名の下に好き放題させるべきである。さらにメールのように、電波応用での
携帯電話
のようなものもある。これに関しては、電話が通信内容不問であるのと同じように、通信内容は不問にするべきであるし、通信の秘密は厳格に守られるべきものである。
さて、そのような見方をすると、問題となるのは、
利用ランクの分類
である。しかし、この辺はもっとゆっくり議論すべきである。(個人的にあまり賛成は出来ないが)規制の論理から言えば、
通信速度が毎秒○○bit〜××bitまでのもの
とかでやる方法もあるだろう。大衆に影響を与える使い方をするためには、大量のアクセスに耐える必要があるからだ。確かにこれは
ダサい
方法であるとは思うが、電波利用でも似たような方法で規制しているのだから、役人にとってはわかりやすいはずだ。少なくとも、
何でもかんでも一律規制
よりは、ずっと良い。また他の方法としては、
放送局や新聞社が運用する情報提供サービスは
放送出版と同じ規制を行う
とかでも良いだろう。これだと(その是非には別にして)世の中に多い
新聞(放送)だから信用出来る
という感覚とのズレが少ない。また、それくらいやってくれないと、新聞や放送がインターネットをやる価値はないだろう。「女子アナのホームページ」なんてことでお茶を濁して欲しくはない。
インターネットはその気になれば何でも誰でも見えてしまう。これは電波が設備さえあれば何でも受信可能であるのと同じことである。そして、その対象としない人が勝手に受信してしまった時の悪影響については、電波法は
勝手に受信して利用した奴が悪い
という精神で運用されている。つまり、誰でも受信出来るけど、全てを勝手に利用してはいけないのである。これがインターネットに適用されても、何らおかしいことではないはずである。
このようなことから考えると、何でもかんでも一緒くたにして規制をかけてしまうような今の動きは合理的ではない。さらに、利用技術の進歩から言えば
マイナス
であると考える。インターネットの本格応用のための実験は、始まったばかりである。これから育って行く技術に対して、
角を矯めて牛を殺す
ような規制はするべきではない。