私は普段テレビを見ない(家にあったのは、とうとう人にやった)。ラジオもまだ完成してないので聞かない。新聞も取ってない。ニュースはどうするかと言えば、もっぱらネットだ。必要な情報はとりあえず入って来る。
ところがネットと言うのは、情報を見る前から情報の選択をしている。つまり、自分が必要と思う情報しか得ようとしない。だから、自分の興味がある ことについては不自由はないが、自分があまり興味を持ってない、積極的に情報収集しようと思ってないことには疎くなってしまう。そんなわけで私は世事に疎 い。
以前はそこまでは疎くなかった。テレビを見ることは以前からもそうなかったので、そんなに変わらない。それ以外の部分が違う。
昨日電車に乗っていたら、それが何か気がついた。渋谷に住んでいた頃は、渋谷秋葉間でいろんなものを見たし、電車の中の吊り広告も見ていた。その辺が根本的に違う。
週刊誌の吊り広告は電車の中での格好の暇潰しだ。書いてあることはどうってことはないが、どうせそこで興味を持ったところで週刊誌の方に書いてあ ることは、吊り広告以上のことはない。だから、吊り広告で十分情報を得ることができる。私は、吊り広告を見ることで世の中の動きを知っていたのだ。
また、外を歩くと、いろんな物や人を見る。そこから得ていたものはどうも少なくない。その証拠に、外を歩いた昨日は日記のネタが多い。ぼーっと電車の外をながめたり、人々の姿を見ながら、考えたり妄想したりするということは、いろいろ思考を活性化させる。
とか考えると、普段の私の生活は外の情報に触れず、また外の空気の中で考えないという、ひきこもりそのものであったと反省した。もうちょっと街をぶらぶらしないといけないな。
と同時に、「ひきこもり」というものの未来に控えている、いろいろな恐しいことに思いが及ぶ。