「2007年問題」については、日経コンピュータ参照のこと。
私は
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/NC/ITARTICLE/20041027/151814/
にある有賀氏の意見が一番2007年問題の本質を突いてるような気がする。また別の話題ではある
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NC/NEWS/20041105/152184/
というのもある。
これらとは別に私の意見。
私もかけだしの頃は、勘や経験や根性でシステムを構築するなぞナンセンスだと思っていたし、それよりは技術や科学や計算が重要だと思っていた。若い頃はもちろん勘や経験や根性はあまりないわけだから、技術や科学や計算でやって行くべきであると思う。
ところが、システムというのは人間が使うものであり、人間の作るものなのだ。つまり、目標も経過も随分とあいまいなものである。
現象をモデル化する時、厳密にモデル化して厳密に解くことができればそれがベストである。しかし、それができない時には、適当にモデル化して適当に解く方が安定性が高いことが知られている。厳密にモデル化して適当に解くのでも、適当にモデル化して厳密に解くのでもいけない。モデル化と解法のバランスが重要なのだ。
# cf. 「有限要素法へのガイド」戸川隼人著 P.3〜
となると、元々あいまいな人間が使うものを、厳密に定式化してもあまり意味がない。むしろ「えいやっ!」みたいなことの方がうまく行くことも少なくない。その「えいやっ!」というのは勘や経験で行われるところの、「適当なモデル化」である。こういったことは、なかなか文書化できない。
件のページでは文書化されていないことがかなりヤリ玉に挙がっているのだが、文書化はどうやっても限界がある。「録音」ではライブの興奮は100%伝えられないのと同じようなことだ。いかにHi-Fiを目指しても、しょせん録音は録音。それを超えるには受け手の想像力を要求してしまう。しかし、想像力を養うには経験が必要になってしまう。
とか考えると、技術や科学や計算でのアプローチをより活きたものとするには、「経験を積め」ということになってしまい、結局最初の話にもどってしまう。その辺が2007年問題の本質なんだろうなという気がする。