「愛国心」

http://www.asahi.com/national/update/1008/037.html

長野県議会で国旗掲揚が決まり、これで日本中の全都道府県議会での国旗掲揚になったらしい。

君が代斉唱をしなかった教職員が処分を受けたりとか、この手の「愛国的なもの」への締めつけが厳しい。

個人的には私はいわゆる国家主義的も部分を持っているので、声高く「日本国を愛します」と言いたいのではあるが、どうもこの手の「締めつけ」には
疑問を感じてしまう。それは自分がアナーキーもあるという部分があるからということだけではなくて、どうもこの辺の「愛国」というのが、「なんか違う」と
思うのだ。

私は「国を愛すること」と言うのは、その国の上に成立しているもの、あるいはその民族の性質といったものを愛することが、第一歩だと考える。だか
ら、「美しい日本語」とか「日本の歴史」とかいったものだとか、「日本人の特性」とかいったものを学んで、それを肯定的に受け止めること。これが「愛国」
だと思うのだ。また、友達やら家族やら同僚やらといったものを愛するということも関係がある。

ところがなぜか「愛国」と言うと、いわゆる戦前の天皇制回帰のようなそういったことになってしまっている。その時代の「愛国」とは、つまりは「国
防のための動機づけ」であって、「なぜ国防が必要か」という部分の説明がない。まさか今「愛国」だの「国防」だのを言っている連中だって、「最後には天皇
陛下お一人が助かれば」なんて本気で思っているとも思えん。

だから、まずはそういったいろんな人が嫌なことを連想してしまう「戦前的な愛国」と「愛国」を切り離すことをまず行い、「現代日本人にとっての日
本国とは」みたいなことをまず整理してから、「愛国的なもの」を進めるべきだと考える。つまり、愛するべき対象をはっきりさせる必要がある。

その辺を抜きにして、形だけ「愛国的なもの」にしても、あまり意味がないし、反発されるだけだと思うのだが。