“誰も書かなかったチュウ国(前編-6-)”
[会社生活で...その3]

["平等≠公平"とは???]

話は変わりますが、、、現在全てのチュウ人には"都市民"か"農民"のいずれかの戸籍があります。この制度は現在政府は公には認めていませんが、実際には歴然として存在しています。いきさつはチュウ国キョウサン党が出来た時、農民の都市への移動を認めず一生農村に縛り付け、農業に従事させるのがその最大目的だったとか。??

もちろん現在"農民"戸籍の人達が全て農業従事者と言う訳でなく、商売をしたり、サラリ-マンの人もいます。しかし彼ら、彼女らは生まれながらにして"都市民"あるいは"農民"のいずれかの戸籍が一生付いてまわります。
結婚、就学、就職、その他全てに影響。、、、"農民"戸籍の人が、もし"都市民"に戸籍を変更したいと思っても現実的には不可能です。逆の場合も同じ、しかし普通"都市民"から"農民"への変更希望者はいない。当然、"都市民"の者は"農民"戸籍の者を腹の中ではバカにし、軽蔑しています。大ぴらではないが、、、、

私の工場に"農民"戸籍の優秀な青年がいて、もちろん私は戸籍の事はその時は知らなかったのですが、彼の話では国立大学を決められた成績以上で卒業し、その後、変更申請を省政府に提出、数年後当局の審査をパスしたら改めて指定された大学でさらに数年勉強。

更に諸々の審査を経て問題無ければやっと政府から正式に変更が認められるそうです。だいたい"農民"戸籍の人が義務教育を終えて、さらに経済力も含めて進学能力が有っても高校までが普通。大学も地方の日本で言う高専が限度、ましてや国立大学まで進むのは地域にもよるが物理的にも至難の技らしい。要するに原則として戸籍変更を認めていても、現実は不可能な訳です。

彼の場合は経済的にも艱難辛苦して地方の大学院電気科まで卒業したのですが、上記の理由で"都市民"にはなれなかったそうです。この制度に気が付いたのは、工場で人の採用、退職など、人事面の仕事をしている時でした。我社はそう言う区別、差別はしていませんが、例えば新入社員の初任給、業務内容、職階級、いろんな事に制約があります。会社が各人の戸籍を無視して学歴、経験、人格などで人事を行なおうとしても組合を通じて何かと制約を受けます。

学歴と戸籍は直接関係しませんが、やはり一般的には"農民"の方が低学歴者が多い。しかし中には例えば"都市民"でも学歴が低いためにワ-カ-の仕事をしたり、逆に"農民"戸籍でも上記のようにエンジニアもいる訳です。数は少ないが、、、

だから"都市民"の"農民"に対する差別意識は根強く、まして学歴が低ければ徹底的にバカにします。ある時、"農民"戸籍と言う事を知らずに、現場の優秀な女の子をワ-カ-の仕事から事務職に配置転換しようとしたら、"都市民"戸籍の大卒のスタッフが猛反対し、挙げ句は組合が問題として取り上げた。と言ったように実力主義と大袈裟に言わなくても、日本では何でもない人事移動や職能に応じた給与体制が、簡単には実行できません。
(ブラジルでの「自分の職域、権限を守る為、部下を指導しない習慣」と似ているが、思想背景が違う。)

労働組合はある程度の規模以上の企業には、設立義務があり、それは日本の組合とは大きく異なる。
ペキン政府-省政府-市政府(キョウサン党労働委員会)-各企業の組合、、、と繋がっていて、労働者保護の名目で何かと企業に対し制約を課してきます。個人の特性、実力、能力、才能無視、人権無視もいいとこです。

それでも我社みたいな日チュウ合弁企業は徐々にこの悪弊は少なくなってきているようですが国営企業はまたまだ数十年先??のことでしょう。

チュウ国の社会全体で、見えない所で階級制度がはびこっているのです。
シャカイ主義、キョウサン主義のたてまえからいけば本当におかしな話だ。!!が、よく考えたらそうじゃなくてシャカイ主義だからこそ階級制度が必要で、国民をそれぞれの階級の中で平等、いや"公平"??に扱う、と気づきました。

日本人の或いは日本語の"平等=公平"じゃないのです。意味が我々とは全然違うんです。

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