“誰も書かなかったチュウ国(最終回)”
"ホンコンからチュウ国を振り返って" 以降 1998 年3月 記

前編までは筆者がチュウ国滞在中に記していた日記、メモを纏めた物ですが、ここから先の後編はホンコンに来てからのチュウ国回想録形式で書いています。

[チュウ国雑感、最後に、、、]

冒頭にも書いたように"独断と偏見"かも知れないが、それでも自分では出来るだけ"客観的かつ冷静"に書かなければ !! と意識した結果、難しく、最もらしい理屈を並べた"悪口チュウ国評"になりました。、、、しかし今考えるとチュウ国の場合は、ただ単に
"私の性に合わなかった"と一口で言った方がより正解、私の本音に近いようです。
(しかし、、、日本の新聞、チュウ国関係書籍の中で私の考えと全く同じ主張をしているのを読むと"やっぱり、、"と自信が湧くのも事実。)

≪ブラジルでは13年も居たので結構嫌な事も多かったがチュウ国ほど細かいことが気にならなかった、と思う。あるいはチュウ国も10年も住めば、これほど悪印象にならず、好きになってたかな???まさか???、、、"住めば都"、この言葉も場所によりけり、、、、
何十年住んでもイヤな所はイヤ!!


もともとチュウ国に行く前までの私のチュウ国感は特に先入観もなく、どちらかと言うと歴史が好きなこともあって楽しみにしていたぐらいです。がしかし、現実3年間生活してみると前記のような実態の方が印象強く、特に最後の1年間はどこにも出かける気になりませんでした。

元来、理屈っぽい私、しかも海外生活が長くなると、どういう訳かたえず上記のように日本(人)とその国(人)を考えるのが、日常生活の癖になっています。ブラジルでもそうでしたが、日本とその国の歴史文化風習などを比較して何故??どうして?? と、いろいろとあれやこれや考え、資料を読んだり、また出来るだけ現地の人と付合ったりしながら自分なりに分析するのが好きです。


例えば、何回もくどくどと書いた
チュウ国(人)のあの汚さ、不潔さ、は一体何故か??あるいは「食」の項で日本のチュウカ料理を私は「チュウカ風日本食」と名付けましたが、それでは何故、同じチュウカ料理でも日本人の味の好みと、チュウ国人の好みが変わったのか??等などいろいろありますが、、、、いずれにしても日本文化のル-ツ、師匠であるチュウ国と、弟子である日本が全ての点であまりにも違い過ぎます。遠く大和奈良、平安時代にチュウ国から伝わった文化が一体いつ頃、どのようにして変化したのか??

日チュウの古代史から近代史までをとおして、今の日本人の特性がどのようにして形成されたのか?素人ながら地理的、歴史的に考えるのが好きなのです。大袈裟ですが、、、
((ブラジルにおけるポルトガル文化の変遷と比較して考えてみても、日本とチュウ国との違いは説明できない。))

(この私の疑問はつい最近、≪(Link)ある本を読んで納得できた。≫つまり我が国が彼の国からの文化伝来で影響を受けたのは、ホンノ仏教伝来が始まった頃だけで(注)、以降はほとんど影響を受けずに我が国独自の文化として発展してきた、、、との解釈。)
《(注)我が国への仏教伝来は正史では西暦538年、大化の改新の凡そ100年前》



ホンコンに住み始めて、改めて日本の歴史と、ホンコンやチュウ国、韓国、東南アジアの悲惨な近代史と比較すると、改めて日本の素晴らしさ、特に
≪(Link)明治維新前後の日本人の素晴らしさを≫痛感します。日本人のまれに見る特性は世界に類を見ないと思います。

つくづく日本人として生まれた誇りを感じます。日本へのホ-ムシックでしょうかね、それとも多分歳のせいか???
しかし前にも書いたように
現在の日本は政治、経済、社会、、いろんな面でまったく最悪で、将来を憂いますが............全 完


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