“誰も書かなかったチュウ国(後編-2-)”
"ホンコンからチュウ国を振り返って" 以降 1998 年3月 記

前編までは筆者がチュウ国滞在中に記していた日記、メモを纏めた物ですが、ここから先の後編はホンコンに来てからのチュウ国回想録形式で書いています。

[何を信じたらいいの ??」

私は現代の若いチュウ国人が何を信じて生きたらいいか?迷い続けるのではないか、と思います。
その理由の一つは、、、

モウタクトウがチュウ国の長い歴史の中で初めて全土を掌握し、チュウゴクキョウサン党を創って確か60数年、旧ソ連と喧嘩等しながら独自のシャカイ主義の道をまっしぐら。しかし末期には"ブンカダイカクメイ"と言う狂気で国内は人、物ともにメチャクチャにして一巻のおわり。

次はトウショウヘイが「カイカクカイホウ政策」で
経済は資本主義((彼らはこの言葉は使わないが...))、政治はシャカイ主義で、と相矛盾する政策を掲げばく進。

'89年のテンアンモン事件をチュウ国国内では"小さなデモがあった"とお茶を濁し、他国の批判も何のその、今や経済大国にならん、とばかり急成長しています。

ペキンやシャンハイ、シンセン(カントン省)等のケイザイトッ区は高層ビルが林立しハイウェイがどんどん伸びています。シャンハイの夜の繁華街など、"これが本当にチュウ国か??"と思うほどネオンの海です。国民は必然的に拝金主義になり、官公庁の汚職は後を絶ちません。要するに
僅か60年ぐらいで世の中が二転三転と価値観が変わったのですから、、(日本も戦前と戦後は価値観が変わったがそれ以上と思う。)

もう一つの理由は、、、

チュウ国もホンコンも毎年8月15-18日の内1日を日本に対するセン勝記念日として法定休日にしています。(ホンコンは1999年から廃止になった。)

ホンコンではただの休日として一般人は休みを楽しんでいるように見えますが、チュウ国では
国、地方政府がマスコミを総動員して"キチク(おに、ちくしょう)日本"宣伝をします。テレビ、映画館など50年以上昔のことを、これでもか!!これでもか!!と毎年8月15日前後1週間ぐらい、古い映像で流します。大日本帝国陸軍によるシナ事変、シャンハイ事変、ナンキンダイギャクサツ、、、、若い人を洗脳するのも国策だろうが、そのしつこさが半端じゃない。

一方、彼らの家の電化製品は全て日本製、もしくは日本メ-カ-チュウ国製、その他一般家庭用品の大半も同じく。大卒の希望就職先は日系企業もしくは他の外資系、とにかく日常生活、文化その他のあらゆる場面に日本の影響が浸透しているのに、
口を開けば日本の悪口、ときます。

チュウ国に居たある日、私のホテルの近所のタバコ屋でアイワのウォ-クマンを片手に店番をしていた20歳ぐらいの顔見知りの青年が、靖国神社に橋本総理が参拝したとか、しないとか、で本気で私の意見を求めてきた時にはビックリしました。彼は
「戦犯=犯罪者(刑事事件と同意)なのに何故日本の総理大臣は犯罪者を参拝するのか??」と、単純に疑問を私にぶっつけたのです。ガキのくせに !!まさに洗脳の賜物ですね。

また、工場のチュウ国人スタッフに日本式工場管理、品質管理がいかに世界で評価されているか、要するに管理手法の大切さを説いていても戦時中の軍隊の管理に結び付けて考える者も居て、(20歳代のガキがですよ、、、)よく議論したものでした。(本当は政治の話はチュウ国ではタブ-ですが...)

別の言い方をすれば、
日本製品は優秀で好きだが、日本人は嫌いだ!!! と、なる訳です。何故日本製品は優秀か?それを創り出している日本人とは?? と、こんな風には考えないんですよね。

チュウ国政府は現在も国民に対してマスメディアの統制、情報鎖国をしていますが、カイカクカイホウ政策のお陰で
政府が好まない情報まで入ってくるので"たてまえと本音"、自己矛盾に陥っている訳です。だから若い人達は混乱しているように見えました。もちろん前記したようにホンコンでも8月は反日的なPRは有りますが、チュウ国程ひどくはない様です。

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