●朱践耳そのひと●
朱践耳(1922〜)は安徽省出身。
1949年ころ,とありますから27才くらいのときから
映画制作会社や楽団の専従作曲家として活躍しました。
のち,1955年にはモスクワのチャイコフスキー音楽学院に留学し,作曲を学びました。
管弦楽・室内楽のほか,ピアノ・オーボエ等の器楽曲のほか,
人口に膾炙した映画音楽等の通俗曲も多く作曲している。
というように,わりと西洋系の曲などが多そうですが,この作品は
留学前に作ったもの。だからのちに述べるように,中国の地方色が濃厚なのかも?
●題名と内容●
「翻身(fanshen)」は,最初は体を翻すくらい喜び踊る,という意味かなと誤解していたのですが,
二胡ソロ曲「翻身歌」を復習しているときに人に意味を聞かれたので,念のため辞書を
引いてみたところ,ぜんぜん違いました。意味は
生まれ変わる,(いままで抑圧されていたものが)解放されて立ち上がること。
とあります。具体的には,共産主義革命を意味するのでしょう。
そして,ここでの意味は,おそらく,それまで
地主のもとで働かされていた貧農が,共産党の土地改革によって自分の土地を得,
喜んだことと推測されます。
なぜなら,この曲は本来,長編のドキュメント映画『偉大な土地改革』の挿入歌だったからです。
おお,もろ中国共産党のプロパガンダ映画じゃん?
この挿入歌を,彼は民族楽器・西洋楽器混合の合奏に編曲し,そののち民族器楽合奏曲に
再度編曲したということです。またピアノソロにもなっているとか。この「濃い」メロディを
ピアノで弾くとどうなるか,ちょっと聞いてみたい気もします。
●構成●
《第1段》
冒頭に合奏による賑やかな前奏があり(1小節〜),それににつづく第1段は,
板胡の明るい音色で陝北(陝西省北部)の民謡風の旋律が奏でられます。
そしてこの旋律がさらに二胡が加わって繰り返され,喜びも倍増!(たぶん15小節〜)
《第2段》
第2段は主題が山東省の呂劇(おもに山東省の東北部で語り物から発展した戯曲)の曲調が
採りいれられ,音色が人声に酷似している管子を中心に奏でられます。
この管子は,貧農の老人が,新しく得た土地の上で,あふれる喜びを押さえられず,
おもわず小唄を口ずさむさまのようだとか。(たぶん69小節〜)。
天昇ではこれを曲笛中心にやりました。
《第3段》
そして第3段は,2つのパートが掛け合いをしながらフレーズが徐々にみじかくなっていくという
「河北吹歌」の技法を生かしたメロディが奏でられます。
掛け合いをしながらみじかく・・・というのは「金蛇狂舞」
の項目でも説明した「■(虫+師)螺結頂」と同じですね。これそのものかどうかは
分かりませんが,民間音楽にはそういうの多いですよ。
もひとつ,「河北吹歌」というのは,管楽器が主体となり,民謡や民間の地方劇の曲目を
中心に演奏するので,「吹歌」といわれるそうですが,「吹鼓楽」「吹打班」「吹管楽」と
さまざまな呼ばれ方をするとか。要は,各地にある「吹打音楽」(管+打楽器主体の民間音楽)の
河北版,ということでしょうか?
具体的には,
子調・河北
子などがあるそうで,
両者の特徴は「吹歌」「
戯」によって非常に管楽器の技巧が発展したということです。
さて,「吹歌」は上に述べたとおり戯劇の特徴的なふし(唱腔)の模倣だと思うのですが,
「
戯」とはなんぞや。これは北方の民間器楽で,
「口哨koushao(口笛koudiとも。そのうち写真を載せますね)」や「
哨」という
スオナっぽい小型の楽器で人の声を真似て戯曲の有名な節を歌ったりする芸だそうです。
つづいて笛と管楽器が伸ばす長音の間を巡るように他楽器が8分音符の刻みで呼応するというつくりで,
音程上は上四度と上五度の調式が交互に出現しながら,クライマックスに向かっていき,
土地改革によって「土地証」を得た農民達の天にも昇らんとする喜びをいきいきと表現します。(たぶん91小節〜)
《コーダ(尾声)》
コーダでは前奏のメロデイが形を変えて再現され,前後の統一感を生み出しています。
板胡と管子の主奏部分が特に民間音楽の風格を濃厚にかもしだしています。(たぶん150小節〜)
この最後の詰めの部分で,本番はちょっとずれてしまったんですよね。またいつか再演する
機会があったら,このへんをばっちりと決めて終わりたいモノです。
※出典データ:
・スコアの解説・・・周仲康主編『中国民族器楽合奏曲集』上海教育出版社,2002
・上海音楽出版社編『中国音楽欣賞手冊』(上海音楽出版社 1981)234・535・669頁
・中国芸術研究員音楽研究所《中国音楽詞典編集部》編『中国音楽詞典』(人民音楽出版社,1984)205頁「
戯」の項