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■11がつ■
2001/11/30 16時に起きる。すき焼きを食べて散歩へ。頭を空っぽにするのもよし、考えるのもよし、ひらめくこともあり、ただ汗をかくだけでもよし、マラソン選手になった気分で、風を避け他人の背中にピッタリとくっつくのもよし、街灯を目指して一心不乱になるのもよし、背後に人間の気配を感じ追い抜かれぬと頑張るのもおかしくてよし。コンビニでドカドカとお菓子を買い込み、TSUTAYAに寄る。まつのさん、菅野さんが観たという『U・ボート』を借りる。「またこんな男が観るような映画……菅野さんも変なものを薦めるわねえ、たまには女の子らしいものを観なさい」と母が言う。だって恋愛ものとかって興味がないのだもの。あ、でも『恋愛小説家』は観たい。2時頃、『U・ボート』を観る。爆雷攻撃シーンに流れる「ターンターンタンタターン」という音楽の素晴らしいこと。耳から離れなくなります。戦争映画はあまり観たことがないのですが、戦争映画というよりも途中でドタバタコメディかと錯覚するほどです。それほど、「戦争に栄光などなく生存あるのみ」というように、必死に生きる乗組員たちが描かれているのです。最後は「え!? そんなぁ……」と脱力してしまいますが。菅野さんは3時間29分のディレクターズカット版を観たそうですが、きっとあの閉塞感と緊張感でヘトヘトになることでしょう。明け方に寝る。
2001/11/29 14時20分に起きる。辛子をたっぷりつけたおでんを食べる。鼻の奥がツーンとして涙がでる。おでんを食べているのか辛子を食べているのかわからない。新聞を読む。ハリウッド映画ではイスラム教徒はテロリズムであるというイメージを定着させ、イスラム教徒の印象が頭のおかしいテロリストというものに変わったのは最近20年のことだと書いていた。『ハンニバル』での指名手配写真でカニバリズムのレクター博士とビン・ラディン(ビン・ラディンはテロリストであるが)が並んでいたし、『トゥルー・ライズ』『マーシャル・ロー』ではイスラム教徒=テロリズムというものになっているらしい。ちなみに日本人はよくヘコヘコと頭を下げているが、『ハンニバル』ではベッキオ宮から吊るされたパッツィ刑事を指差して日本人集団旅行者の一人が「あれ見て!」叫ぶ。まあ侮辱的な感じはしなかったが、なぜここで日本人なんだろうなあ……。夜、『破獄』を93ページまで読む。佐久間清太郎はいとも簡単に手錠を外してしまう。一体どうやって!? 相当手が細いのか、いやそれでも手の大きさに合わせてかけるだろうし不思議だ。わたしは病院で布製のもので拘束をされたのだが、緩くて1度片手だけ外したことがある(外したのがばれると手が痺れるぐらいに締められる)。しかし、鍵をどうにかするなんてことは不可能だと思う。力を込めて鍵の部分を回そうが布を引っ張ろうが無理なのだ。3時頃、ライスでグラタンにチーズをかけ、焼き上がるまでオーブンの前で座って待つ。お腹がいっぱいになって寝る。
2001/11/28 6時に起きる。今日はビデオの返却日だった。昔なら図書館の本でも平気で延長していたのだが、ズルズルとした生活習慣を断ち切らなければならないのだ(普通のことがなぜ普通にできないもんかなあ……)。急いで『ハンニバル』を観る。10年前に『羊たちの沈黙』は観ていたわけだが、すっかり忘れてつながりが解らない。ひー。しかしこのアンソニー・ホプキンス『ハーモニーベイの夜明け』では締まりのない太った(そう見えた)おじさんだったのに、『ハンニバル』ではアルマーニに身を包んだ洒落たおじさんになっている。「新しいものを食べてみるのが大事なのよ」ということでこの映画を見終わった後、狂牛病なんか恐れずにもつ鍋を食べてみることをお薦めする。凶悪犯人指名手配写真にビン・ラディンの顔があるので注目。貿易センタービルのテロを起こす前から指名手配だったのね……。夕方、家に帰るとKからの誕生日プレゼントが届いていた。ぬいぐるみ、本、そば茶、Tシャツなど。クンクンと匂いを嗅いでみた。汗でもなく体臭でもなく鉄っぽい無機質な匂い。そば茶を母と飲む。「Kさん健康に気を使ってるのかしらねえ」と母が言っていたが、おいしいから飲んでいるらしい。うん、香ばしくておいしいね。夜、ぶかぶかのTシャツを着て寝る。
2001/11/27 13時に起きる。眠剤を飲んでいないのに熟睡している。眠れない頃よく「眠れないんだったら起きていればいい」と言われて「こっちの気も知らないで」と腹を立てたもんだが、眠れなかったのは現実離れした妄想を抱えていたからだと思う。妄想は楽しいこともあるけど、いつ壊れるかという不安も離れないのだ。大江健三郎は眠れないときは辞書を読んでいるらしい。賢い人はしていることが違うんだなあ。母が首が痛くて回らないというので病院に行く。骨には異常がなく筋肉痛らしい。母にいま寝込まれたら困るのだ。痛そうな母の顔を見ておろおろする。たこ焼きを食べて寝る。
2001/11/26 8時に起きる。病院に行く。もう病院に行く必要ないんちゃう? と思うんだけど、クスリは必要なわけで、とぼとぼと車に乗り込む。生死を彷徨ったわたしがこの病院に救われ、「あなたは一度死んだのだから、新しく生きるんだ」と主治医に言われ生きてみようと思った。病院にいると安らげた。しかし、いまは一部の患者たちを見ていると、なんともいえぬ不快感が襲う。アホ面でニヤニヤ笑ってるんじゃねえよとか、治す気ないんだろう下品なブタ(ブタというのは卑しいの比喩)が……とか思うのだ。わたしは下を向いて本を読んでいるのだけれど、チラチラとそのブタたちを見てしまう。しつこいようだけど、人を見下すことや馬鹿にしてニタニタと冷笑することなんて誰にでもできるものだし、反面教師的なメリットはあるかもしれないが、そんなものは糞ほどのものだ。いやたいてい糞ほどのメリットにもならず、「同じ穴の狢」になっている。ただ、わたしにはもう必要のない場所であっても、病院に救われたということは「絶対に」忘れてはいけないことなのだ。心の中で、さようなら病院、さようなら基地外((c)筒井康隆)とつぶやいて終わりにしてはじめよう。TSUTAYAに寄って『ハンニバル』を借りる。菅野さんが読んだという『奇跡の人』を購入。読んでない本がたまっているというのに……。『破獄』を読む(わたしはなにから脱獄したいんだ!?)。硬い文体で読みにくいが段々と面白くなってくる。3時頃に寝る。
2001/11/25 15時に起きる。いよいよ26歳になってしまった。こうやって30になり40になり「さて気合いを入れて頑張ろう」というときには老人になっているんだろう。Kにお祝いしてもらおうと、電話を何回もかけ、プレゼントはあれが欲しいこれが欲しいと注文し、クマのぬいぐるみ以外にも普段身につけているものを入れてもらった。それを着て寝ることにしよう。「おとなの小論文教室」を読み終える。久しぶりにペンを握り赤ペンを引いた。当然のことが書かれてあるのだけど、ここでもいわれている「ありのままに観る」というのが難しいのだ。「ほぼ日刊イトイ新聞」は文章の書き方の勉強になると思う。ソバとパンを食べて、汚れていた水槽のろ過装置を換える。明け方に寝る。
2001/11/24 11時に起きる。毎日日記を書くというのは大変なことだ。「一日ゴロゴロと寝ていました」とは公開している手前したくないものだ。書くために外出したり、本を読んだり、映画を観たり、「なんだか違うな……」と思うのだけど、悩んでいる暇を与えずに動こう、うだうだしているときって結局逃げてないか? と思うわけで、書くためであれなるべく動くことにする。そして時間を決める。スケジュールを組むのは最初は苦痛かもしれないが、習慣になればしめたものだ。「普通や平凡が一番難しいんだよ」と母がよく言う。「難しい? だからなに?」とわたしは思っていた。普通平凡=習慣というのは、困難を乗り越えられる力があるんだと思う。習慣という軸があってこそ、困難さえも楽しいものとして受け入れられる。夕方、天ぷらと蝦芋の煮物(京都特産で里芋を長くしたような芋)を食べて散歩へ。母が公園のトイレを使っている間、わたしはブランコの前の柵に腰掛けていた。時計台を眺めていると突然「苦しくなったらここにこよう」と思った。たぶんくることはないんだろうけど、そう思った。TSUTAYAへ寄る。『ショーシャンクの空に』を借りる。偶然にも脱獄ものが続いている。『ハーモニーベイの夜明け』と違って、強引な展開で物語がバラバラになることもなかったし、ティム・ロビンスとモーガン・フリーマンとの友情もわざとらしく感じることもなかった。それにしてもティム・ロビンスって古尾谷雅人に似てるなあ。6時に寝る。
2001/11/23 16時に起きる。従兄弟の結婚パーティで母は留守。従兄弟は7人(男4人、女3人)いるわけなんだけど、これで兄弟とも結婚していないのは、わたしのところだけになってしまった。姉は仕事人間だし、全然結婚しそうにない。親の期待はわたしに向かう。結婚するとなればきっと「そうかそうか」とわたしを蹴っ飛ばして大喜びするはずだ。父とKは食べ物の好みが違うだけで、優先順位がはっきりしているところや、陽気で行動的なところ、細かいところをいうと刑務所ものの小説を好むなど似ているのだ。娘は父と似た男と結婚するというが、「お父さんみたいなのは絶対に嫌! 信じらんない〜!」と否定していたのに、いまは母が父に惹かれたことが納得できてしまう。だから母とKはもちろんのこと、父とKも似たもの同士意気投合し、わたしを子供扱いしていじめるに違いないのだ。一人淋しく金魚に餌をやり、お腹をすかせて母の帰りを待つ。18時に母帰宅。スパゲッティをゆでてもらい食べる。夜、小論文の本を読む。少しずつ身につけることをやっと理解する。「転がる石に苔は生えない」というのは、「転がるものはなにも身につかない」とマクマーフィが言ったことを思い出して笑う(「A rolling stone gathers no moss」というのは、英国では「商売変えは損があって益がない」と解釈されているらしい)。わたしはいま幼稚園児ぐらいだろうか。中学生ぐらいにはなろう。明け方に寝る。
2001/11/22 13時30分に起きる。起床時間を書けば早起きするだろうかと思っていたのだが、あまり関係ないようだ。一応努力はしている。しかし昼過ぎに起きるとアッという間に外が暗くなってしまうから損をしたような気分になる。家に籠もっていても仕方がないので、夕方、酢豚を食べて散歩へ。きちんと背広を着た70歳ぐらいのおじいさんが、風変わりな車椅子で散歩をしている。握るところが片方だけで、かなりの力がいると思われるが、坂道を「どっこいせ」と気張って回している。「押しましょうか」と母が云うと、「いえいえ〜結構ですよ〜!」と大声で答えた。すごい気合いだ。「どっこいせ」「よっこらせ」という掛け声も必要なのだ。要するにかけるタイミングの問題なんだと思う。コンビニでお菓子とジュースを買い込み、家へ駆け込み、ホットカーペットの上でゴロゴロ、そして映画。優しい気持ちでビデオテープを挿入し再生。『ハーモニーベイの夜明け』を優しい気持ちで観る。む、見当がついてしまう、感動しない、それに拘束された身体であんなに人を倒せるかっていうの! ヒューマンドラマらしいが、これはアクション映画だ。「小説が面白くないのであれば読まなければいい」と村上龍が云ったそうだが、わたしは観るよ、優しい気持ちを探すんだ。『腹立半分日記』読了。半ば辺りから「カッと逆上」が多くて面白い。小松左京、星新一、眉村卓など著名人とのどんちゃん騒ぎ、贅沢三昧の中、ピーター(飼い犬のセントバーナード)がおっとりといい味をだしている。5時頃Jから電話。うとうとしていたので出ず。最近Kとしかしゃべってないからか、他の人としゃべるのは違和感がある。
2001/11/21 8時に起きる。「おはよう8時だよ、会社の時間だよ」と電話をすると、「優しい気持ちで映画を観ると、ご近所さんにも優しくできるよ」とKがしゃべりだした。なにを突然と思っていると、「プリンターがですか、ムニャムニャ」と云うから、寝ぼけているということがわかった。Kは寝ぼけるとなぜか会社での話になる。普段は会社のことは全く話さないのに不思議だ。本当は会社の心配事を我慢して黙っているのだろうか。しかし、寝言と話したら死ぬとか不吉だとかいわれているが、そのまま電話を切ってしまうのも淋しいので、つい遊んでしまう。「好きな女の子はだれ?」「会議がはじまりますか、ムニャムニャ」とやはり会社にいることになっているらしい。あきらめて「じゃあ切るね、じゃあね」と云うと「ん、どうして?」と云う。「じゃあね」という言葉にだけ普通の反応を示す。ところで「優しい気持ちで映画を観ると」とは、昨晩わたしが「つまらん、面白くない、サイテーだった」と観た映画のことをボロクソに云っていたからだろう。「また次ぎに観ると面白いかもしれないよ」と何回も云ってたもんなあ、わたしを優しい気持ちにさせたいんだなあ。「ご近所さん」というのは謎ではあるが、頑張るよ。夕方、服部緑地で散歩する。図書館からドカドカと本がくる。
2001/11/20 昼過ぎに起きる。新聞を読む。新聞は唯一社会というもの(常識)との交わりで、読まなければ歯車がどんどんと狂っていきそうなので読むようにしている。しかしのんびりしていると半月近くもためこんでしまうから、古い情報を読むことになる。とくに不都合でもないのだが、流星が見えたなどというのは、後から知るとなんとなく悔しいものだ。新聞は毎日読むことにしよう。Kは新聞を読まない。ナポレオン(?)は弟に新聞を読ませ弟から聞いていたと、ホントかウソかわからないようなことを信じている。自分はナポレオンみたいなものと云いたいのか、読みたくない口実なのかわからないが、とにかくわたしが読んでKに伝えている。その代わりというわけではないが、わたしが書いたものはKに声を出して読んでもらう。面白いところは声が大きくなる。文章というものは、自分が信じていればいいと思うのだけど、笑ってくれると嬉しい。WOWOWで録画した『マルコヴィッチの穴』を観る。大ヒットコメディ、大爆笑、シニカルな笑いも散りばめられたということらしいのだが、全然笑わなかった。チャーリー・シーンの禿頭も笑うところなんだろうか……。もしかしてよくわかってないと笑えない映画なのかもしれない、だとしてもわざとらしくて面白くないような気がする。基本的に可愛くないと笑えない。『カッコーの巣の上で』でいうと、精神病院から脱走した患者たちが魚釣りをしていて、とれてしまった魚の目を不器用な指で引っ付けるシーンが可愛かった。本を読んで、Kと本や映画の話をして、うとうとしてきたので眠剤を飲まないで寝る。
2001/11/19 「水族館に行くよ〜」と母に布団をまくられ、背中を押される。15時に海遊館に着く。マイワシとカタクチイワシの群がまるでスーパーに売っているめざしが泳いでいるようだった。横にいたおばちゃんたちが「これ焼いて梅で和えたらおいしいのよねえ」と云っていた。しかしこのおばちゃんたち、牛や馬でも「おいしそう」と云えるだろうか。実家近くに屠殺場があって、トラックに乗せられた牛が運ばれていくところをたまに見かける。その度に「あの牛たち殺されるのがわかっているのよ、可哀想に……」と母が云うのだけど、「パクパクと食べてたその口でよく云えるわねえ」とわたしは嫌味を云う。安易に可哀想と云ってしまえることと、やっていることの矛盾。だから菜食主義になれっていうわけじゃなくて、云わなきゃいいのになあ、黙ってりゃいいのになあと思うのだ。それか勇気をもって正直に「あ、にんにくたっぷりのステーキが食べたいなあ」と云えばいいのだ(と、書いている内に母が狂牛病に敏感になっているものだから、牛肉がなかなか食べられずにいるわたしの執念的カキカキということに気付く)。考え事をしていると頭痛がしてきた。でもさ、一歩も外にでないよりも、タコクラゲを見た方がいいと思わない?タコみたいなクラゲだったよ。帰りの車の中で醤油をまぶした餅を2個頬張り、家に着いて寿司と鶏の唐揚げとフライドポテトをムシャムシャと食べる。満腹のまま寝る。
2001/11/18 13時に起きる。カレーライスを食べる。牛肉が入っていたので驚いた。母、降参したか。bk1から本が届く。「目の前で死にそうな人がいたら……」を考えていた。嫌な問いだ。末期癌などの病苦は別として、「死にたい」という根本は「他人を試す」なんだろうから。早くに寝る。
2001/11/17 10時に起きる。金魚の水槽(45センチ)を洗う。風呂場まで水槽を運びズボンのすそをまくってザブザブと洗う。ずいぶんと水が冷たくなった。水が光り透明になると気持ちがいい。金魚2匹、ブルちゃん、動物はみな元気。母がブルちゃんに芸を覚えさせている。毛布からでているブルちゃんの尻を「頭隠して尻隠さずポン」と叩くと噛み付いてくる。「ポンポン」とからかって遊ぶ。『真剣10代しゃべり場スペシャル』の第2部を観る。ゲストの平田オリザが「理屈で自殺は止められないが、自分の目の前で死にそうな人がいたら(赤の他人でも)力尽でも止める」と云っていたが、わたしなら、(どうすれば死なないかを考えたが削除)。あじの南蛮漬とイカの刺身を食べる。K機嫌が悪いのか疲れているのか元気がない。吉村昭の『破獄』を読みはじめる。4度の脱獄を実行した無期刑囚の話。
2001/11/16 14時に起きる。母と美容院に行くつもりだったのだが、起きられず。髪伸びたまま。セミロングぐらいか。このまま伸ばそうかとも思う。父の誕生日。退院してから母はわたしにつきっきりで父は一人我慢してくれている。親子仲はよくなかったかもしれないが、夫婦仲はよかったのだ。実家で赤飯と鯛を食べる。魚の骨は母にとってもらう。魚の小骨をよけながら食べるのは面倒で苦手。相変わらず父から逃げているわたしだが、犬と壁をはさんで「ブルちゃん〜ご飯だよ〜」「わあ〜、いいねえ」などと会話をしているようだ。変な感じだ。「娘は喋ってくれないけど俺は幸せな方なのかなあ、とお父さんが云ってたよ」と帰りの車の中で母が教えてくれた。父のことはもうたぶん嫌いじゃないのだけど、敏感に反応してしまう自分を抑えられるか、照れ臭いから駄目というこだわりが抜けない。父の古いカメラを姉に送る。また大学に通って写真を習っているらしい。炭そ菌の影響があるかわからないが、煎餅やお茶漬けも一緒に入れる。散歩から帰り、Kに電話。眠そうな声と思っていたら、ムニャムニャと寝てしまった。WOWOWの映画を録画したり、小論文教室のページを見たりしていた。この際、基礎から勉強しようとbk1で本も注文する。bk1ポイント(書評を書くともらえる)をはじめて使う。夜にお腹が空くので、飴とダイエットコークで紛らわす。4時に寝る。
2001/11/15 11時に起きる。モーニングコールせず。夜にKと喧嘩をしたので「してやるもんか」とふてくされて目覚まし時計を止める。おいこら、また自分が起きられないのを他人のせいにしようとしてるぞ。鰻丼と豚の生姜焼きを食べて散歩へ。いつものコースを逆回りして歩いてみる。錯覚で早く感じるかと期待したのだが、最後の直線コース(早足で10分ぐらいの距離)が殺風景で暗くてゴールが見えずやたらと長く感じた。理想は高くてもゴール(目標)は見える方がいい。しかし結構多くの人が歩いていることがわかった。普段なら気付かないところだ。こうこさんが観たという『バトルロワイアル』をわたしも観る。原作では('99年当時)菅野さんの周りの男性陣が千草貴子萌え萌え……の中、わたしは隠れ小川さくら押しだったのだ。さくらは映画でもちゃちに呆気なく死ぬ。映画では貴子よりも相馬光子がカッコいい。灯台で女の子たちが殺し合うシーンで毒を盛った女の子が「みんなのこと好きなのを忘れてた」という台詞が印象的。目的と手段を履き違えているんだなぁ、よくあることだ(笑)。後、殺し合いとは関係ないのだが、秋也の父親がレストランで注文を取りにくる店員に「ちょっと待って!」と怒鳴るシーンがなんとなく面白い。わたしの父もよく怒鳴っていたなあ、「早く持ってこい!」って。チーズケーキを食べて、『腹立半分日記』をパラパラとめくって寝る。
2001/11/14 17時に起きる。粕汁を食べたら夜になっていた。こういうときはさすがに「働かざる者食うべからず」と思う。せめてKが働いている間は起きていようよ。誰かが助けてくれるから呼吸が苦しくなり、誰かに甘えられるから頭が重くなる。精神的なしんどさなんてそんなもんだろう。『17歳のカルテ』を観る。精神病院が舞台となっている映画だけど、内容は友情もの。影響されそうで怖いなどの心配はないと思う。ウーピー・ゴールドバーグが看護婦役で出ていることからもわかる。Kと喧嘩。たいていわたしがくだらないことに拘って喧嘩になる。
2001/11/13 15時に起きる。モーニングコールを忘れる。母が買ってきたミニストップのチヂミを食べる。ニフティの頃の知り合いRICKYのページに、ブルちゃんの写真を載せてもらった。ニフティの頃というと'97年になるが、その頃は鬱はなく、好きな犬や普通に恋愛の話などをしていたと思う。RICKYはイラストレーターで犬の絵などを描いている。自分の軸というものを持っている人には安心できる。牡蠣の土手鍋を食べて散歩へ。TSUTAYAへ寄る。『17歳のカルテ』と『バトルロワイアル』を借りる。5時頃悪夢で目が醒める。子供の頃、飼っていたセキセイインコを餓死させてしまったのだ。「お母さんが餌を買ってきてくれなかったからだ」「わたしが大切にしていたインコをお父さんがわざと逃がしてしまって、他のインコたちのことがどうでもよくなった」と父と母のせいにしていた。「お母さんが忙しくても、自分が餌を買いに行けばいいことだ」「お父さんがインコを逃がしたことと、他のインコとは関係ない」「他人のせいにしている限りはインコの夢は見るよ」とKに云われた。他人のせいにしても自分は変わらないのは解っているし、他人のせいにして自分が這い上がっているように見えても、そんなものは鼻糞みたいなもので、自分は変わっていないことも解っている。インコたちの夢はなにを意味するのだろうか。わたしは今、頑張っていると思う。頑張っているのになぜ悪夢を見るんだろう。わたしに殺されたインコたちが「もっと頑張れもっともっともっと……」と伝えているように思える。違うかもしれない。インコのことを書く必要性や意味を考えたいのだけど、わたしはまず金魚に餌をあげなければならない。
2001/11/12 病院へ行く。クスリを飲まなくても眠れるようになってきたので、処方が変わる。いままでのベゲタミンBと新しくヒルナミンを半々でもらうことになった。『きょうのてんこ』は日常のことを単純に記録するためのものなんだが、油断をしているとついつい本音の腹立ち恨み私怨日記になってしまうので気を付けなければならない。病院の帰りに銀行とスーパーに寄る。母と暮らすようになってから、わたしは一切のお金の管理は放棄し、財布も持ち歩いていないわけで、銀行とも疎遠になっている。母が銀行でなにかしらしている間、わたしは駐車場で筒井康隆の『腹立半分日記』を読む。筒井のサラリーマン時代1958年から1978年までの日記。スーパーでは母とわたしは別行動を取り、母は野菜や肉などの食料品を、わたしは菓子やジュース類の目新しいものをポンポンとカゴに入れる。永谷園のラーメン茶漬けをやっと見つけた。大食いでもないのにいつも最低でも4袋は買っている。今日は野菜と果物で2袋になり計5袋をカートに乗せて駐車場まで運ぶ。鰯の生姜煮を食べる。Kの帰りが遅くてイライラ。遅くなるときは連絡して欲しいと頼んでいるのに一向に聞いてくれない。怒って寝る。
2001/11/11 11月8日の日記を読んで心配(?)してくださった方からのメール(無断公開)。「知ってるとは思いますが、健忘症ではないんです。薬の副作用(あるいは鬱)でそうなっているんです。実は私も一緒なんです。病気が完治すると元に戻るそうですが、やっぱり不安です。でも、世の中には生まれたときから物忘れの激しい人がいるんですから、開き直りでもいいのかな?と思います。それでは、また」。わざわざご親切にどうも……。でもねえ、食べるという行為はわたしの中ではそれほど重要性のあるものでもなく、常に他のことを考えながら素早く口にほうりこんでいるものですから、忘れるってもんですよ。というか、あなたどうしても誰かを病気にしたいのかい。まず自分のことを心配しなさい(笑)。思い出すという行為は脳の活性化のためにいいし、鬱だからとか元々だからとかに転がって開き直っていたらボケてきますよ。迷えば歩く。チーズ入りトンカツを食べて散歩へ。夜に『時計じかけのオレンジ』を観る。アレックスのママがひみつのアッコちゃんのようで可愛い。しかし目にまでも拘束……うぅ、やっぱり拘束シーンは駄目、吐き気が。刑務所の所長(?)の歩き方(止まり方)が大袈裟で笑える。アレックスがそれを真似てノミのように飛び跳ねて止まるのだ。ブラックユーモアたっぷり。よみうりテレビ『ドキュメント'01 触法精神障害者』を観る。包丁を振り回したら25年措置入院。「もう、あきらめてます」と息子は云い、「あの子と住むのなら死んだ方がまし」と母は云う。そりゃないよ、母、四半世紀檻の中だよ……。3時頃に寝る。K機嫌悪し。
2001/11/10 『真剣10代しゃべり場』の6期がスタート。久しぶりに観る。ど派手な16歳とコシノジュンコが意気投合。わたしが高校生の頃もイチゴプリントシャツの色白女の子とは正反対のタイプだったと思う。ど派手というわけでもないが、スカートを超短くしてみたいな……。ざっと見た感じでは、父は漫画家という男の子が妙に年寄り臭くていい。鶏肉のすき焼き(すき焼き用の鶏肉が売っているらしい)を食べて散歩へ。Kと喧嘩。「嘘をつかないで!」とわたし。「自由な時間をくれ!」とK。母が止めに入って怒る。
2001/11/09 金曜日が好きだ。ゆっくりとKと話ができる金曜日が待ち遠しいのだ。とはいっても、週末になると喧嘩をしているから、当然のように他人の時間を自分のものにできると思うのはよくないのかもしれない。いつも他人を必要としている人間は、簡単に必要としなくなる。つまり、他人の時間が自分にとっての当然と思っているから、簡単に裏切ることができるというわけだ。他人を求めすぎる人間は信用できない。仮に本当に病気だとして他人を必要とするなら、それなりの姿勢を示すべきだと思う。姿勢が見えないのであれば、病気でもなんでもなく、病気というものを利用して他人を騙しているだけだ。というわけで、わたしはその類の卑しいエセ病人は大嫌いで差別する。『カッコーの巣の上で』を観る。精神病院のリアルな映像。いきなり身体拘束と鍵の束。「チャリチャリン、ガチャガチャン」という鍵の音。「いやああああ!!」と叫いても無駄なんだよ、お前には人権というものはないのだから。ああ思い出す思い出す……地獄の閉鎖病棟。なんて(笑)思いっ切り感情移入して観ると楽しいです。ラチェッド婦長のビクともしないポーカーフェースに注目。真面目な話をすると、閉鎖病棟は確かに地獄だったけれど、あの地獄のことを思うと、たいていのことは乗り越えられるんだよね。でも地獄なんか自分から進んで行くものでもないです。牡蠣フライを食べて散歩へ。
2001/11/08 仕事をしているわけでもなく、家事をしているわけでもないのに、毎日が慌ただしいような気がする。一日が終わって翌朝これを書いているわけなんだけど、真っ先に忘れるのが「なにを食べたか」ということである。実際にはその日の内、正確にいうと昼食べたものは、夕方には忘れている。「えっと、お昼はなにを食べたんだっけ……」などと母に聞くことがよくあり、「せっかく時間をかけて作ってもこれだとねえ」と母が不満を漏らす。というわけで、大根の煮物を食べた。慌ただしいというのは、行動範囲が広くて落ちつけないというものではなく、本の内容などを思い出してああだこうだと整理する作業を繰り返しているからである。その時のわたしの足はガタガタと貧乏揺すりをしているからやっぱり慌ただしくて落ちつきがないんだろう。ちなみに整理好きな人は頭が悪いらしい。物事を右か左かと分けてしか考えられないからというわけなんだが。リクエストしていた本が図書館からくる。『腹立半分日記』筒井康隆著、『ぼっけえ、きょうてえ』岩井志麻子著など5冊。『軟弱者の言い分』で紹介されていた本。本から本へとつながっていくのは楽しい。頑張って読まなければ。ジョーシンでマウスを買う。「USB対応のものならどれでもいいですよ」と店員が云うのだが、どれを選んでいいか解らない。こういうときは詳しそうな人が手に取ったものを選ぶと間違いない。コンパクトサイズのELECOMのホイール付USBイメージセンサマウスにする。TSUTAYAへ。『時計じかけのオレンジ』と『カッコーの巣の上で』のDVDを借りる。時計じかけはなぼりんが観たというのでわたしも。スーパーで牡蠣などを買って散歩へ。
2001/11/07 今週は忘れずにモーニングコールをして頑張っている。8時に10回ぐらいかけたがKが起きず、わたしも寝てしまう。Kからの電話で起きる。遅刻しないで行けたようで、よかった。朝はお茶漬けを食べてブラックのコーヒーを飲んでから新聞を読む。気に入った記事は切り抜いて取っている。たとえば、11月6日の読売朝刊『編集手帳』では、田中角栄の大蔵省での就任演説「できることはやる。できないことはやらない。しかしすべての責任はこの田中角栄が負う。以上」というのがよかった。カッコだけが先走り浮ついた言葉というものには、踊らされることはなくなったが、カッコいい言葉というものはあるのだ。言葉を自分がどう捉え感じ咀嚼できるかということだと思う。お昼はたこ焼きを食べる。大阪では一家に一台たこ焼き機があると思われているらしいが、我が家にも当然たこ焼き機がある。母に焼いてもらう。ところでわたしは大阪生まれの大阪育ちであるから、喧嘩をすると「このヘタレが〜、なめとんかこらぁ〜!」と巻き舌で云う。Kはこれを聞くと「もう1回云ってみて」と面白がるから、全然怖くないのであろう。毛布にくるまってパソコンの前に座っていると、「蝉丸みたいや」と母が云う。百人一首の蝉丸なんだけれど、袈裟を羽織っている蝉丸は、母の中ではドンゴロスをまとっている蝉丸になっているらしい。で、わたしはみの虫か蝉丸かという姿でモジモジしているわけで、母はそれを剥ぎ取って「さあ、散歩に行くわよ」と背中を叩くのである。
2001/11/06 8時に起きる。Kにモーニングコールをするためだけじゃなくて、自分のためにも朝早く起きている。午前中にパウンドケーキを焼いて午後にはゆうパックで送る。卵をリボン状に落ちるまで泡立てるのに思いのほか力がいった。母にも手伝ってもらった。自動泡立て器が欲しい。ブルちゃんのガムを買いに行く。柔らかいタイプのものは食べてしまうので、超硬いのと馬のひづめにする。体長30センチぐらいの亀が店内を自由に歩いていた。頭を触るとちょっとだけ引っ込めたが、穏やかな性格のようだ。亀が家の中を歩き回るというのもいいかもしれない。でも糞尿はどうするんだろう、犬みたいにトイレを覚えられるようになるのだろうか。亀を見るとこうこさんのことを思い浮かべる。抱っこしてなでなでとかしているのかなあ、なんて。散歩へ。寒さと強風に負けじと200メートルぐらいを走る。家に帰ると疲れて晩御飯を食べてすぐに寝る。23時頃Kからの電話で起きる。1時間ぐらい話す。
2001/11/05 パウンドケーキの材料、ミックスフルーツ、オレンジピール、レーズン、ラッピング用の袋を百貨店で買う。昔50万部も売れていた作家なのに、今はほとんど無名という島田清次郎の生涯が書かれた『天才と狂人の間』(『石川近代文学全集6』杉森久英著)という本を図書館でリクエストする。LANの設定などをいじる。ネットワーク接続ができるようになった。細かい設定はこれから。天ぷらとおでんを食べる。眠剤を飲まなくても眠れる。調子は落ち着いていると思う。死にたいのであれば、死ぬ自由をなくしてしまえばいい。大切な人を裏切ることは許されない。
2001/11/04 今日の月は異常に大きくて丸くてオレンジ色に光っていた。真上にあるよりも、対象物に近いと月は大きく見えるらしい。散歩のときは薄着でいるのだが、家に帰ってからも寒さで身体が震え、電気毛布を出してくるまって寝た。熱帯魚ショップで蛍光灯の交換をする。薄暗い倉庫のようなところにたくさんの水槽がある。わたしは薄っぺらい生き物よりも、立体的で丸みのあるどちらかというと滑稽で可愛い生き物が好きだ。6センチぐらいの観賞用ふぐと黒いランチュウを眺める。『尻啖え孫市』司馬遼太郎著、『破獄』吉村昭著、『ダンボールハウスガール』萱野葵著を買う。『破獄』は菅野さんお薦め本。『ダンボールハウスガール』は以前1回手に取っていて気になっていたのだが、菅野さんが買ったというので買う。お好み焼きと豚肉の焼き肉を食べる。
2001/11/03 ネットワークの設定で数時間。とにかく大変だった。わたしが大変なんじゃなくて、ヒステリーに延々付き合わされたKさんほんと……ごめんなさい。『ビタミンF』を半分ぐらい読む。自分の子供がいじめられているのに、子供のプライド云々で黙ってあげたいなんてカッコつけたいようなことは、いじめの傷の深さがわかってないから書けるのか。死んでから「あのときなぜ黙っていたんだ!!」と悔やむのか。身内を死なせるのなら他人を殺してしまえと思う。雨で散歩に行けず。豚汁を食べて暖まる。金魚の赤と水草の緑と流木の茶がいい感じ。金魚は横から見るよりも、真っ正面から見る方が可愛い。20時に寝る。
2001/11/02 LANカードを差し込む。中がホコリまみれになっていたので掃除機で吸い取る。SCSIのときと同じでなかなか入らない。ドライバーで叩きながら入れる。ドライバのインストール・ネットワークの設定等マニュアルを見るのだが、プロトコルの設定ってなんなのよ!?「そんなことも知らないでよくするな」とKに云われた。重松清の『ビタミンF』を読みはじめる。直木賞受賞作。重松清はいじめを扱った小説などを書いているわけなんだけど、自分は昔いじめっ子だったという。書き手がどうこう云うつもりはないが、ちょっと読む気が失せた。わたしはどうだっけ?中学生の頃はいじめられていたのかなあ。外出せず。カレイの煮付けと秋刀魚を食べる。牛肉は狂牛病騒ぎがでてから、1度しか口にしてない。豚肉や鶏肉のカレーでもおいしい。
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2001/11/01 「司馬遼太郎記念館」に行く。「無印良品」で、チェーダーチーズポップコーン、梅味えびせんスナック、いちごチョコがけバナナチップなど菓子類を買う。熱帯魚ショップで、金魚の水草(初心者用)、あく抜き済みの流木(抜いてないものもあった)、水草が育つように蛍光灯を買う。しかし、またしても間違って45センチなのに60センチの蛍光灯を買ってしまう。交換に行かなければ……。金魚は200円ぐらいなのに、飼育道具は5000円以上かかるものなのね。山田詠美の『姫君』を半分ぐらい読む。「生と死」をテーマにした短篇集。高貴に生きるホームレス女性の話など。山田詠美が一人でつぶやいているようで少し分かり難い。藤本義一は年間600冊の本を読んだらしい、わたしは200冊にするか。パンでグラタン(結構はまっている)とスパゲッティを食べる。