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12がつ

2001/12/31
10時起床。お墓参りをする。吉村昭の『街のはなし』というエッセイと、ブルちゃんのボールを購入。ブルちゃんは丸いものを見つけると気が狂ったように興奮しボロボロにしてしまう。軟らかいボールだと数秒で穴をあけてペタンコにする。人間が気が狂いそうなときは犬にボールを与えて発散するというわけである。今年最後の散歩をし、年越しそばを食べながら紅白歌合戦を観る。

2001/12/30
10時30分起床。母の叔父のお葬式で親戚一同が集まり、母の従姉妹のおばさんが家にくる。「あの人が嫌い、この人が嫌い」とおばさんは喋りまくっていた。『アイズ・ワイド・シャット』を観る。ハイソな暮らしをしたトム・クルーズとニコール・キッドマンが不安・嫉妬ごっこをしているのだろう。「とっととやっちまいな」と谷川俊太郎に言われるに違いない。

2001/12/29
10時起床。『バックドラフト』を観る。菅野さんに感想を聞くと「消防車の上でのラブシーンは欲情したねえ」と言う。単純な人はこれだから困る。『ゆりかごを揺らす手』のレベッカ・デモーネイがカート・ラッセルに脚を絡ませたときの太股がいいのだよっ。

2001/12/28
8時30分起床。鏡餅やしめ飾りなど正月の買い物をする。

2001/12/27
8時起床。『ギフト』を観る。ドメスティック・バイオレンスという言葉が流布している今、キアヌ・リーブス演じるダメ男に魅力を感じてしまう女なんていないでしょうに。

2001/12/26
10時起床。『スナッチ』を観る。恥ずかしながらガイ・リッチーがマドンナの夫ということも知らず、予備知識もなく、ブラット・ビットと犬に惹かれて選んだ。強烈な個性の持ち主が13人だか14人だか登場し、目にもとまらぬ速さでで話が展開していき、誰が誰だかわからなくなる。ブラピとベニシオ・デル・トロが似ているし、ロシア人のボリスとニューヨークのボスが似ているしで、ドタバタと混乱したまま終わってしまった。なにかが心に残るという類の映画ではなく、スタイリッシュでセンスがよければいいというものなのかもしれないが、スピード感についていけないのは悔しいのだ。というわけで3回も観てしまった。ブラピの鍛え上げられた身体よりも、ベニシオのセクシーさよりも、白に黒の犬(アメリカン・ピット・ブル・テリアという闘犬)に振り回される人間のおマヌケさが一番の見所であった。いや冗談じゃなくて、黒人とアビーたちと犬のダイヤ争奪戦がとてつもなくおかしいのだよ。ブルちゃんのお尻を見つめながら散歩へ。里芋と鶏肉の煮物を食べて寝る。

2001/12/25
8時起床。Kに叱られて喜んでいると母が呆れていた。夢でKに「じゃあやめちゃおうか」と優しく言われると悲しかったんだもの。連休明けの病院は混んでいた。病院で暴れている人をはじめて見た。男2人と男の医師が取り囲んでいたが、わたしが受ける診察室の前に座っていたので、出入りするときに主治医のK先生がついてきた。実家で母とわたしが「頑張るぞ! 頑張るぞ!」と掛け声を上げていたら、「一体なにを頑張るんだ?」と父が聞いていたそうだ。『江戸川乱歩傑作選』とブルちゃんのガムを購入。酢豚を食べて寝る。

2001/12/24
8時起床。ケーキを食べて散歩へ。病院にも工事現場にもイルミネーション。聖書に書いてあるのかどうか知らないが、「独占欲から出た愛はエゴイズムです。これは愛とはいえません。愛するものを手放しなさい。もし、その人が戻ってこなければ、初めからあなたのものではなかったのです。しかし、戻ってくれば初めからあなたのものだったのです(おとなの小論文教室より)」という一節があるらしい。これって失ったことへの慰めには使えるけれど、わたしはこれからもKに他の女と口を利くな、メールするな、視線を向けるなと口やかましく言い続けるんだろうなあ。

2001/12/23
10時起床。Kとたくさん話す。最近、Kにわたしが書いた日記など読んで欲しいと言わないようにしている。「読め!」と言って読ませるものではなく、書き手を選ぶのは、あくまでも読み手であるのだからね。ただわたしは日常のことを書いているだけなんだけれども、なんでも無責任に書けばいいってものでもない。褒められたいとか認められたいとかが前にくるものでもなく、自分の書いたものに責任をもって、ポリシー(ちょっと恥ずかしい)みたいなものが少しでも伝わればいいなと思うのだが……なかなか難しい。お好み焼きを食べて寝る。

2001/12/22
6時30分起床。スーパーでドカドカと買い物。テリーヌやらチーズやらクリスマス用に並べられた食品を手当たり次第にカゴに入れる。空きっ腹で買い物に行くと大変なことになる。TSUTAYAで『スナッチ』を借りる。ブラッド・ピットよりも白い犬が目に留まった。図書館から『危険な思想家』呉智英著と『ガラスの動物園』テネシー・ウィリアムズ著がくる。『ガラスの動物園』は筒井康隆が面白いと書いていた。水だきを食べて寝る。

2001/12/21
7時30分起床。『私の文学漂流』吉村昭著読了。芥川賞に4回候補になり落ちた吉村昭と、3回候補になり受賞した妻の津村節子の2人が作家として生活できるまでの苦闘が書かれた自伝。記録文学に秀でた作家であるというのは『破獄』で納得していたが、吉村昭の作品に好感がもてるのは、地味で堅実な人間の魅力にあると思う。生活を無視して小説を書くということがあるというが、そんな甘い世界ではなく、文学は、根本的には意識の所産であって生活ではないというのだ。家族の生活をかえりみず小説を書くなどという、甘えた考え方からは強い文学が生まれるはずがないというわけだ。厳しい姿勢には敬服するばかりである。ところで、わたしは小説という創作物を読む際にどうしても作家と作品を同化してしまう。ということは、素晴らしい小説が、実は書いた人がトンデモない奴だということがわかれば、トンデモない小説になってしまうだろうか。いや、人を殺した見沢知廉の『囚人狂時代』は面白かったはずだし、永山則夫が書いた文章にも感動した。作品に見えてくる作家という人を無視することはできないのだが、感情的にただ拒否するのは馬鹿げている。いうならば、「いい作品かもしれないが、わたしはこの作家は好きではないので、好きにはなれない」となるのだろうか。このようなことを踏まえてみても吉村昭という作家は、人間性、作品共に優れたものであると思う。津村が芥川賞を受賞しても嫉妬心をみせなかった吉村だが、「受賞した津村君には悪いが、夫(吉村昭)の方を私は買う」という手紙を高見順が残していたというくだりは、上手いなあと思った。ストレートでありながら気品があるというのがよくわかる。

2001/12/20
7時30分起床。金魚の水槽を洗う。ポンプで水を排水し、砂を米を研ぐように洗い、流木を歯ブラシでゴシゴシとこする。金魚が丸々としてきて可愛くなった。近所のケーキ屋でクリスマスケーキの予約をする。マグロを食べて寝る。

2001/12/19
2週間ぶりに池の周りを散歩。久しぶりに歩いて足の裏が痛くなってしまった。コンビニで微炭酸のジュースを買って帰る。『グリーンマイル』を観る。『ショーシャンクの空に』のようなヒューマニスティックなものかと思っていたら、ベースはキリスト教であるという。理解しにくいんじゃないかと嫌な予感はしていたのだが、舞台が獄中という現実的なものであるのに、口から虫をだしたりする超能力者がでてきてますます釈然としないものとなる。コフィは無実の罪を背負ったまま処刑されるし(『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に似た不快感)、処刑した看守のポールは「愛する人の死を見つづけなければいけないのがわたしの罪なのだ」とあがなって生きていくというまったく理不尽な話であった。この手の慈悲を請うのがみえみえな物語には感動しない。獄中ネズミ効果も半減。しかし、ダグ・ハッチソンの徹底的に嫌な奴を演じていたのは見事だった。「処刑してみたい」なんていう看守いるんでしょうかね(笑)。豚の生姜焼き食べて寝る。

2001/12/18
『屋根裏に誰かいるんですよ。』春日武彦著再読。屋根裏に誰かがひそんでいて、部屋のものを盗んだり動かしたりする「幻の同居人」といわれる妄想があるという。孤独によって現実感覚を失い、普段なら思い過ごしとして見逃してしまうことでも、精神的視野狭窄の人は過剰な意味をそこに見いだそうとする。迷惑ではあるのだけれど「幻の同居人」によって独り暮らしの無聊を慰めてくれる仲間のように感じている気配がある。家というグロテスクな空間が「妄想増幅装置」となり狂気を育てていく。しかし、盗聴器がしかけられているからと警察を呼んだり、険しい顔で天井を睨んで、興奮しながら天井に向かって「そこから出ていけ!」と怒鳴ったり、ある日急に理髪店へ行って「頭をまるめて出直しだ!」という理由から丸坊主にしたり、粗大ゴミの日に仏壇を出してみたりって、生々しさが伝わってきて笑わずにはいられない話だと思うのだ。どこか聞き覚えのある都市伝説が飽くことなく語られるのと似ているというわけだ。そうそう、仏壇を粗大ゴミに出したって人は本当に知っているのだが……菅野さん(笑)。江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』も読んでみたい。肉じゃがを食べて寝る。

2001/12/17
『屋根裏に誰かいるんですよ。』読了。

2001/12/16
喉はまだ少し痛いが鼻は大分と治まる。母、町内会の忘年会へ。帰ってくるなり「○○さんが面白すぎて大騒ぎしたものだから、なんだか頭が悪くなった感じやわ」と言う。「元々頭が悪いじゃない」「いやなこと言うねえ」という会話もお決まりなので、「○○さんってどういう人だっけ?」と聞いてみるのだが、「近所の○○さん」話にはやはり辟易してしまう。「だからなんなの!?」になってしまうのだ。昼に「今日は早く帰れそうだ」と会社のKから電話。ちょっと元気がでる。散歩がてらTSUTAYAと図書館に行く。『グリーンマイル』を借り、筒井康隆の本が3冊『虚航船団』『狂気の沙汰も金次第』『大いなる助走』と、『私の文学漂流』『物語の体操』『屋根裏に誰かいるんですよ。』の計6冊がきていた。疲れると筒井の本が読みたくなるなあ。『虚航船団』は松野さんが薦めてくれていたし、ずっと読みたいと思っていたので楽しみ。『物語の体操』は菅野さんお薦め本で、この本を読むと「とりあえず」小説が書けるようになるらしい。夜中にこっそりカレーを温めてらっきょうをカリカリと食べていると、ネズミの気分になった。

2001/12/15
5日ぶりにお風呂に入りました。鼻はいくぶんかよくなりました。土曜日だというのにKは仕事です。サーバーの設定等で忙しいのだから仕方がないのです。日曜日も出勤になるそうです、仕事だから仕方がないのです。「自分に厳しく他人に優しく(優しいの意味は難しいのですが)」というのは容易なことではありません。でも決めたことは守りたいのです。司馬遼太郎も言っていたことだから正しいのです。自分に厳しくするのは自分の為にもなるし、他人に優しくするのは「情けは人の為ならず」的なものだと思うのです。野依良治は、「自分に厳しく他人にも厳しく」だそうです。相当自分に厳しくないとできないことです。言うまでもないのですが、「自分に優しく(甘く)……」というのはエゴ以外のなにものでもないのですね。あまのじゃくは損はあっても得はないのです。正しいことを正しいと知ること、知らないことを知らないと知ること、が大切だと思うのです。

2001/12/14
どこからこんなに鼻汁がでるのでしょうか。かんでもかんでも鼻が詰まるのです。ごみ箱は鼻紙であふれています。鼻をつまんで鼻を憎みました。一瞬鼻がスーッと通るときだけが幸せです。好物のかす汁を食べてもどろどろとしたものを口に入れているようで味がしないのです。残念でなりません。今週いっぱいは安静にしていると思います。

2001/12/13
ご飯を食べる、クスリを飲む、鼻をかむ、点鼻薬を噴霧する、鼻の下にオロナイン軟膏をぬる、金魚に餌をやる、新聞を読む、歯をみがく、トイレに行く、Kに電話をかける以外は眠っている。夜、イライラして「ろうしておめれくれらいの! あんばってりるのに!」とKに怒鳴ると、「元気でびっくりしたよ」と笑われてしまった。

2001/12/12
風邪でダウン。鼻が詰まりっぱなしで苦しい。「5年ぐらい風邪を引いたことがなかったのに、頑張っていたら風邪を引いた」と言うと、「めずらしく頑張ったから、知恵熱がでたんでしょう」とKに言われた。でも知恵熱っていきなり勉強するとでる熱と思っていたら、【知恵熱】乳児が知恵づきはじめる頃、不意にでる熱(広辞苑)だったのね(医学的には知恵熱というのはないらしいが)……。ひたすら寝る。

2001/12/11
7時に起きる。引き続き風邪でダウン。おかゆを食べてジュースを飲んでひたすら寝る。Bも風邪で「鼻水が垂れる」とメールがくる。わたしも鼻の下がかさかさになって痛い。鼻で思い出したけど、お風呂場で鼻毛を抜く友だちがいたなあ。一緒に湯船につかっているというのに鼻毛を湯に浮かすんだよ。でもよく抜けるからやめられないのよねえ。さて、『恋愛小説家』を観る。ストーリーはおいといて、ジャック・ニコルソンの強迫神経症っぷりと、「ブスな犬コロ(ブラッセル・グリフォンという犬種だと思う)」の演技がなかなか面白い。しかしだね、鍵を何度も確認しないと気が済まないとか、1度使った石鹸は使えないとか、道路の継ぎ目が踏めないとかは、それほど病的とも思えないし、笑い話にもなっちゃうわけでしょう。荷物を几帳面に並べてスーツケースに詰めるところは楽しんでやっていると思うね。わたしが病院でみたオヤジは、頭の毛をこすって抜いてを延々と繰り返し、抜いた毛をみんながいる待合室の灰皿に入れてしまう強迫神経症っぷりで、「あの人禿げてしまっているわよ……」と小声で言われても、不気味で笑えるもんじゃないのです、鼻毛どころじゃないのです(笑)。それにしても、ジャック・ニコルソンがハッピーエンドというのは物足りない。どこまでも狂気じみていて欲しいものです。

2001/12/10
8時に起きる。風邪でダウン、まいった。Kにモーニングコールするが起きず。病院に行く用意をしながら車の中でもかけ続ける。9時30分に病院に着き、やっと寝ぼけた声で電話にでた。「ずっと鳴らしてたんだよ!頑張ってよ!」と言うと、「お母ちゃんみたいやね」と言われた。お父ちゃんのKにも頑張ってもらわないと困るのである。風邪薬も処方してもらう。抗鬱剤、頭痛薬、胃腸薬、抗生物質、うがい薬、トローチと、いつもの3倍ぐらいの量になる。スーパーで100%ジュースを買い、『恋愛小説家』を借り、図書館で本をリクエストして帰る。夜、あまりにも喉が痛くてKとも話せず淋しく寝る。

2001/12/09
風邪を引いてしまった。喉が痛くて鼻が詰まる。強風にもかかわらず薄着で散歩したのがたたった。わたしの食欲は落ちないのに、金魚はめっきり餌を食べなくなった。食べ残した餌をすくいとる。『マトリックス』を観る。キアヌ・リーブスのカンフー・アクションにも引くものが……。しかし、サングラスとロングコートでキャリー・アン・モスと並んで歩くシーンはさすがにカッコいい。この映画はJが映画館で観たんだよなあ。わたしはほとんど引きこもりで行けなかったけど、ほんと毎日話していたなあ。懐かしみつつココアを飲んで暖まって寝る。

2001/12/08
昼過ぎに起きる。『ハリー・ポッターと賢者の石』読了。これは一気に読めちゃうね。映画ではハリーのヒーローぶりばかりが目立っていたのだけど、原作ではその背景には並々ならぬ苦労があったりするわけだ。それにしても、ライバルのドラコをもっと使えば面白くなると思うんだけどなあ。映画での登場人物の違和感はなく、原作で思い描いた通りになっている。で、自分なら誰だろうって想像しながら読んでみると、ひねくれたドラコ側のような気もするし、マグル(魔法使いの血がまったく流れていない人間のこと)の過保護に育てられているバカ息子のダドリーかもしれないなあ……と、ギクっとしてしまうこともあり。鰻丼と餃子を食べて10時に寝る。

2001/12/07
13時に起きる。15時に梅田ピカデリーで『ハリー・ポッターと賢者の石』を観る。上映の5分前に入ると満席に近く前の方の席に座る。原作を読まずに観たのだけど、いきなり並外れた魔法使いだという主人公が、すごい活躍をしたって面白くもなんともない。展開はRPGそのもので、勇者だとか特別だとかで、友人にも恵まれ、先生にもえこひいきされて勝利するというお話。「友情や愛や勇気の大切さ」が伝わってこないのは、わたしが素直じゃないからかねえ。まあでも、大男が飼っていた黒い巨大な犬(原作ではボアーハウンド犬となっているが、ナポリタンマスチフに思えた)が可愛かったし、ハリーの親友ロンが知り合いの顔に似ていて笑えた。隣で観ていた母は感動したらしい。「楽しんで観なさいよ」と言われた。帰りに原作本を買う。お寿司を食べて5時に寝る。

2001/12/06
14時に起きる。秋刀魚を食べて散歩へ。強風で髪がぐちゃぐちゃに絡む。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観る。ビョークの雰囲気が気になって観てしまう。いかにも感動作なのかなと思ったら、不幸な女性がどんどん不幸になっていく話だった。「一文無しになってしまった」という相談をされて、自分の立場も考えないで「わたしの秘密も話せば気が楽になる?」と、死ぬほど苦労してためたお金(息子の手術代)のことををしゃべってしまうのだ……。その時点でどうなるかの想像がつく。馬鹿正直で頑固と、生き方の下手くそな女性が現実逃避的な空想で乗り越えようというわけなんだけど、現実の悲惨さを強調しているだけだった。意地悪な映画。明け方に寝る。

2001/12/05
16時に起きる。母、今日から3日間パソコン教室に通う。1年ぐらい前から父も母もちょこちょこと習っているようだが、毎回「初心者コース」のような気がする。マグロと菜っ葉の酢味噌あえを食べる。Kの帰りが遅く、帰ってきても機嫌が悪く、「寝かせてくれ、寝かせてくれ」とばかり言う。キイキイとわめこうが脅迫じみたこと言おうが「寝かせてくれ」としか言わない。あきらめて電話を切る。『タイタス』を観る。シェイクスピアの37本の戯曲中、もっともショッキングな作品といわれる『タイタス・アンドロニカス』を映画化。古代ローマ武将タイタスと、その一族滅亡をもくろむゴート族女王タモラの血で血を洗う復讐と報復が繰り広げられる。主要人物のほとんどが残酷に殺されていくのに気が滅入らない。さすがシェイクスピア(といってもよく知らないが)。衣装や美術も古代と現代が混じってユニーク。そしてカニバリズムといえばアンソニー・ホプキンス。タモラの息子を家畜のように吊し上げ惨殺し、人肉で作ったパイを母親のタモラたちに食べさせるのだ。そのパイがコンビーフ状で生々しくて『ハンニバル』の晩餐シーンよりも気持ちが悪い。悪趣味ぶりにはついていけないという人もいるようだが、わたしは好きだなあ。5時に寝る。

2001/12/04
16時30分に起きる。水だきをごまだれ食べる。鍋には肉よりも野菜よりもマロニーちゃんだと思う。アッという間に22時になり、Kに電話をかける。0時を過ぎてもでないので、疲れて寝ているのかと思ったら、1時ぐらいに帰ってきた。電車の中で寝てしまい埼玉県まで行ってしまったという。電話がつながって安心する。『天才と狂人の間』読了。この本は菅野さんに教えてもらったのだけど、河出書房から出版されていたものは絶版になっているらしく、『石川文学全集 6』杉森久英著に収録されていた。大正期に50万部を超えるという大ベストセラーを生みだしたのに、今はほとんど知られてない島田清次郎の生涯が書かれている。自分自身を天才と信じ、貧しかった島田は有名になってこれまで自分を見下していた連中に復讐してやろうと思っていた。やがて『地上』が大ベストセラーとなり天才作家ともてはやされる。成功した島田は高慢心に拍車をかける。その高飛車な大言壮語が半端じゃなく面白いのだ(笑)。作品の質の低下にもかかわらず売れ続けているのは、ジャーナリズムの力と言われても、「僕はジャーナリズムによって持ち上げられているわけでなく、自分がジャーナリズムの方向を支持している工合だから」と真顔で言ってのけるのだ。わたしは『地上』を読んでいないからわからないが、通俗説教臭い宗教的雰囲気のするもので、当時の菊地寛たちからは反感をもたれていたようだ。結局島田は孤立し出版社からも見捨てられ、精神異常のため病院に収容され生涯を閉じる。菅野さんは可哀想な話だと言っていたが、母に島田の話を断片的にすると「それあんたの話ちゃうん?」と笑っていた。わたしは地に足をつけて歩いているわい! ま、「どでかいことをしてやるんだ」とか本気で考えている人は一度読んでみるべし。読冊日記を4年も毎日書き続けているサイコドクターあばれ旅というページを見る、すごい。7時に寝る。

2001/12/03
16時20分に起きる。牡蠣フライを食べて散歩へ。急いでスタスタと歩いていると、「最近口数が減ってきたねえ、なにを考えているの?」と母が聞いた。「考えてないよ」と答えた。コンビニとTSUTAYAに寄る。目的のものをつかむと母に渡してレジに行ってもらう。『シャイニング』を借りる。この映画、WOWOWで放送されたときに観たことがあるのだが、おもちゃの三輪車でホテルの中を走る場面と、双子の女の子のショットが怖ろしくてやめてしまった。今回もドキドキしながら観たわけだが、そう怖くはなかった。ただ、「All work and no play makes Jack a dull boy(仕事ばかりで遊ばないジャックは今に気が狂う」とタイプライターで何枚も打たれた紙と、口うるさい女性にうんざりという描写、「契約や責任をなんだと思ってるんだ!」と妻に怒鳴り狂うジャック・ニコルソンがKと重なってしまった。そういう意味ではやはり怖い映画であった。7時に寝る。

2001/12/02
13時20分に起きる。母、風邪気味。わたしはここ5年ほど風邪を引いたことがない。精神の緊張と弛緩というものがなく、つまり「しんどい、疲れた」と年中言っていると、風邪さえも入り込まなかったというわけだ。『破獄』読了。後半は一気に読める。解説にもあるが、脱出の物理的手段というナゾ解きよりも、「個人」と「歴史」という緊張感のほうが重要になってくる。わたしは歴史には全く疎いというのに、読後の感想をいい気になってするもんだから恥をかく。戦争犯罪人を収容していた「巣鴨プリズン」のことを「巣鴨プリンス」と言ったり、戦時の最高統帥機関の「大本営」のことを「オオモトさんって誰?」と聞いて爆笑された。勉強しているのに笑うなぁ! 佐久間が脱獄を企てなくなったのは、温情をもって囚人に接する府中刑務所長の鈴江の態度と、行政制度の「民主化」は脱獄を無意味にしたのだ。脱獄は社会への闘いでもあり、佐久間は脱獄するために生まれてきた男といえる。刑務所ではこっそりとネズミや虫を飼う人がいる。『破獄』ではウソという小鳥がでてきて心温まる話になっている。Kとたくさん話した。「わたしってどうして嫌われるんだろうねえ」と言うと、「嫌われて当たり前でしょう、どうして喜べないの?」と言われた。ズバリと言われるとなぜか納得するものだ。カボチャグラタンを食べて、明け方に寝る。

2001/12/01
17時に起きる。外はすっかり暗くなっていた。パソコンの時計や机の上の目覚まし時計、部屋に時計が6つある。しかし、本来の時計の役割というよりも、数字を数字として見ているだけかもしれない。携帯電話も持ち歩かないわけで、腕時計もつけなくなった。だから1日を24時間と感じることもなく、時間に縛られるということがない。「スケジュールを組む」というのと矛盾しているようだが、決めたことを守ればいいと思う。調子のいいときにできるのは当然で、調子の悪いときにもできることを決めるのだ。書評のメーリングリストに入る。わたしが一番乗りだった。菅野さんに教えてあげると「俺も登録する」と言っていた。自分で考えた意見で大人の会話をしてみたいなあ。夜、『破獄』を206ページまで読む。時代は『U・ボート』と同じ。戦中・戦後の刑務所。佐久間清太郎は青森刑務所、秋田刑務所、そして独居房からの逃走例がなく、それを誇りにしていた網走刑務所からも脱獄する。緻密な計画には驚かされる。普通の手錠では簡単に外してしまうので(肛門に針金を隠したりして……)、分厚い鋼でつくられた鍵穴のない手錠にするわけなんだけど、それもある方法で外してしまうのだ! 普通、閉じこめられた状況下で一人反抗的な態度をとるというのはできないものだ。佐久間の執念に看守は心理的に負けてしまうというわけだ。わたしは、6日間拘束されただけで気が狂いそうになったというのに……。カップラーメンを食べて、明け方に寝る。

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