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7がつ

20010731
2週間遅れの生理。久々に痛いという感覚。「痛いよお、イタタタ」と大袈裟に云う。「深夜にやめてよ、あんたのせいで寝不足になるじゃない」と母に睨まれる。最近わたしが活動的で元気にみえるせいか、背中をさすってくれたり、わたしの部屋を覗くことが減ってきたのだ。

「おっぱい欲しいとか云ってるんだろー?」とKがからかう。笑えない。母とわたしの関係は「おっぱい欲しい」のレヴェルだからだ。本当におっぱいにしゃぶりついたりはしないけど、お風呂に一緒に入ったり、洗ってもらったり、拭いてもらったり、さすってもらったりしている。

「ちょっときて」「あっちへいって」「あれが欲しい、これは要らないからお母さんにあげる」「ああしてこうしてあれいやこれいや」と命令調でエスカレートするものだから、堪忍袋の緒が切れて無視される。となれば、お腹が痛い、クスリを頂戴、わたしは管理できないんだからね、それともわたしが管理をすればいいんだね、どうなっても知らないからね、という手を使う。

「確信犯だ」とKが云う。そうだ。わたしが元気になっても構って欲しいんだもの。いちいち確認をして褒めて欲しいんだもの。「ご飯食べたよ、お母さん」「偉いね」ってな具合に。でもこういうのって大変なことなんだろうか……、母はちょっと疲れているようだけど、嫌々やっているようにも思えない。わたしが薬箱を触っていると「駄目駄目!あんたは触っちゃ駄目!」と笑って引ったくるのだ。

現在16時07分。まだ母がきてくれない。隣の部屋でガタガタとなにかをしている。こっちにきて欲しいなあ、声をかけて欲しいなあ、忙しくてもわたしのことを構って欲しいなあ。「お腹が空いたよお」と云ってみようかなあ、タンスから薬箱を取り出してみようかなあ。

20010726
20日にC氏にメイルを出してから繋いでいなかった。6日間ネットに繋いでいなかったことになる。C氏からの返事がきているかきていないか、というのが今更気になるものでもなく、メイルを送ったら3年分ぐらいのもやもやとしたものが吹き飛んでいったのだ。

6日なのに1ヶ月ぐらいに感じた。自分のページやお気に入りのサイトは気になっていたけど、パソコンの電源を入れる気にならなかった。登校拒否や出社拒否をしたときに、「あ〜、どうでもいいや」と居心地のいいところを見つけて籠もる感じに似ている。どうでもよくないことはどうでもよくないのだけど。

日常生活がまともに送れているのに、クスリだの病院だのと集団化している連中のことがどうでもよくなったのだ。自分もいた場所だから切り離してしまうのが怖かったのかもしれない。でもどうしても切り離したかった。要らないものなんだもの、要らなくなるものなんだもの。治す気がないというよりも、そもそも病気じゃない。過食嘔吐をしていても自分でご飯を食べているし、キーボードは自分で打っているし、お風呂も自分で入っているし、電車も一人で乗れるし、セックスもしているわけだし、全然病気じゃない。

はっきり云っちゃうと、「わたしって鬱なの」とかいって集団化している連中にはろくなのがいない。大嫌いだ。鬱という弱くない強い武器を決して離そうとしなくて、それも確信犯で、集団じゃないと生きていけないと思っている。いじめと同じだ。いじめているのはどっちなのかよく考えてみるといい。嫌なら見なければいいのだけど、おへそを穿った指を嗅ぐようなものだろう。その内それもしなくなると思う。

「いや違う!わたしは必死に病気と闘っているんだ!」という人は、本気で精神病院に通院してくださいよ。週1回ぐらいのペースで、自分の都合で転院するとかやめるとかしないで、クスリも処方通りきっちりと飲んでくださいよ。ぜったいに守らなければならないのですよ。自分の意志や気持ちをあてにしてはいけないのですよ。

ネットから離れている間、コリアタウンの鶴橋でキムチやチヂミや豚足を買ったり、焼き肉を食べ歩いていた。焼き肉とキムチとチヂミは美味しかったけど、豚足は脂でぬるぬるしていて気持ちが悪くて食べられなかった。1足150円。豚足を両手に持って「ブヒブヒ」と鼻を鳴らして、フレンチブルドッグのブルちゃんと遊んだ。ブルちゃんは興奮してかぶりついていた。心なしかわたしの顔も丸々としている。鼻が頬っぺで埋もれていく。今度行くときはカメラを持っていこうと思う。

20010718
月曜日、病院。診察券を出すとすぐに名前が呼ばれた。そしてすぐに診察が終わった。母とわたしは別々に診察を受けているのだけど計15分ぐらいだった。朝早く起きて1時間ちょっとかけてきているのに気が抜けてしまいそうだ。「治ってきているからじゃない?」とKに云われた。でも生理前だというのにカリカリもしなくてどうしちゃったんだ、なんて思う。

19時30分、散歩にでかける。病院の途中で見つけた池の周りを歩く。ちょうどいい散歩コース。スケボーしている少年やランニングしているオヤジがいる。一周早足で30分ぐらい。わざわざまた遠いところに行かなくてもいいのに、ライトアップされたような病棟を遠くから眺めて歩くのが好きになってしまった。違う場所を歩くと物足りなくて、やっぱりあそこがいいなと思う。歩きながら「あんなところに6年も、いや何十年も入っている人がいるんだよなあ……」と信じられないような、でも関心したような気持ちになる。だってあんなところに何年も入っているなんてぜったいすごいよ。わたしは6日で歯ぎしりして耐えられなかったんだもの。

車の中からKに電話をかける。家に着いてから電話をすればいいのだけど、でないと誰もいない家に帰るような気がして帰りたくなくなる。だから確認をする。Kが帰っていればすぐに帰る。帰っていなければコンビニや本屋に寄る。最近は重松清にはまっていて『ナイフ』の次は『エイジ』を読んでいる。カタカナばかりがなんかいい。

帰っているのを確認したら、汗だくで家に帰る。汗も拭わないで電話をする。ベッドで寝転びながら電話をしていると母に怒られる。こうしていると身体の中の嫌なものがジワーっと蒸発していきそうなんだもの。1時間ぐらい喋る。大体わたしが一方的に喋っている。ペゲタミン1錠とデプロメール1錠を烏龍茶で流し込む。お腹が空いていれば牛乳で飲む。まだ寝たくないのに、と駄々を捏ねていると、明日起きるといいことがあるよとKが云う。中学の頃の友だちにハブられる夢はみたけれど、ぐっすりと眠れた。

20010715
捨てたものは二度と要らないのです。欲しいものが手に入らないからって、ゴミ箱を漁るのはやめましょう。捨てたものはどう視点を変えてもクズだと思います。手に入らないから生きてられるということも覚えましょう。手に入ったらしがみついて離さないようにしましょう。離れていきそうになったら「死にたい」とか云って命をかけちゃってもいいのです。相手を間違ってはいけないのです。捨てたクズにではなくて、欲しいもの失いたくないものにしか云ってはいけません。こういうのがプライドというものじゃないでしょうか。

20010712
弱い人は嫌い、強い人が好き。つまらない人は嫌い、面白い人が好き。迷えば迷わない人に聞く。呼吸が苦しくて頭が痛くなったら、散歩してお風呂に入ってクスリ1錠とビール1缶を飲んで寝たら治る。しんどくても2日ほど我慢すればいい。死にたいのが消えなければ、楽しい人とお話すればいい。本当は死にたいんじゃなくて、欲しいものが手に入らないから死にたいような気持ちになるんだろう。わたしは欲しいものを手に入れる。不安なんかださなくても逃げていかないということに気付かなければならないのだ。

20010705
自称完璧主義というのは要領の悪さを暴露しているだけのもので、いつか治るよという言葉はなんの根拠もなく、病人に云われているんだから尚更説得力がなく、脱精神系したければ負け犬なんかと群れているのは悪循環で、三十路を過ぎた摂食障害者をみてこうはなりたくないと近親憎悪して、本やbk1の書評を読みあさるがどうにもこうにも眠くて、万歩計は5000歩前後なのに、「頑張りすぎだよ」と云わせるために通院する。電話はモジュラーケーブルを引っこ抜いて、携帯電話は電源を切って、やっぱり突っ込んで、電源を入れて、本当に飽きてしまいそうなので続けている。

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