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■6がつ■
20010628 わたしは白か黒かという生き方を好む。最初から灰色とかバランスよくということができない。「何のために生きているのか」という不安が襲ってきて生きるのが困難であれば、とりあえず自殺を図ってみるしかないのだ。死んだらそこまで、死ななかったら応えがでる。もう迷う時間が勿体ない。何に迷っているのかさっさと見極めて、白か黒の選択をしてみる。いずれそうするのは解っている。それでも、はっきりとした応えはでないものだが、呼吸困難的なものからは解放される。灰色もなんとなく解る。人間1度は死んでみるのもいい。
20010627 殺人事件を知っても悲しいと思わない。やりきれないとも思わない、涙もでない。感情が欠如して冷酷なんだろうか。涙を流すのは感情的だ。でも、悲しいのかもしれないが、「悲しいような気持ち」になっているだけじゃないだろうか。だから悲しかったはずのどこかの殺人事件や、ちょっとした知り合いの自殺も3日も経てば忘れてしまう。自分の心情に似たものは錯覚によって近くに思えてしまう。涙がでないからって、感情が欠如しているのかと悩まなくてもいいと思う。むしろそんなときの方が後々忘れない。
20010622 ここのところ弱音を吐いていない。母と某氏にだけはしんどいとか疲れたとか云っているけど、以前に比べたら格別に減っている。自信がな……と云いたくても云わない。云ってしまった方が楽なのは解っているけど、一時的な楽の為に本当に自信がなくなってしまう方が嫌なのだ。
解っているから怖いんだと思う。鬱とか摂食障害とかクスリがなくなってしまうと、平凡以下になってしまうってことを、一緒にゆっくり頑張っていこうねなんて嘘だってことを。抜け出した途端に病人を見下すんだから。自然に治るなんてあるわけがない。自然治癒というのはあるのかもしれないが、治りたくないと思っている奴が治るわけがない。治そうと思っていないと、治らない。病気で得たものなんて、ちんけなプライドぐらいだろう。失ったものの方が大きい。
20010616 本を枕元に積み上げて読んでいる、本を読むのは書評を書くためでもある。電話を掛ける、出なかったら拗ねる。何度も鳴らしてやっと寝惚けた声で出たら、「間違えました」と云って電話を切る。「どこに掛けるつもりだったんだ?」と掛け直してくる。たまには子供染みたことをやってみるのもいい。夕方からは散歩に出掛ける、雨が降っていても「どうしようかな……」と考える間も与えずに靴を履く。夜中にお腹が空いたらパンやプリンを食べる、体重は50s。退院してから2s増えた、52sまではいいとしよう。
20010609 わたしは直角で余裕がないというのに、あいつは蛇行で余裕でやっている。わたしは余裕がなく馬鹿正直に喋っているというのに、あいつは余裕で忘れている。 わたしが責めるとあいつは黙る。 あいつが責めるとわたしは叫ぶ。
こういうときにリストカットとかしちゃうんだろうな。 でも、しない。自分にメリットがないことはするもんか。 お前の叫びなんか誰にも届いていなくって、「あ、忘れてた」「面倒臭い」で片付けられてしまうんだ。自分に酔うのも大概にしようっと……、騒いだ後の責任はどうとるんだ。
20010605 月曜日、病院。不安を探してみるがどうしてもない。抑揚のない生活ともいえる。目覚ましは7時に合わせている。某にモーニングコールをするときも合わせているが、自分の為に目覚まし時計を使うのは病院に行く月曜日だけだ。
わたしが通院している精神病院は男性患者が8割ぐらいで、精神分裂病、アルコール依存、薬物依存といった重症患者が多い。月曜日の外来患者数は50人ぐらいだろうか、デイケアできている人もいるからはっきりとした人数は解らない。医師は他病院からきている人を含めて10人いる(外来診察表より、月曜日は5人)。女主治医は女性だけ(摂食障害や軽い人格障害程度)しか診察しないようなので、1人にかける時間を短くても30分は取ってもらえる。ローテンション的な大学病院とはえらい違いだ。
そんなわけで、時間を気にすることもなく医師に相談できるのだが、肝心の不安がないのだ。車の中で何を相談するか考える。「不安がないと不安だから不安を作りたいのでしょうか」と舌を噛むような不安相談は先週した。頭を捻る。精神科医に仕事をさせないといけないと気を使っていたのか、不安を相談しなくては駄目だと思っていたのかもしれない。
で、妄想回避方法とか、本の話をした。痩せた主治医は大きい目を更に丸くして、「典子さんは、自分のことがよく解っているのね」と云っていた。そういえば、入院していた閉鎖病棟では、躁状態で同じことを繰り返して喋っているか、「看護婦やみんながわたしの悪口を云っているような気がする」という妄想か不安か、「いつになれば退院できるのですか」という話ばかりが診察室から聞こえてきた。隔離されているのだから仕方のないことではあるが。
夜、ブラジル対日本のサッカーを観る。こういう刺激は要らないなあ。5分ぐらいでテレビを消して、早くに眠剤を飲んで寝る。某から何度か電話があったようだが、気付かずに朝までぐっすりと寝ていた。
20010603 こんなにすんなりと呼吸ができるものなんだ、得体の知れないUFOなんていくら待っても襲ってこないんだ。
体調がいい。散歩にでかけて、読書をして、書評を書いて、新聞を読んで、好きな人とだらだらと話しをして、処方箋通り薬を飲んで。今更ながら思ったんだけど、自分からわざわざ損をするようなことを吐くのって、勝負の最中に「待った」をかけている状態で、相手に失礼だなあと。相撲でいうと、まわしを緩く締める「ゆるふん」に似ている。まあ、それで勝っちゃうこともあるんだけど、「ゆるふん」って糞みたいでヘタレなところが嫌でしょう。長年の癖で無意識にでも「ゆるふん」をやっているから、意識的に修正しているところだ。空回りをして焦っているのと、焦れったいけど少しずつでも変化しているのと違いがよくわかる。
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20010601 わたしが心配するものは、人間が3人ぐらい+実家で飼っているフレンチブルドッグだ。その他のものはわざわざ死んでくれとは云わないが、結構どうでもいい。電話なんかで30分以上話す人のことはそこそこ心配しているのかもしれないが、薬を大量服用したとわたしみたいに云ってきたら救急車を呼ぶだろうか?電話で5分も話したくない人だと呼ばないと思う。救急車を呼んで病院にまで行くのは3人ぐらいだ。こんなことを大手を振って云っているのではなく、自分の管理もろくにできないからその程度ということで、余裕ができたら増えるかもしれない。
何故こんなことを書いているのかというと、5月26日のつぶやきのことで、一度はかかわりを持った人のことは心配するもんでしょ?とメイルがきたからである。