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5がつ

20010526
聞きたくもないことが耳に入る。散歩帰りの車の中で1時間ぐらい聞いていた。「やめてよ、聞きたくないんだよ、誰がどうしたこうしたなんて興味ないし」と叫んでいるのに、心配している振りをして、ついでに誰かの悪口なんかも添えておいて、「へえ、それで?」と聞きだしている。家に着いてからも続いて、「心配だねえ、何かあったら電話するね」と云っていた。そのことを某に話したら「くだらないことで時間を遣っているんじゃないよ、俺が怒鳴ってやるからそいつの電話番号を教えなさい」と怒鳴られた。

「女が頑張っているのは損をするわけ?」「頑張ってないでしょ、優しくされたいとか云ってるし、典子にとって優しいって何よ?」「優しい言葉とか……」「思い通りの言葉をかけてもらったらいいんでしょ、そんなの優しいって云わないよ」。

片付けていないストーブを投げ付けて床に石油が漏れた。そのまま石油臭い部屋で眠剤を飲んで、優しい声の男と電話で1時間ぐらい話して寝た。「わたしは首を吊る勇気もないのよ!」と叫んでいる夢を涙を流しながらみた。昼過ぎに目が醒めてそのことを某に話したら「そんな勇気は要らないよ」と呆れ返ったように云われた。

20010525
退院してから3ヶ月が過ぎた。自殺を図る前と後では何が変わったか。口癖のように云っていた「死にたい」「ページを閉鎖する」等を云わなくなった。後遺症が大きいほど自殺再企図率が少ないらしいが、後遺症もなく得体の知れない空虚、絶望感に苛まれることがなくなった。太宰は自殺未遂直後は元気に活動していたというから、喉元過ぎればということになるかもしれないが、とくに今は死にたいとは思わない。ページを閉鎖すると頻りに云っていたのは、やはり他者からの評価が気になっていたのだろう。自分がこう思うから、相手もきっとこう思っているとか、個人を意識し過ぎていたのだ。愛は差別だというようだけど、そんな差別に振り回されるのは本末転倒というものだ。これは名前を消すという単純な方法で解決する。味噌も糞も一緒というわけではない。反対に甘かった差が厳しくなる。分裂した頭と心を近付けるには時間が掛かるのだ。

20010525
ある掲示板に、言葉の暴力を受けて薬物自殺を図って助かったものの、後遺症で記憶がなくなってしまったと書いてあった。記憶がなくなった本人が書けるわけではなくて、妹が書いている。相手の男は音楽関係の人で、自殺にまで追い込む奴が作った曲を聴いてみたいと書いてある。どういう意味なんだろう、人を自殺に追い込む非人間的な奴の曲なんて糞みたいなものだから聴きたいのか、それとも人を自殺に追い込むほどのカルト的熱狂的な曲だろうから聴きたいのか。文面から察するとどうも前者のような気がしてならないのだが、人を自殺に追い込む人間性と曲作りは別のものなのになあ……と。まあ、わたしも他人のことは云えないわけで、一人の男のことで死にかけて、好きでもない男に助けられて(その人も自分のエゴで助けたというから今ではあんな奴助けなかったら良かったと思っているかもしれない)、たまたま後遺症もなく助かったからこうやって呑気に書けるわけで……。いやでもきっと、感謝はしている誰かに。

えっと、「死んでやる〜!」と毎日脅してくる恋人がいて憔悴している方、「他人のせいにするな」「君は死ねないよ」じゃなくて「俺もしんどいんだ、君のせいでしんどいんじゃない、墓場に行くまで一緒に頑張ろう」と繰り返し云って上げてください。呪いがとけます。

20010523
精神疾患を持っているものはしんどさを垂れ流してもいいのだ。子供の頃に良い子を演じていた分、浄化させるために必要なのだ。そんなわたしに文句や差別らしきことを云ってくる奴には「見なければいいでしょ?書き込みしなければいいでしょ?」と断固として遮断するべきだ。精神疾患は心の病だから当然腫れ物に触るように、「わたしも苦しいんだよ」とか自分の弱さを見せ共感し、他人のことも心配しなければならない。鬱はわたしのアイデンティティなのだ!

わたしは死ぬほど苦しんだんじゃないか!他人の気持ちというものが解らないのか!部屋が片付けられないのも、頭の中が整理できないのも、リストカットをするのも、首をベルトで絞めるのも、過食嘔吐をするのも、癌と同じような病気なんだ!ただ、脳がいかれているとかハッキリとしたものがないから病名がつけにくいだけなんだ。絶対に怠けているんじゃない!ほら、呼吸だって苦しいし、手だって震えるし。パニック障害とか、不安神経症とか、境界性人格障害とかなんでもいい、32条を受けるために病名をつけてもらいなさい!でも、いつになったら癌の部分を切り落として元気になるんだろうか、いやいや元気になったら反対にパニックになってしまったり、楽しいことが済んだ後、極端に意気消沈しちゃうから駄目なんだ。鬱はわたしのアイデンティティなのだ!

20010522
月曜日、病院に行く。不満や不安がないので何を質問するでもない。痩せている女医の毛深い腕をみて、やはり拒食なのかしらと何気なく探っている。顔もわたしの人差し指と親指で軽々とつかめるぐらいに細い。前の女医の、「〜なんだけど……」とわたしが戸惑っていると、「うん、〜なんだけど、あなたはどうしたいの?」と言葉を咀嚼し意識的に優しく瞼を閉じて聞き返す表情は記憶に残っているのだが、今の女医を思い浮かべると、先日奈良公園で見た痩せた子鹿が浮かんでくる。艶のない綿毛の。

成功恐怖というか、これといった不安がないと不安を拵えたくなるのは解っている。「そういえばバレンタイン(バレンタインデーは入院していたので、看護婦が院長先生にチョコレートを渡しているのを、拘束されながらカーテン越しですごく他人事(すごく他人事なんて変だけど他の表現が思い付かない)のように聞いていた。好きな男のことなんて考えていられなかったが、退院してからせっせとハートのクッキーを焼いた)のお返しがないわね!針金で作った指輪でいいから頂戴よ!わたしが無職だからって馬鹿にしているんでしょ!」と泣いて訴える。絞り出したような不規則な涙だった。本当は服はユニクロであっても指輪や時計は質のいいものしか付けたくないのだけど、無職だと高価なものを身に付けていてもそこだけ異様な輝きをするので、お気に入りのロレックスも外している。精神病院にベンツできてカルチェのリングなんかを付けている人をみると「そんなに暮らしがいいのに何が不満なんだ?海外旅行でもしてこいよ」と自分のことを棚に上げて思ってしまうものだ。

薬不安もない。ペゲタミンとデプロメールは嫌なぐらいにわたしの身体に合ってしまっている。

20010518
「今回はマジで好きになったんだ」とメイルが毎日きていた。わたしのことがマジで好きになったのではなくて、わたしの知り合いの女の子の惚気を綴っているのである。「俺って自分に酔っているのかしらん、へへへ」とか軽い口調が気に入らなかったが、その通りだから腹も立たない。暫くして「振られたぁ、○○ちゃんの電話番号が俺のアドレスから消えた」と書いてあった。

一方、「俺、会社首になりそうなんだ。水道もガスも止まっている」と土壇場になってから喋りだす男がいる。「どうしてもっと早くに云わないのよ!」と怒る振りをするのだが、このタイプの男には「わたしがなんとかして上げたい」という母性が働く(母性という本能的誤魔化しに未だ惑わされているのだが、結構楽しんでいるからいいのである)。この男に振られた男の話をすると、「俺だったら諦めないなあ、友達でもなんでもいいから離れないよ。削除してしまったら1パーセントの可能性もなくなってしまうからね」と云っていた。

この2人の男は正反対なんだろうか、「いつも喋る」と「土壇場に喋る」。どっちがいいんだろうと考えていると、「○○ちゃんと喋ったぁ、相変わらず不機嫌だったけどね、へへへ」と暢気なメイルがきていた。2人はやり方が違うだけで案外似ているのかもしれない。

20010517
「典子さん最近どうなんですか?」「どうって何が?調子はいいよ、病院や薬の不安もなくなったし」「僕、人間関係が上手くいかなくって」「要らないものは切ればいいでしょ、気持ちだけじゃなくて本当に切るの」「うぅん、で、○○さんとはどうなんですか?」「○○さん?ん、切っちゃった」「あんなに好きと云っていたのに?」「そうだっけ?」「そうだっけって……」「友達友達って強調するのって、そうしなければ友達じゃなくなるみたいで嫌というか、友達というものが安物臭くならない?ひねくれているのかしら、わたし。えっと、信頼や友情(?)にも季節ってのがあって、いつもべったりとしてればいいってもんでもないでしょ。これは民俗学者のセンセに「わたしとはもうお話してくれないんですか?」と相談をしたときに云われた事なんです。寂しいと泣いてばかりだったから、わたし。センセも小便臭い女に絡まれて困っていたんでしょうねえ。あなたも「なんだか違うな」と感じたら切ってください。切りすぎて誰も居なくなったってことになるかもしれませんが、そういうもんなんですよ。排他的とかじゃなくて、そういうもんだということが解ればいいんです」「そうなんですかあ……」 「うん、じゃあまたね」

20010516
大阪で生まれ育っていながら通天閣に上ったことがなかった。今回は絶対に上るぞ!と気合いを入れていたのだが、入り口付近で面白い人を見付けてしまい、ちらちらと見つめていた。ちゃんとしていたであろう背広を着ているのだがボロボロになっており、直立不動でビニール袋から食べ物を出して貪り食っているのだ。なぜ今時の若者のように地べたに座らないのだろうか、きっと何かのこだわりがあるに違いない。通勤途中の電車で突然「なんと虚しい世の中なんだろう、俺は一体何のために働いているんだ……」と出勤するのが嫌になり、動物園前で下車をしてそのまま居着いて立っているのだ。考えているのだ。だらしなく座るのは許されないのだ。結局そのおじさんが立っている道を3往復ほどして通天閣に上るのはやめてしまった。

将棋センターがあるじゃんじゃん横丁に行くことにする。途中後ろからリンリンと自転車がやかましい。「うるせえなあ」と睨んで後ろを振り返ると、チンピラ風の男が上から下まで舐め回すように睨んできた。「わたしは怖いものないんだからね!」と全然自慢にならない虚勢を張って、余計にふらふらして歩いてやると、男はナイフも出さないで去っていった。今時の若者の方が身の程知らずに切れるのだ。「なあんだ、つまんない」「いい加減にしてよ!本当に刺されたらどうするの!」「ん、別に構わないもの」「やめてよ、得体の知れない人に刺されても文句云えないんだからね、殺されるんならいいけど、カタワになったら困るじゃないのよ」

じゃんじゃん横丁は串カツのお店に行列ができていた。並ぶのが面倒臭いわたしは、立ち飲み屋でぐいっとやりたいところだったが、お酒はもう少し我慢しなければならない。将棋センターには人だかりができていてすぐにわかった。将棋のルールは知らないがとにかく野次馬になって覗いてみる。女はわたしだけ。坂田三吉の写真が飾ってあった。中学生ぐらいの男の子が親父相手に打っていた。少年がさす度に「おおおお!」とどよめいていたから凄いんだろう。

今度来たときは通天閣に上ることにしよう……。

20010502
美容院に行った。「○○典子さん、お待たせしました」とわたしの名前が呼ばれた。はじめて行った美容院で、しかも受付で一言も口を利いていないのに不思議に思った。担当の美容師がカルテのようなものをちらちらとさせている。覗き込んでみると「精神病者、○○典子」と書いてあった。「どうしてどうして、わたしが精神病院に通院していることが美容院で解ってしまうわけ?」「あら、知らなかったの?保険証の番号を見ただけであなたが精神病者ということが解るのよ」

……夢です。

「息子がすぐに会社首になりますねんわ、働けません、働けません、あははは〜」「娘が入院していますねんわ、32条?受けられません、受けられません、アル中ですから、あははは〜」と診察を受けるわけでもなく、薬をもらうわけでもなく待合室に集まってくる人がいる。ふむ。

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