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■3がつ■
20010329 ピンクの強力な新薬を処方される夢を見る。食欲性欲がない。オナニーをしても濡れない。「クスリ、クスリ」と催促をしながらご飯を食べている。母に「薬を飲むためにご飯を食べているんでしょ」と云われる。行く前から帰ることを考えている父譲りの性格でしょう。蕎麦、デプロメール、胃薬。
頭痛がするのでロキソニンを探すが見当たらない。洋服箪笥の中、食器棚の中、押入の中と薬箱が転々としているからである。母が買い物から帰ってきた。「薬はどこに隠しているのよ」「駄目駄目、あんたには薬は触らせないんだから」と買い物袋の中からデカイ薬箱を取り出した。そんな薬では死ねないと何度云っても無駄なようである。
新聞を読んでいない。2週間分の新聞が溜まっている。日曜日の「本よみうり堂(書評)」だけでも目を通したい。母が過去の新聞なんて意味がないから捨てなさいというのだが、溜めて読むのが習慣になっている。過去を鳥瞰するのが好きなんだろう。1ヶ月の新聞を半日かけて読んだことがある。
仕事がない。実は首になったのだ。おばちゃんのつぶやきのおばちゃんも去ってしまった。マンションに10台くらいの救急車やパトカーが来ていたそうだから、追い出されても文句は云えないのである。よく考えてみると死ぬ場所というのも意外と難しい。
酒、薬でラリれない。目が醒めるとそこは保護室だった、ということになっていたら洒落にならない。「今度自殺を図ったら出しませんからね」と脅されているのだ。本当にびびっている。
「死なせない」と某氏に云われている。「死なせないって、いつかは必ず死ぬんですよ」「わたしの命なのに自由にさせてくれないのか」「今度は確実に首吊りをする」など懲りずに死ぬことばかりを考えていた。「助けてくれてありがとう」とは云えないものか。
大人になれない。「典子ちゃんは子供でちゅねえ」「うん」。こんな会話を喜んでいる大人がいるのだろうか。精神病院でもおばさん同士が「○○ちゃん」と呼び合って幼稚園児のような会話を嬉しそうにしていた。わたしも嬉しい。悟りすました大人になんかなりたくないんだもの。
20010328 T病院の外来月曜日、涎がこぼれ落ちそうにぽかんと口をあけて、全身がスローモーションの女がいる。オレンジ色のトレンチコートを羽織ってお洒落なんだけど、周りのことは気にならないのか慣れているのか、それとも精神病院だからゆったりとできるのか待合室で黒砂糖をムシャムシャと食べている。
20年も精神病院で入退院を繰り返して、このT病院の閉鎖病棟には2年間入院していたそうだ。あんな不味い飯と犬猫扱いされるような生活を2年も堪えられるなあ、普通気が狂うよ、気が狂っているから堪えられるのか……(入院中、何をするかわからなくて怖いから拘束をして欲しいと頼んでいた人がいたのも信じられなかった)。彼女はわたしの驚きなど無視して黒砂糖を頬張っている。つまり、彼女にはどこか貫禄というものがあるのだ。
女の主治医は30代前半くらいだろうか。「拘束します」と看護婦に指示したときは「こいつは鬼だ!怖ろしい!お前の一言でわたしは犬にでもなっちまうんだ、ちきしょー!」と散々恨んだのだが、今は可愛い医師に戻っている。「あなたほどしんどい思いをして生きている人はそういないよ、死ぬほどのことをしたんだからね、自分のことを「頑張った」と思えるでしょ?」と云った。
「はあ……なにが」と喋ろうとしたら涙が溢れてきた。まだでるんだ、涙が。待合室に戻ってティッシュではなを思いっ切りかんだ。その音で黒砂糖の女がくるりと首だけをゆっくりと動かして虚ろな目でわたしを見つめた。
20010318 「自信が持てなくなってしまった」 「なんの自信?今まで、何に自信を持っていたの?」 「わたしの身体を気遣ってくれたことある?」 「今まで自信を持っていたことを教えてよ。どんな自信があったの?典子は何ができるの?何をする自信ならあるの?」 「あなたがわたしを殺したんだよ。お前は駄目だ、甘えている、怠けているって」 「仕事をする自信もないんだよね。人並みの仕事なんか、人並みだと思うならできなきゃならない。人並み扱いってのはそういうことだからね。典子は、病気だの「できない」だのいうのに、権利だとか扱いは人並み以上を求めるよね。それがどういう根拠に基づいているのか分からない」 「黙っていろというんだね」 「どうして、人並み以上の扱いや権利を要求できるんだろう。それが典子の自信なんじゃないかな。つまり、根拠はないけど自信はあるんじゃないかな。典子は、仕事をしなくても食べていけると思っているよね。危機感感じないでしょ?それでうまくいっちゃうんだよね。だから、直さないでしょ。典子は、仕事のことを考えなくても生きていけて、病気にもなれるだけ幸せなんだよ。そもそも、生きていないと自殺もできないんだしね」
「わたしの身体を気遣ってくれたことある?」
20010313 突然噴き出した。久しぶりに抗鬱剤(デプロメール)が処方されたからか1時間くらい笑い続けた。横で寝ていた母が「また狂ったのか」と怖がっていた。だって、普通とか狂っているとか忙しいんだもの。
正直云って、今通院している病院は社会の落伍者が集まっている。「どうして社会や他人は自分のことを理解してくれないんだ」「親兄弟が悪い」「自分で決められない、できやしない、だからあなたが決めて」と頑なに同じ発想をして、自分で自分を肯定できずにいたんだと思う。逆に云うと、他人がいかに頑固な固定観念を持っているかを真っ先に理解できるはずなのに。
自殺を図る前は盲目で妄想的になっていた。一途で純粋で可愛いと簡単に云われてしまうのだけど、「死ぬまで一緒にいて」「一緒に死んで」といった記号の読みとり遊びに酔っていた。「やっぱり、やめた」と相手が遊びを終了させてしまったら自分は脱落するしかないのか。それらが一時的な真実にせよ、余りにも危険な遊びをしていなかったか。
ポキンと折れそうな細い足で、アルコール中毒の男性が紙袋一つを提げて入院手続きをしていた。「この人、電車が怖いんだって」と待合室のわたしたちにも聞こえるように看護婦が話している。「シャブは高価だからシンナーをしていた」とか「殺すぞ」という会話を既に聞いているし、たとえ「人を殺した」と聞いても驚かないだろう。
母が自動販売機で買ったコーヒーを持って戻ってきた。「あんた普通やわ、病院変えよ」とわたしと周りの患者をちらちらと見比べて云った。「ん、もう少し通院するわ」とわたし。普通とか狂っているとか忙しくて愉快なわけである。
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20010304 診察日は月曜日。病院まで2時間かかるので、朝の7時には家を出なくてはいけない。親子揃って待合室で座っているのは小っ恥ずかしい。下を向いてもくもくと本を読む。やれコーヒーを飲まないか、寒くはないか、何を考えているんだ、と母の方が落ち着きがない。
某氏が滅多に入れないところだから観察をしてきなさい、と云っていたがこれでも生身の身体なんですよ、いくら命があっても足りないではないか。とはいうもの、入院している間、意識が回復すると自分を額縁に入れて上から眺めている姿があった。母は死んでいたかもしれないという事の重大性(?)や、ペラペラと喋るんじゃありません、静かにしていなさいと頻りに云ってくる。忘れない為に書くのです、太宰治や筒井康隆だって精神病院に入ったことを書いたのですよ、と尤もらしく応えておく。
しかし、本当に伝えたいことは伝わらないものなんだろうか。「典子、おむつしていたんだ、おむつプレイしてみたいね」と不快極まりないことをいう輩がいたのだ(病棟では羞恥心はありませんでしたが)。人間というのは愚かしい。くだらないこと、どうでもいいことが記憶に残るのですから。「人間失格」の堀木の家で出されたお汁粉の餅のように。そこから本質が見えるのだろうか。おむつから本質……あるわけないでしょうが。
つづく