つぎへ
■12がつ■
20001229 「何が何でもわたしを構って」というような自意識の垂れ流しが恥ずかしくなってしまった。以前のように「恥ずかしいことは誰でもやっているのだからいいや」と他人との一体化で安心しようとしても身震いがして駄目なのだ。が、お金が絡んでくると話が違ってくる。某ライターからの「クスリのことで書いてくれませんか」という依頼にも「はーい!書かせていただきます」と迷わずに応えている。正直なところ、原稿が書けるのならなんでも書く。ハッタリ、不道徳、自己嫌悪になるのも「いらっしゃい」という具合だ。これを卑しいことだとは思わない。理想や夢ばかりを宣言するのにも程がある。そのような人をいつまでもニコニコと微笑ましく見守っていられるほど、わたしという人間はできていない。でも、実は「うあああん、きいきいいい」とヒステリックに泣きベソをかいて怒っていることを書きたい気持ちも、ちょっとある。恥を隠しているか、恥を他人に擦り付けているか、恥を馬鹿正直にさらけ出しているかの差なのだ。
20001226 田中康夫がぬいぐるみを抱っこしていたり、マスコットの人形(?)を胸につけてテレビに出ていると、石原慎太郎が「きしょく悪い」と云ったそうですね。立川談志もクマのぬいぐるみを抱っこしていたな。「俺はいつまでも子供心があって、女子供にも優しい」とでもアピールしているのだろうか。なんて話はどうでもよくて、クリスマスにふかふかと抱き心地のいいクマのぬいぐるみをもらった。誰にも見せないでベッドでそのクマと一緒にねむるのだ。こういうことは二人でにんまりしながらやるものだと思った。
20001223 パソコンの調子がずっと悪かった。「もうあんなパソコンは捨ててやる」と、いよいよ新しいマシンを購入する話をしていると、いきなり調子が良くなった。不思議なものである。しかし、わたしは云った。「お前みたいな不安定なパソコンは捨てちまうぞ、だから動いてくれ」と。
20001220 薬物を断って1ヶ月が過ぎました(頭痛で何度かバファリンは飲みましたが)。正直な話、喉から手がでるほどクスリが欲しくなることがあります。が、「今までの我慢が水の泡になる」「この我慢というエネルギーが『生きている』ことを確認しているのかもしれない」と気持ちを切り替えてクスリのかわりに引き出しに入れてある図書館のリクエストカードを取り出しています。思い付く作家の名前を検索して「これだ!」とインスピレーションするタイトルを見つけては、そのカードにちまちまと書いているのです。かなり色気のない生活です。
勢い余って「鬱病や不安神経症なんたるものは自分で治せるのなら治してみろ」と豪語したばかりに、わたしにも自意識過剰かとも思えるくらいの正義感がでてきたわけです。しかし、周りにいるものは以前にも増して大変なようです。「あんたさあ、そんなにしんどいのなら病院に行きなさいよ」と、わたしの眉間に皺を寄せた顔を怖々と覗きながらHさんが云うのです。「病院には行かない、クスリも飲まない、精神科なんかに行くから精神病の状態を作っているんじゃないか」「それでもねえ、あんたの怖い顔を見る身にもなってよ」「これを乗り越えたらきっと何かがかわっているに違いない。それに今更病院に行くなんて他の人に云えないわよ」「そんなの黙っていれば解らないじゃない。そもそも病院に行くことを他人に報告する方が変だわ」「駄目だ、文章に嘘がでてくる」「あのねえ……。文章で生活しているわけ?自分の身体のことを考えなさいよ」「とにかくまだ駄目だ」
「明日はどうなるかわからない」という自由度が上がると一見カッコのいいように思えますが、無責任度も上がるのです。えーっと、何が言いたいのかというと「クスリは飲みたくない」「クスリを飲んだ方がいい」「クスリを飲まなきゃならない」という選択肢は面倒くさがらないで持ち合わせておいて、ここぞというときに「ええい!」という自由度で切り返すバランスさが重要かと思うのです。これは麻雀必勝法でもあります。ふむ。
20001219 わたしはまだ見ていないのですが、今月号(12月18日発売)の「サイゾー」の超・ネットダイアリーで、このページが紹介されているらしいです。是非見て下さい。というか、サイゾーが「おばちゃんのつぶやきは発想が素晴らしいですねえ」と云うのはいいとしても、「おばちゃんのつぶやきを一番楽しみにしていたのに更新がないねえ」って、あんたが云うなあんたが。君はわたしの何が見たいねん。イヤラシー!
20001214 ネットの接続時間が日増しに減っていく。知り合いから「少しはネットを離れて気分転換したらどう?」と云われていても無視し続け二年近く年中繋いでいたのに、いよいよというべきかパソコンの電源を入れるのも億劫になってきた。そんなときに菅野さんがバックギャモンを楽しそうにしていたのでちょいとわたしもやってみようかと繋いでみた。菅野さんは強い相手と対戦したいらしく、わたしの知り合いで大会にでている人がいたのを思い出し「やってみない?」と声を掛けるためにICQを立ち上げた。立ち上げた瞬間に「カッコー」と鳴る。誰だ。「クスリを飲み過ぎるなよ」といきなり目眩がするようなメッセージだった。いきなりもクソもこっちの都合も無視してICQというのはいきなりなんだった。そんなメッセージは無視すればいいのだが、「一体どう生きてきたらこんな知能の低い日本語を遣うんだろう」と辟易としていたところだった。いちいち返事をする時間も惜しいので「うるせえんだよ、誰に口を利いているんだ」とそのまんま返した。そいつは確かわたしよりも五歳ほど年下だったと思うが、目上のものに対する話し方も知らないのだ。いや、正確にいうと年齢差はどうでもよくて関係性のことだ。そいつとは親密な関係でもなく、それまでクスリや病気の話なんて全くしていなかったのにいきなりこれなのである。恐らく人伝でわたしが薬物中毒になっていると聞いたのだろう。「こういう奴は独り善がりの恥ずかしい行動さえもオリジナリティと自負しているんだろうな」と気持ちが悪くなってそそくさとICQを落とした。というわたしはというと、「オリジナリティとは何か」と模索中である。数年前に書道を習っているときも同じことがあった。臨書しまくれと教わったのだがこれじゃあ丸写しと変わらないじゃないかと不満に思った。しかし、オリジナリティというものは自分一人では存在しないものだということが解ってきたのだ。多くの情報を知ることで「疑う」ということが湧き出てくる。そして、その内に読まされることで精一杯だったものが、読んでやろうという態度になってきて嬉しかったりする。で、翌日その年下の男から電話が鳴った。「軽い気持ちでいったんじゃないです。『それだけ』が云いたくて」「そうなの」「はい、『それだけ』が云いたくて電話したんです」。ところで『それだけ』ってなんだろう……。果たしてわたしが云いたいことは伝わっているのだろうか。
20001209 今更なんですが。つぶやきを読んで「あれって誰のこと?」とか「典子の本心が解らない」なんて陳腐なことを云ってこないでよ。気に障った文章だとしたら、わたしはあんたに喧嘩を売っているんだから喧嘩を買って頂戴よ。これを読んでまた君が落ち込んだとしたら、もう笑いしかでてこないでしょう。求める限り対象は逃げ続けるんです。
20001209 身体がガタガタ震える。部屋が寒いのか禁断症状なのかよく解らないが歯もガタガタするくらいに震える。週末によくでるから「週末病」ということにしておこう。「欲望を持つのはいい。欲望を否定してはいけない。欲望に打ち勝つためには、より高次の欲望を持つことだ。陳腐な欲望を燃焼させてしまうほどの高次の欲望を持てばいいのだ」と中村天風という思想家が云ったそうです。が、「この震えに打ち勝つにはどうしたらいいんだよ。いつまで延ばして誤魔化すんだ。ゴムでもその内切れてしまうぞ」と発狂しそうになるのです。ケーキを貪り食いたい欲望に打ち勝つには?あいつに電話をかけたい欲望に打ち勝つには?夜の街を徘徊したい欲望に打ち勝つには?マンションを爆破したい欲望に打ち勝つには?バルビツール酸系眠剤を飲んで意識朦朧としたい欲望にに打ち勝つには?ヴァギナにペニスを突っ込みたい欲望に打ち勝つには?気が遠くなる……。読書をしていても単語が頭に入らないからとにかくわたしは吐く(書く)。
20001206 「どうして毎日帰りが遅いの、仕事が終わってからどこに行ってたのよ」
「本屋だよ」
「疲れてるのに本屋には行くんだね」
「疲れてるから本屋に行くんだよ」
「なんていう本を買ってきたの」
「今日は買ってないよ」
「つまらない。しんどいしんどいって、いつになったら元気になるの」
「典子は他人が頑張ってるのは全然解らないんだね」
「だって、わたしが楽しい話をしようとしても上の空じゃないの」
「今日は寝ようよ」
「駄目。いつまでこんなのが続くの、何月何日に元気になるの、教えてよ」
「俺は頑張ってるのに全然解ってくれないんだね」
「わたしも頑張ってるわよ。お酒もクスリも飲まずに遊びにも行かずに、こんな25歳いないんじゃない」
「もっと我慢して頑張ってる人はいる」
「全部捨ててしまったのよ、もうどこにも逃げ場がない」
「それが当たり前のことなんだよ、俺はずっとそうしてきた」
「わたしは知らなかった」
「当たり前のことなんだよ」
「あー、そうそう。今、中島らもの『バンド・オブ・ザ・ナイト』を読んでるのよ、言葉がこれでもかというほどでてくるのだけど吸い込まれるように読めるよ。ラリってたときのことを思い出すよ、はあ、またお酒とクスリに溺れたい」
「そんなに溺れたいのか」
「だってラクなんだもん」
「ラクな恋愛しようよ」
「あなたも読んでよ、わたしが薦める本は読まないのね」
「そんなことないよ」
「全然読んでないよ、じゃあ何を読んだというの」
「……」
「ほら、読んでないじゃないの、わたしはあなたが薦めた本は大抵読んでるわよ」
「いいや、読んでないのもあるよ」
「時間が掛かるけど読んでるわよ。普通、好きな人のことは全部吸収したいと思うものよ、あなたはわたしが好きな本、わたしが書いた文章、なにもかも気に入らないんでしょ」
「そんなことないよ」
「馬鹿にしてるんだね」
「馬鹿にしてるのは典子のほうでしょ」
------
「てんちゃんって、俺の薦めた本は全然読んでくれないんだね」
「そう?時間がないだけだよ」
「○○の薦めた本は読むのにな」
「そんなことないよ、偶然だよ」
20001204 ここのところ吐き出すばかりで、吸収ということをしていなかったなあと読書をしています。いずれも元気のある女性作家、田口ランディと山田詠美。愚痴っぽくなってきたりうだうだと悩んでいるときにはお薦めの作家。とくに田口ランディの「馬鹿な男ほど愛おしい」は、18歳で家を出てから……、銀座で働いて、アルコールに溺れて、パソ通で男漁りをしてなど自分と被るところがちらほらあって面白かったです。馬鹿な男を推奨する本かなと思いきや、馬鹿な男のことは厳しく書かれていました。旦那と子供に「俺が喰わせるんだ。つべこべ言わずについてこい」「亭主は下僕なんです」と云っているくらいですから。まあ、「精神的には女の方が強くて男はナイーブなものなんですよ」とフォローはしていましたけどね。で、馬鹿な男とはとっとと切ってしまいたいものなんですが、ダラダラと関係が続いてしまうのはよくある話です。「ねえ、さっきはごめんね」と甘ったるい声で謝られたら喜んでほいほい許してしまうでしょ。それを待っていることもあって自分自身も嫌になっていまうんだよな。それだけ、ダブルバインド的な関係を好んでいる男女がいるから需要と供給のバランスが取れているんでしょうかね。わたしの周りの20代の女性は馬鹿な男を何人か捕まえておいて安心する人が多すぎだよ。「そんな堂々巡りの恋愛で満足なんかい!!自分つーものはないのか」と怒鳴りたくなるのですが、わたしも同じようなことをやっていたので強く云えないんですわ。田口ランディが銀座で勤めていたときに「あんたは機転がきくから水商売向き」と云われたそうです。わたしはその逆で「あんたは客の横にニコニコと座っていればいい」と支配人に云われていました。ニコニコとお人形のように頷いているだけではストレスが溜まり「本当はこんなんじゃねー!クソジジイ」と、何度か爆発して首になりました(3年間の内に3件は首になったと思う)。「北新地なんか捨ててやる、ミナミだミナミ」と自棄になっていたところで救ってくれたのが、家庭的で引っ越しの手伝いもしてくれたPというお店。跳ねっ反りの生意気、ホステスの中では一番若いのに日給を多くもらっていて顰蹙ものでした。O新聞のTさんは仲間数人と陽気に飲みにくるのですが、閉店まで残って女の子にうだうだと絡むので嫌がられていました。Tさんはバツイチの30代半ば。いつも寝癖がついたような髪型で靴もどことなく草臥れていてショボイのですが、Macの話をするときは少年のように輝いて夢中になるものだから馬鹿な女(当時のわたし)はその仕種に騙されるんです。Tさんとはプライベートでもお付き合いしました。ところが、たった数回のデートで「結婚しよう」と云ってきたものだから拍子抜けしまい、Tさんから去るようにPも辞めたのです。それからは、「こいつからはいくら引き出せるか」ということだけを考えていましたねえ。いちいち客に振り回されているようでは勤まらないですもん。それから数年……。パソ通をはじめてまたまた馬鹿な男に埋もれるのが心地よくなっていくのです。ストーカー、自殺未遂、薬物中毒、男漁り……。なにをやってんでしょうか。空虚という言葉がぴったりです。「しかし、あんたも落ちぶれたねえ、まだ25歳なんだからやり直しはきくよ」とHさんが今のわたしを見て冷やかに云うんです。馬鹿な男ほど想い出すには愛おしいけど、もう現実に直面して付き合うほどエナジーもないや。シラフのわたしにはね。
20001202 「女は息苦しい」から始まってフェミニズムなんかをちょこっと囓ったりしたのですが、そんなことは云ってられなくなったというか、「はあ、やっぱり女はこれだから」と諦めてしまったのかなあ。バックギャモンじゃないけれど将棋や碁がなぜ男の方が強いのか、男女の恋愛をみていると嫌というほど見せつけられるんです。勝負をしているときに「悲劇のヒロイン」的な精神状態を殺して鬼神が憑依しているかのように「勝つ」ということだけを女性は考えられないんじゃないかと思う。そんなにずば抜けてカッコいい男がいるってわけでもないのにさ。ちなみに今、「生まれ変わるとしたら男か女か?」と聞かれても「男」と即答するでしょうねえ。「生まれ変わるとしたら?勿論女よ」と応えるにはまだ時間がかかりそうです。
もどる
20001201 薬を断ってから2週間が経過。禁断症状と不安神経症も治まって、ゆったりできるかなと思うのも束の間、2ヶ月は借金返済の為に働かなきゃならない。ネットはメイルチェックと自分のページとお気に入りを数ヶ所巡回するくらい。「普通」になる怖さというのがあるだろうなと想像はしてたが、やってみるとなんてことない。人間関係もさほど変わっていないような気がする。あなたが苦しんでいるのはわたしのことはどうでもよくて、あの人が手に入らないからでしょう。「きっとそうだろうな」と腹のさぐり合いのような会話をしていると、むず痒くなってきたのでズバリと聞いてやろうかなと思ったのだが、この関係が心地よくもあるのでやめた。卑しいものなんです人間って。